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5、雷光の乙女

 まあちょっと任せてよ、と。

 ゾーラくんは椅子から立ち上がって、猫のように(猫にしては身体が大きすぎるから、豹のように?)伸びをしながら、来たときと同じようにふらりと部屋を出ていった。


 いったいどう任されるつもりなのか知らないけれど、これからクォーツのところに押しかけて事情をたずねるなんてことはしなさそうなので、おとなしく背中を見送った。

 態度も話し方も間延びしているが、内面は猫というより鷹に近く、熟考してから行動するひとなのだと話すなかから窺い知れた。


「……まだ先生は見つからないのかしら」


 壁に嵌め込まれた丸窓の向こうでは、ルーネル港の賑わいが流れることなく留まっていた。迷子の先生が船から出ていないとも限らないからと、出港を見合わせているのだ。


 ゾーラくんのサボりに手を貸してしまったわけだし、わたしも先生探しを手伝おう。みんなが慌ただしくするなかで、わたしだけ部屋でのんびりなんていうのは気が引けるし、ちょっと不謹慎かもだけれど『ランバルクイーズ』の豪華客船を探検できるいい機会だ。


 そうだ、クォーツには声をかけるべきか。


「……どこへ行くにも一緒がいいのかって、呆れられたりして」


 本気でそんなことを言うひとではないし、むしろ単独で行動したほうが心配をかけてしまう。あれで彼は過保護なきらいがある。


 なにかあったら来い、と教えられた部屋番号を、訪ねなくていい理由を探してしまう。


 だってまだ、彼と恋人になりたいと自覚してからほんの数分だ。そのうえ、ゾーラくんに昨晩のキスについて話したことが後ろめたくて、まともに顔を合わせられない。


 廊下に出たわたしの足は、デッキ中央で吹き抜けになる螺旋階段をあからさまに避けた。クォーツのいる階下よりも、ひとまずはいまいる場所を見てまわろうと決める。


「……それにしても、はじめて乗る船が『ランバルクイーズ』だなんて贅沢すぎるわ」


 一般的な船に対する感覚が狂ってしまいそうだ。どこの船もこんなふうに、廊下にまでふかふかの絨毯が敷き詰められているはずはないし、シャンデリアなんてもってのほかだろう。まあ、卒業後に船に乗る可能性を考えれば、まったくもって杞憂なんだろうけど。


 わたしの部屋があったのは右舷で、廊下は船首に向かってまっすぐ続いたあと、ダイニングルーム手前で左舷に折り返す。船のお尻のほうは個室が並ぶだけなので、とりあえずつま先を船首のほうに定めて歩きはじめる。


 海側の壁には、黄金の金具にふちどられた扉がずらりと並んでいた。このすべてにお客さんを泊められるのだから、本気を出した船内はきっとすごい賑わいになるのだろう。

 デッキ中央には、吹き抜けの景色を楽しめるよう、ソファーやテーブルが用意されてあった。本棚に、芸術の教科書で見たことのある絵画まで品よく飾られてある。さすがに複製画だろうけれど、『ランバルクイーズ』なのだしこれらも途方もない高級品にちがいない。


 使われていない個室は鍵がかかっているので、一つ一つたしかめる必要はない。すると探す先は限られて、つきあたりのダイニングルームでようやく立ち止まることになる。


 とは言え、ここも入り口に真紅の紐が横断していて、いまは立ち入り禁止のようだ。

 奥のほうに厨房がのぞけて、エプロン姿の人たちが忙しなく行き交うところが見えた。


 とんでもないことに、馬車に御者がいたように、船には料理人から医者からそれはもう大勢の乗組員がついてきてくれるらしい。


 ……どんなお昼ごはんになるかしら。


 思い出したように鳴きだした腹の虫を、よしよしとなだめてあげる。


「はやく先生を見つけて、ごはんね」


 迷子とはいえ、さすがに立ち入り禁止の紐を乗り越えていくことはないだろう。


 少なくともこのデッキで迷子になるのは難しそうだ。念のため左舷もまわって、つぎは上の階を探してみよう——そう決めて、ダイニングルームに背を向けたときだった。


 吹き抜けを上昇する影があった。

 たぶん、階段は使っていただろう。けれど飛び越える段が多すぎるせいで、遠目からは渦を描いて飛び上がっていくように見えた。

 姿が見えたのは一瞬。大きくて黒い男性と、その腕にお姫様のように抱かれる女性。


 アドラーシさんとバラージュさんだ。


「なにかあったんだわ!」


 たんに先生が見つかっただけなら、あんなふうに無茶な移動はしないだろう。慌ててあとを追いかけるけれど、階段までたどり着いたときにはすでに姿は見られなかった。


「オードリー?」


 ああ、本当に、なんて優秀な杖だろう。

 ちょうど階段を上がってきたクォーツと目があったとたん、気まずさもなにもかも吹き飛んで、「クォーツ!」と声を上げた。

 あと数段が待ちきれず、手を引っぱる。


「アドラーシさんたちが、いまここを駆け上がっていったの。なにか鬼気迫る勢いだったわ。わたしたちも追いかけましょう!」

「アドラーシ……?」


 まだ名前を覚えられていないらしいクォーツは、首を傾げながらもわたしを抱きかかえた。——お姫様抱っこではなく、肩に。


「しっかりしがみついとけ」


 軽々と、数段飛ばしで螺旋階段を駆け上がっていく。アドラーシさんみたいにドラゴンが昇るような速度ではなくても、わたしが走るよりずっと速いし、十分ありがたい。


 ……お姫様抱っこじゃなくたって。


「見て、扉が開いてる。甲板のほうよ!」

「了解。……なんか不機嫌じゃないか?」

「気のせいじゃないかしら」


 エントランスを抜けて甲板に出ると、よく磨かれた床に太陽の光が反射して、目の前が真っ白になる。船内のうす暗い照明に慣れた目では、しばらく辺りがわからなかった。


 だから外の異変は、真っ先に耳が捉える。


「いまですわ、渡り板を! はやく!」


 甘やかで透きとおった声が、戦女神のような凛々しさでそう指示を飛ばす。


 意識してまばたきをくり返せば、ポートを見おろせる船縁にバラージュさんが見えた。

 彼女の背中には、茶色の髪を三つ編みのおさげにした眼鏡の女性が守られていた。

 上等そうなドレスを着ていたから、見てすぐに貴族とわかった。お尻のふくらんだ深緑のスカートから伸びる上半身は細く、猫背にまるまっていて、気弱そうな印象だ。


 二人の淑女のそばで、アドラーシさんが陸とを繋ぐ渡り板を引き上げようとする。

 

 陸には男が一人、大の字で倒れていた。

 けれど意識はあったようで、引き上げられる渡り板を見るや、慌てて起き上がる。


「《審判の雷光》」


 バラージュさんの掲げた杖が黄色に光る。

 光は爆ぜる音とともに大輪の火花を咲かせると、小さな落雷のように渡り板へ移った。


「心にやましいところがあるのなら、光はあなたを裁くでしょう」


 青白い光が、蜘蛛の巣状になって板に絡みつく。糸の一本一本が太く、獰猛に弾ける。

 とくにやましいところがなくても、身がすくんでしまう光景だ。バチバチという大きな音に、肌が直接鞭打たれているような心地にさえなる。平然と渡り板をつかんだままでいられるアドラーシさんが信じられない。


 板に飛びつこうとしていた男も、両手を伸ばした格好のまま尻もちをついた。その隙に板はするすると甲板へ持ち上げられていく。


 すべてが雷のように一瞬の出来事に感じられた。

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