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人理滅却の時代(4)

 さて、定刻になりましたので、本日の講義を始めたいと思います。

 前回の講義では、日本が世界大戦に深入りしたくないのに中華民国の全面侵攻により御破算となり、欧州ではドイツが毒ガスともう一つの秘密兵器を使用した話をしたところで終わっていましたね。

 では、もう一つの秘密兵器とは、何か(ネットリ)。

 端的に言ってしまえば、ドイツ軍が投入したもう一つの秘密兵器とは、潜水艦でした。いわゆる『Uボート』ですね。

 当時の技術力で言えば、当時の潜水艦とはどちらかと言えば、『潜航して水上艦艇から身を隠すことが可能だが、数日以上の長時間、終始潜航して過ごすことは出来ない偵察艦』でした。勿論、これが衝角戦可能であったり、魚雷で武装していれば大いに脅威な訳ですが、包括的雷撃禁止条約により魚雷は製造・保有・使用が禁じられており、他に装備し得る兵装といえば小口径の大砲ぐらいのものでした。後は乗組員による接舷戦闘ぐらいのもので、つまり結局、当時の潜水艦とは、浮上しなければ大砲は使用出来ませんから、それほど強力な兵器であるとは考えられていなかったのです。

 ですが、一九一五年十一月の西部戦線でドイツ軍は毒ガスを使用し、そして同月、イギリス周辺海域全域、つまり北海から大西洋に至る海域の全てで、大量に放ったUボートによる無制限潜水艦雷撃戦を開始しました。翌年同月までの一年間で、この大戦で連合国が喪失した商船のおよそ六十五パーセント、数にして凡そ三四〇〇隻あまりの船舶がこの期間に喪失われています。更には商船のみならず、きちんとした護衛部隊がついているはずのイギリス海軍主力部隊が停泊していたスカパ・フロー泊地にも魔の手は及び、大戦中の全期間を通して、北海・大西洋・地中海の合計で十隻もの戦艦が、Uボートの攻撃によって沈められました。

 当然、これは包括的雷撃禁止条約に対する明確な違反です。ですが、ドイツはイギリス海軍が当時行っていた、北海全域への機雷敷設による海上封鎖に対応した適正な規模の反撃であるとして正当化しました。無論これは詭弁であって、如何なる論理を以てもこれを正当化することは不可能である、というのが今日に至るまでの国際法上の通説です。実際問題、それ以前に戦争状態に突入する前から、ドイツはこれら条約違反の兵器を研究・開発・生産・配備していた訳ですから、イギリス海軍が実際にどんな戦争をしていたとしても、それを使用する以前から違法は違法だったのです。ここはテストに出ますからよく覚えておいてください。

 話を戦争の推移に戻しましょう。一九一五年十一月からの一年間は、西部戦線の連合国にとって、試練の期間でした。

 イギリス本土の物流が一気に締め上げられ、農家はトラクターの燃料を捻出出来ず人手で畑を耕し、貴族は豊かさの象徴でもあった屋敷のイングリッシュ・ガーデンすら破壊して農地に還す。燃料事情が急激に悪化したイギリス海軍は、主力であるはずの戦艦は泊地に閉塞してボイラーの火を最小限とし、対潜水艦戦で小回りの利く中小艦艇が、決して帰還率の高くない戦場に赴く。

 フランスでは世界から掻き集めた武器弾薬と兵士が、届くべき場所へ届かない。西部戦線は砲弾不足で徐々に後退し、時にはパリ郊外まで砲声が届く程でした。この時作られた、現在世界遺産にもなっているパリ東部防禦陣地の塹壕線や堀を掘って、土塁を築き上げたのは、戦場や工場で働くに足る能力が無いか、向かないとされたフランスの銃後を守る老人や子供、女性たちの素手でした。世界で最も文明化・機械化された地域の一つであるはずのフランスで、パリを守る最後の砦を築き上げたのは、皮肉にも直接肉体を酷使する労働だったのです。それも、本来非戦闘員で労働者ではない人々の。

 この間、連合国も手を拱いていた訳ではありません。アメリカでは大量の武器・弾薬・食糧・燃料が生産されていました。数の上では連合国の腹を十分満たせるだけの物資はしかし、東海岸沿いの工場や貨物駅、港湾に堆く積み上がるばかりでした。それを大西洋を渡って西部戦線へ届けるための船舶が、増産に次ぐ増産を重ねても、出発させたが最後、片っ端から沈められていたからです。アメリカ海軍太平洋艦隊を大西洋へ回航し、更に十分な対抗策が講じられるまでの間、西部戦線への補給は見合わせる。それがアメリカの決定でした。合理的ではありますが、非情であったとも言えます。

