第5話 【いつか願い主であるために】
トリスは目を覚ました。
見慣れた白い天井が見える。
体を起こすと、ここは自分の家だった。
壁際にある机には、本が積まれており、収穫祭に出かけたままの状態になっていた。
ベッドのわきにある窓からは、いつもの街並みが見える。
明るい夜空に、所々に建つ白を基調とした建物。青やオレンジに灯った外灯。
間違いなくここは夜空街だ。
「いつの間にか、帰ってきてたのねー」
トリスはほっと溜息をついた。
おそらくカノがここまで運んでくれたのだろう。
ベッドから立ち上がり、自分の体をくまなく観察するが欠けている部分はないようだ。消滅することは免れたらしい。
するとトリスはあることに気付く。
隣の部屋にあるテーブルに、出した覚えのないマグカップがあった。
歩み寄ると、マグカップの他に皿に置かれたクッキー。
皿の下には、一枚の紙きれ。
そこには、[ もし起きたら食べくれ! お腹すいてるだろ? ]という文字が並んでいた。
トリスは思わず笑みをこぼす。間違いなく、カノの字だ。
「カノ、あなたほんといいやつね! ありがたく頂くから」
トリスはクッキーを頬張り、テーブルのイスに腰を下ろす。トリスの好きな雲の切れ端クッキーだ。
それにしても……自分はどのぐらい眠っていたのだろう。煌太や藍実、アトリアのことも気がかりだった。
まだ温かいマグカップの飲み物に口をつける。
その時、家の扉が開く。
そこにいたのは、カノだった。彼は、目の前の光景が信じられないような表情を浮かべている。
「あ、カノ。クッキーありがとう」
「う、トリス~~~!」
カノは目の淵に一杯の涙を溜めて、こちらに駆け寄ると、力一杯トリスのことを抱きしめた。
カノは、泣きじゃくりながら、
「よ、かった……。もう目を覚まさないと、思ったぞー……」
「そんな大げさな」
「大げさじゃない! トリス、十年は寝てたんだからな……?」
「え?」
「ホント心配、したんだからなっ……」
カノはトリスから離れると、涙を掌で拭いつつ
「トリス、ほんとよかったよ~、消滅しなくて……」
「するはずないじゃない! もう、大丈夫よ。心配かけちゃって悪かったわ」
トリスが思う以上の、時間が過ぎていた。
夜空街の十年と言えば、歳を一つ重ねることのできる期間だが、地上ではそうもいかないだろう。
最後に地上で見たアトリアの姿は、小さく弱り切っていた。
消滅するまえに、助けにいかなくては。
「はー、のんびりしたいところだけれど、姉さんのことが心配ね。早く助けに……」
「アトリアなら、少し前に帰ったぞ~」
カノは当たり前のようにそう言って、苦笑する。
「え? ウソ。何で??」
「詳しくは知らないけどな、元気だから大丈夫だ。街のみんなもまさか帰ってくると思ってなかったみたいで、しばらく大騒ぎだったぞ。今連れてくる! 待っててくれ」
そしてカノは慌ただしく、トリスの家を後にした。
数十分後。
「トリスちゃーん!」
その声が外から聞こえた。
思わず立ち上がったと同時に、家の扉が勢いよく開く。
そこには、アトリアがいた。腕や足に包帯が巻かれていたが、その表情は明るい。
それに……
「大きさ、元に戻ってる……」
今のアトリアは、トリスの昔から知るアトリアだった。
トリスよりスラリと背の高い、大人びた容姿。身にまとう銀色の光も、明るさを取り戻していた。
「ふふ、そーなの。町にいたら自然とね。元の大きさになるまで、カノくんが生活のフォローをしてくれたのよ」
アトリアは隣に立つカノに「ありがとね」と呟くと、こちらに歩みよりトリスのことを抱きしめる。
「ごめんね。長い間帰ることができなくて。カノくんからきいたわぁ、あたしのこと探してくれてたんでしょ。ありがとうね」
「……もう心配させるようなことしないでね。次こんなことがあったら、もう探しになんて行かないから」
「もートリスちゃん、相変わらず厳しいんだから!」
心の真ん中が、じんわりと温かくなっていく。
アトリアの声、抱きしめられている感覚、何もかも久しぶりだった。
また会うことできて、生きて戻ってきてくれて、本当によかった。
アトリアは、トリスから離れると微笑む。
トリスも微笑みを返すことができた。
