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人理滅却の時代(3)

 では、本日の講義を始めたいと思います。

 前回講義では、出来るだけ戦争に深入りしたくない草林政権と、逆に大火力で青島要塞を粉砕した日本軍兵器、引いては日本軍自体を欧州へ引き入れたい英仏両国を始めとする連合国の話で終わりましたね。

 一方、この頃の日本はどんな状況だったか、から話を続けましょう。

 日本経済はこの頃、折角V字回復を遂げて安定成長路線の軌道へと入り始めた矢先の、空気を読まない欧州列強同士の全面戦争という混乱に見舞われた後、落ち着きを取り戻していました。戦争が早期決着せず、西部戦線では膠着状態に陥り、主に英仏両国は日本製兵器、特に野戦砲と砲弾の大量供給を求め、クリスマス休戦以降外交戦を活発化させていますが、実は、そうも行かない事情が生じていました。

 原因は、辛亥革命で後清国と中華民国に分裂した中華大陸での、列強間の綱引きです。

 イギリスの利権が集中する華中・華南に成立した中華民国は、清国の弱体や列強特にイギリスの無法に対する反発から生まれたアジア初の共和制国家でしたね。対する清国から中華民国を引いた残余から成る後清国は、その名の通り清国の継承国家です。各国の租借地の本来の帰属が自国であることも、当然自認していました。両者は長江を主な自然国境線として対峙しており、列強同士の利害関係から前者を独墺が、後者を英仏露が『支援』していました。ここで言う『支援』とは、何らかの経済的・領土的な便宜を見返りとする、主に政府高官への賄賂と武器の売却です。特にこの時期、日露戦争に敗北し、朝鮮半島大爆発でウラジオストクが壊滅し、と極東開発に事実上失敗していた上、独墺と直接国境を接して大兵力を貼り付けているロシアとしては、これ以上極東の領土を失うのは避けたいし、かと言って極東地域に大兵力を貼り付けることも避けたい訳ですから、後清国が満洲や後清国に残るロシア利権を尊重し対立を指向しない様に、後清国の目が南を向く様に殊の外気を遣っていました。

 ここに、世界大戦が持久戦・長期化の様相を呈したという要素が加わります。しかも世界大戦に先立つ日露戦争で予算と兵力を消耗したロシアは、ドイツとの東部戦線に於ける戦争で夏の間に優位に立つことが出来ず、西暦一九一四年の冬を迎えます。この冬の間、ロシアはかつて冬将軍と呼ばれナポレオンのフランス帝国軍を撃退する一助となった、厳しい冬の寒さを味方として、ドイツ軍の攻撃を凌ぐことには成功しますが、反撃へ打って出ることは叶いませんでした。南の東欧戦線についても、オーストリア=ハンガリー二重帝国軍が善戦しており、兵力を引き抜いて東部戦線へ充てることが叶いません。逆に独墺も決定的な打撃を与えることは出来なかった訳ですが、ロシアとしては既に日露戦争の負担で国民の不満を抑えられなかった前科がある以上、余計に後がなく、従ってこの苦境の打開策として、二つの柱を立てて実行に移します。

 一つは、満洲などに残っている中華大陸の利権を米国へ譲渡し、米国からの援助を引き出すこと。

 もう一つは、先の戦争で干戈を交えた相手である日本との関係改善へ動き、日本からの援助を引き出すこと。

 この二つの柱はどちらも成功し、ウラジオストクに代わる港としては極めて北の方になりますが、ニコラエフスク、今日のニコラエフスク・ナ・アムーレが受け入れ港となりました。同港はアムール川が氷結していない間に限りますが、川を伝って、シベリア鉄道が通じているハバロフスクや、より内陸のシベリアまで通行出来るという利点があったからです。加えて、戦争が長期化の様相を呈し、後に北海をドイツ海軍の秘密兵器が封鎖して、米国からの支援を積んだ船舶が、大西洋へと繋がる北極圏のアルハンゲリスクまで安全に通行出来なくなると、こちらのルートは尚更に重要となり、輸送力強化の為、シベリア鉄道をハバロフスクからニコラエフスクまで伸ばした上に、米国の鉄道王ハリマンの熱心な支援で、単線と多数の行き違い区間で構成されていたシベリア鉄道の総複線化、引いてはシベリア地域の大規模な重工業プラント建設まで行われました。

 しかしここで、誤算が生じます。

 世界大戦が長期化の様相を呈し、独墺が亞細亞・太平洋地域から日本の手によって駆逐され、その後を英米が押さえたことは先の講義で述べた通りですが、これを列強が弱体化した好機と見た中華民国が、特に英仏が一九一五年春の連合国の西部戦線攻勢が息切れすると、中華統一・扶国滅洋を大義名分として、八月十五日、後清国との国境線や各地の租界へと無通告で侵攻を開始したのです。