 他方、この無制限潜水艦戦で一躍注目を浴びたのが、日本海軍でした。日本海軍は草林政権の掲げた『日本列島改造計画』に基づき、『観測網』の整備に勤しんでいました。他国が大艦巨砲主義に傾倒する中で、速力が出て小回りの利く『金剛型』巡洋戦艦を八隻擁していたことよりも、広大な日本周辺海域を見張るための補助艦――この文脈では駆逐艦や海防艦、通報艦、哨戒艦などと呼称される補助戦闘艦艇を指しますが、これらの大量建造と乗員の大量育成が既に一部は実現していたことが注目の理由でした。何と排水量は兎も角として頭数の上では、開戦時点で三〇〇隻を軽く超えており、開戦後すぐに倍増計画が立てられていました。

 これらは『朝鮮半島大爆発』のような天体危機は勿論のこと、水上の敵艦の存在をいち早く察知して本隊へ通報するための無線機を最初から備えていました。更に、海防艦や通報艦、哨戒艦などは装備と運用負担が大きい通常の艦砲ではなく、機関砲や、本来陸上兵器であるはずの迫撃砲と呼ばれる簡素な砲熕兵装を装備していました。この内、特に迫撃砲が潜航した潜水艦へ攻撃するのに有効であることが、この大戦を通じて明らかになります。なぜ有効打となるかについての技術的要点は、この講義では説明をいたしませんが、そういうものであると当時判明したことは覚えておいてください。

 ともあれ、この膨大な数の補助戦闘艦を頼みに、アメリカに滞留する連合国の物資を輸送船団を組んで大西洋上を無事に通過させてほしい。そのためなら物心両面であらゆる便宜を図る。これが一九一六年初めに日本に届いた、英仏両国の依頼でした。草林は苦悩します。早期決着が出来なかった以上泥沼が分かり切っている中華民国戦線を放置も出来ず、かと言って対馬丸の一件に加えて、毒ガスや魚雷装備の潜水艦という禁じ手を投入したドイツをこのまま好きにすることも出来ません。草林は連合国それぞれの事情を勘案した上で、決断を下しました。

 一つ目は、『中華民国戦線には日本陸軍の砲兵部隊のみを残して撤退し、主攻はアメリカ本国から派遣されるアメリカ陸軍アジア派遣軍に任せる』。

 二つ目は、『日本海軍を四つに分け、一つは本国からシンガポールまでの太平洋上の警備に充当する本国艦隊に。一つは「金剛型」戦艦四隻を主力とする第一遣欧艦隊をインド洋を経由して西回りに。一つは補助戦闘艦艇を主力とする第二遣欧艦隊を東回りに太平洋を渡ってパナマ運河を経由してアメリカ東海岸に。残る一つをシンガポールからスエズ運河までの航路護衛を行う遣印艦隊に。この四個艦隊の出兵を以て、東西両洋から英仏本国までの航路を啓開する』。

 三つ目は、『緒戦で負けが込んで情勢不穏が続くロシア帝国支援のため、シベリア鉄道経由で東部戦線へ日本陸軍第一欧州方面軍を。物心両面で窮地にある西部戦線へ、日本海軍第一遣欧艦隊または第二遣欧艦隊の両方を直接的な護衛として、日本陸軍第二欧州方面軍を出兵する』。

 この本邦始まって以来の空前絶後にして前代未聞の大出兵計画は、当然ながら当時の日本の身の丈を大きく超えていました。

 超えていましたが、ほとんど平穏無事と言っても良い太平洋を、縦横無尽に使えるフリーハンドを得ていた日米両国が合意し、更なるアジア進出を目論むアメリカ側の強力な、あるいは旺盛で意気軒昂な『本気』を背景にした強力な物心両面のバックアップが、不可能を可能に変えてしまいました。無論、そうしたアメリカの意図を見抜き警戒する日本側の勢力も、主に大アジア主義者の牙城となっていた帝國議会を中心に紛糾しますが、対馬丸事件や条約破りの毒ガス・魚雷を使用したという衝撃、更には日清戦争後に独仏露の三国干渉を行った事実に基づく積年の恨みも重なっていた世論を味方につけた草林は、帝國議会を強行突破して欧州出兵に漕ぎ着けます。

 これが第一次世界大戦の総決算後、第一次草林政権を総辞職に追い込む遠因となるのですが……時間が来てしまいましたので、本日の講義はここまでとします。

 例によって、ここまでの講義での疑問点、深掘りしたい点、参考資料等の問い合わせにつきましては、次回講義までに私の研究室まで簡易レポートの形で提出するようにしてください。

 では、また次の講義でお会いしましょう。

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