「それで、姉さん。あんな状態からどうやって帰ってきたの?」
「煌太くんっていう子が、助けてくれたのよ。眠気が覚めたのは、きっと彼がくれた星のカケラのお蔭ね」
「え、煌太が?」
「あらー! 知り合いだったの? ビックリねぇ」
アトリアは、目を丸くしそう声を上げた。
「……」
アトリアのことを逃げがしてくれたことは、有難い。けれど、煌太自身は大丈夫なのだろうか。
意識を失う寸前の煌太は、トリスやカノのことを攻撃してきたが、それは決して自分の意志ではなかった。
無理やり従わされていた。
アトリアの腕や足に巻かれた包帯に、自然と目がいく。嫌な予感しかしなかった。
「はー、煌太のやつ……無事だといいのだけれど!」
トリスの呟いた言葉に、アトリアの表情がわずかに陰る。
アトリアはそれ以上、煌太について何も口にしない。ということはやはりよくない状況だったに違いない。
「……そう言えばわたし、煌太から預かった本、どうしたっけ。確かに手に持っていたはずなのだけれど」
トリスはそのことを思いだすと、寝室へ入り、ベッドの上や机の上に目を走らせる。しかしそこには、「ほしの子とじんこうぼし」の本は見当たらなかった。
するとトリスの後方に立つカノが言う。
「トリスが持ってた本、収穫祭の責任者が持ってちゃったぞ。地上のものを持ち帰るなんて、規則違反だとか言って。トリスの大切なものだからって言っても聞いてくれなかったんだ……ホント勝手な奴だよ」
「はーー? サイアクね。責任者って誰がやってたっけ? 今すぐ返してもらわないと」
カノはそれに首をかしげる。
「名前までは、知らないな。でも、確か、アトリアと同じ歳だったよな?」
カノは隣の部屋にいるアトリアの方に振り返った。
彼女は、テーブルのイスに腰掛けてトリスが食べるはずだったクッキーを頬張っている。
「えっと、バランくんね。今期の収穫祭も彼だったかしら?」
「あぁ多分そいつだ。白い髪で青い目の奴だろー? 背丈はアトリアと同じぐらいで」
「えぇ多分、彼ね!」
トリスは、収穫祭初日のことを思い出していた。
確か、彼は参加者たちに収穫祭の段取りを説明していた星の子だ。直接の面識はないが、顏だけは知っている。
「トリス~、気持ちは分かるけど今はバランたちには、近付かない方がいいぞ……? 最近、役所の奴らはみんな殺気立ってるしな」
アトリアの横からクッキーに手を伸ばそうとしたトリスは、思わずその動きを止める。
「どうして? 収穫祭が終わって一息ついてる時期じゃないの?」
トリスはクッキーを口に放り込むと、マグカップの飲み物で流し込む。
「……役所の奴ら、このままじゃ、収穫祭が開催できないって騒いでるぞ」
カノは表情に暗い影を落とすと、アトリアの方を一瞥する。彼女もカノと動揺、不安げな表情を浮かべていた。
「トリスちゃん、あのね。あたしが、街に帰ったことがキッカケで地上にいる人口星の存在が明るみにでたの」
「!」
「みんなあたしが帰ってきたことを喜んでくれたし、黙ってるわけにはいかなくて……」
「……黙ってる必要なんてないから。取りあえず、本返してほしいから役所行ってくる」
トリスはそう言葉を投げると、家を後にした。
自然と歩調が速くなる。
アトリアのことを長い間閉じ込め、ルコルのことを消滅させ、そして自分のことも負傷させた人口星の存在は、街にとって有害なものでしかないだろう。
アトリアがどう伝えたかは不明だが、人口星が星の子に危害を加えるという結果が出ている以上、その印象を回避することは難しいはずだ。
それだけではないのに。
煌太からあずかった本にもあった。
人口星の願い主は人を死なせたくないと願い、人口星はその願いを叶える。
そして星の子は、人の願いを叶える。
ただ、それだけのことなのだ。
トリスは役所に到着すると、両開きになっている扉を押し開け中へ歩みを進める。
カウンターの向こう側には、机が向い合せで並べられており数人の星の子が働いていた。
広くはない空間の中に、書類や収穫祭で使用したらしいビンが散らばっている。星の子たちも皆忙しそうだ。
その一人の中に、バランがいた。
トリスはカウンターに歩み寄ると、そこに置いてあるハンドベルを鳴らした。