 これを列強による植民地化に対する正当な反抗であるとして肯定するか、それとも明確に侵略行為であり法理に基づいて秩序立って解決するべきであったとして否定するかは、時代によって判断が分かれますから、当講義としてはこれに対する結論は出しません。出しませんが、但し当時のものの見方として、日英米の三国が共同で各租界の居留民救出に向かい、そこで各国居留民、つまり租界警備兵ではなく非戦闘員の殆どが既に虐殺されていた光景を目の当たりにした事を以て、中華民国を侵略者にして無法者と断定し、対中華民国全面戦争を決意した、という歴史的事実は、強く皆さんにお伝えしておきたいと思います。

 話はここで、日本の視点へと戻ります。日本にとって世界大戦とは、主として欧州列強の戦争であり、飽く迄も日英同盟や米国との合意内容に基づいて、亞細亞・太平洋地域の軍事的空白を埋め、無政府・無秩序状態による混乱を防止し、それ以上の深入りは出来れば避けたい種類のものでした。朝鮮・満洲権益の英米への譲渡によって得た借款で一息吐いて、世界大戦勃発による主として英仏との取引で更に大分目減りしたとは言え、直近の日露戦争で発行した戦時国債の償還だってまだ結構な額が残っていますし、草林政権としては日本列島改造計画に政府予算を全て振り分けたいぐらいなのです。しかし、それは中華民国の全面侵攻により御破産となりました。

 草林は元来、『法理・秩序を重んじる』人でした。経緯はどうあれ宣戦布告も無く侵攻を開始し、加えて非戦闘員を虐殺した中華民国の行いは彼のポリシーからすると、到底許せるものではなかった筈です。実際、租界居留民虐殺の報に接した草林が凄まじい怒気を発した事を、原・敬は日記に記しています。しかし彼は、努めて冷静に、軍に対し中華民国に対する『限定的武力行使』の計画策定を命じます。

 この時、軍が立てた計画は、現在応急的に日英米軍の保護下に置いている上海租界から、長江を伝って程近い位置にある中華民国首都南京まで一気に攻め上がって、中華民国首脳を捕縛し降伏と武装解除を迫る、というもので、当時としては理に適っている計画であり、英米両国からも了解を得たものでした。

 ですが実際に草林が承認を与え、日本軍が急派された英米軍と共同で南京への侵攻を行うと、上海への戦力の集結から侵攻を察知した中華民国首脳部は南京から武漢へ脱出・遷都します。南京から先、武漢までは長江伝いに、排水量一万トン程度の船舶であれば通行が可能ですので、そこまでの侵攻は比較的容易です。武漢でも中華民国首脳部を取り逃した場合、彼らはより上流の重慶、或いは成都まで後退するか、或いは地の利を活かして各地を点々とするなどの戦略を取ることが考えられ、結果として中華民国全土への全面侵攻を行わなければ、中華民国を降伏させることは出来ない、という結論に至ります。日清・日露でさえ息切れしていたぐらいなのに、この上、中華大陸全面侵攻を行うなど、正気の沙汰ではありません。強いて言うなら、後清国ならそれだけの兵力を揃えることは可能でしたが、現状では補給の続く限りに於いて、各地で中華民国軍が優位に立っており、後清国は各地で守勢に回っていました。

 安易に中華民国から兵を引き揚げることは、後清国に対して不利に働くため出来ず、かと言って日本がこれ以上中華大陸の奥地へ深入りするには、国力的にも、英仏、特にフランスにある西部戦線の事情的にも連合国側からすると許容することは出来ず、事態は詰んでしまったかに思われました。

 事態は、千九百十五年十一月に急転します。膠着状態に陥っていた西部戦線で、ドイツ軍がハーグ陸戦条約違反の毒ガス兵器を相次いで前線で使用し、英仏は一万の将兵を毒ガスで失い、パニックに陥った英仏軍は、毒ガスが使用された地域で合計七マイルもの後退を強いられます。七マイル、つまりキロメートルに直すと十一キロメートル強です。当時英仏が展開していた総兵力からすると、僅かな兵力と、僅かな距離に思えるかもしれません。しかし、一万人とは単なる数字ではなく、あなた方一人一人、或いは誰かにとっての、あなた方の親しい人物一人一人だった筈です。それを、皆さんの心の片隅に留めていただきたいと思います。

 さて、ドイツ軍はこの毒ガスに加えて、ロシアの話で前述した秘密兵器、これも包括的雷撃禁止条約に違反する兵器だったのですが、これを投入して北海の制海権を一時奪取するのですが――チャイムが鳴ってしまいましたので、続きは次回の講義で述べたいと思います。

 例によって、ここまでの講義での疑問点、深掘りしたい点、参考資料等の問い合わせにつきましては、次回講義までに私の研究室まで簡易レポートの形で提出するようにしてください。

 では、また次の講義でお会いしましょう。

訂正

・2027年7月27日:漢数字の表記を全体で統一

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