一番近い位置にいたバランが、歩み寄ってくる。
「悪い! 今ちょっとバタバタしてて……って君! トリスじゃないか」
バランは表情をぱっと明るくして、トリスを見た。
「やっとお目覚めってことか。よかったよかった」
「えぇ。ついさっき起きたところよ。早速だけど、わたしの本返してくれない? わたしが寝ている時に、勝手に持っていったでしょう?」
バランはそれに、しばらく考えるような仕草をすると
「あぁ、あの本! 悪いけど、あれは返却不可なんだよ、諦めてくれ」
「!」
「そもそも、地上のものを持ち帰るなんて規則違反だからな。今回は特別に許してあげるけど、次からは気を付けてくれよー?」
トリスは眉を寄せ、中ば睨むようにバランを見るが、彼はそんなことお構いなしに明るい声でその言葉を並べた。
「わかった。次は気を付ける。けど、その本だけは返してほしいのだけれど。人間の文字で書いてある本なんて、あってもなくても同じでしょう?」
「ダメだよ、ダメ! 人口星について書いてある本なんて町民の手元においておけない!」
「! あなた、その本の中身ちゃんと読んだ? 何も悪いことなんて書かれてなかったじゃない」
トリスは必死にそう言葉を返すが、バランは聞く耳を持っていないようだ。ツカツカとカウンターの奥に戻り、ビンで散らかった机の上で立ち止まると、再び戻ってくる。
その手には、見覚えのあるビンを握っていた。
「それより、トリスには、このビンをちゃんと一杯にしてもらわないと。収穫祭の参加者で、君だけだよ? 一杯にできてないの」
「それはっ……確かにそうね」
トリスは返す言葉が見つからず、バランからしぶしぶビンを受け取る。
「やっぱり、収穫祭で収穫できるエネルギーは格別だね。ほんの少しの量で、この建物の照明が十年は持つんだ。ホント、感激だよ!」
バランは微笑んで、天井を見上げた。
そこには、オレンジや黄色の電球がぶら下がっている。言われてみれば、収穫祭前より放つ光が眩しい。
「ねぇバラン。わたしちゃんとビンを一杯にするから、その本返してもらいたい。無理なら、もう一度読ませくれるだけでもいいから」
「……」
煌太からあずかったものだ。簡単に手放すわけにはいかない。それに、あの本の内容を訳してカノやアトリア、街のみんなに読んでもらうことでできれば人口星の…煌太や藍実の印象も変わるはずだ。
バランはそれに、やれやれという風にため息をつくと
「分かったよ。読むだけなら許してあげる。図書館の司書にあずけてあるから、ちゃんとビンを一杯にしてから行くんだよ?」
「……ええ。解っているわ!」
司書をどうにか説得して持ち帰ってしまおう、トリスはそう考えつつ返事をする。
ビンはあと少しで一杯になるので、それほど時間はかからないはずだ。家のポストに届いている「願い事」の手紙でも十分足りるだろう。
「あぁあと、トリスには人口星の危険性について町民に講義してほしい。二週間後の夕方に中央広場で」
「!」
「カノとアトリアにも声をかけたけど、断られてしまったんだよ。もうトリスしかいない、やってくれるだろ?」
バランは再びカウンターの奥に戻ると、手に一枚の書類を持って戻ってくる。それをトリスに手渡すと言った。
「ここに、大筋はまとめておいたから。あとは、トリスが地上で経験した恐怖を語ってくれればいい」
トリスは紙面に目を走らせる。
そこには、人口星の悪いところだけを切り取ったような文面が並んでいた。人口星の願い主の存在も把握しているようだ。おそらく、煌太の本から情報を得たのだろう。
ここに書かれてあることは事実だが、トリスにとっては納得できない内容だった。
確かに人口星は、星の子を消滅させた。けれどそれは、星の子も同じだ。人を殺してと人が願ったとしても、それを叶えるか否かはいつも星の子にかかっている。
それに、煌太はここに書かれてあるような恐ろしい存在ではない。
トリスは、書類を破り捨てたい気持ちをぐっと堪えて
「わかった。わたしにやらせて」
と言っておいた。
そうだ、その日までに「ほしの子とじんこうぼし」の本を取り返せばいい。そして、その内容をそのまま読み上げればいい。そう考えた。




