第九話 治癒術にも、加減がある
翌日。
私は風呂屋の施術室で、自分の両手を見つめていた。
昨日、マルタさんの腰をほぐしていたとき、突然、私の手からこぼれた金白色の光。
あのときの温かさは、まだ覚えている。
「……治癒術、かあ」
マルタさんが口にした言葉を、もう一度つぶやいてみる。
この世界に魔法があることは知っていたけれど、自分にも使えるとは考えたことがなかった。
でも、身体の回復を助ける治癒術というものがあるなら、昨日の光もその一種なのかもしれない。
《コンディション》には【回復補助:適用可能】という表示が出ていた。
それに、マルタさんも施術後は腰が少し楽になったと言っていた。
偶然なのか、本当に治癒術が働いたのか。
確かめてみたい。
試しに右手を広げてみる。
何も起こらない。
左手も広げてみる。
やっぱり、何も起こらない。
「……まあ、そう簡単にはいかないか」
昨日は光を出そうと思ったわけじゃない。
何がきっかけだったのかも、わからないままだ。
それなら、詳しい人に聞いてみるのが早い。
幸い、心当たりはある。
先日、ノアさんの足を診てもらった治癒師のセシルさんだ。
あの人なら、何かわかるかもしれない。
「モニカ、こっちのタオルは?」
棚の前からリリが声をかけてきた。
「それは施術用。上の段にお願い」
「はーい」
リリが背伸びをしてタオルを重ねる。
風呂屋の入浴営業は昼過ぎから。午前中は掃除や湯の準備など、開店に向けた仕事の時間だ。
今日はほぐしの予約も午後からだった。
掃除と洗濯を済ませ、火を使う作業は帰ってから始めることにして、私はリリと一緒にセシルさんの治療所へ向かった。
* * *
セシルさんの治療所は、大通りから一本入ったところにある。
石造りの小さな建物で、入口には乾燥させた薬草が吊るされていた。
扉を開けると、薬草の香りがふわりと漂ってくる。
「こんにちは」
「あら、モニカさん」
奥から現れたセシルさんが、私たちを見て微笑んだ。
「今日はどうしたの? どこか具合でも悪い?」
「いえ、今日は少し相談があって」
「相談?」
「治癒術について、お聞きしたいんです」
セシルさんは少し意外そうな顔をした。
「治癒術?」
「はい。昨日、施術中に手から光が出たんです。もしかしたら治癒術ではないかと思って」
「……そうなの? 詳しく聞かせて」
セシルさんは椅子を勧めてくれた。
私とリリは腰を下ろし、私は昨日の出来事を順番に説明した。
腰の疲れを訴えるマルタさんを施術していたこと。
突然、手のひらが温かくなり、金白色の光が現れたこと。
マルタさん自身もその光を見ていて、施術後には腰が少し楽になったと話していたこと。
そして、痛みやしびれ、気分の悪さなどがないか確認し、施術を中断したこと。
《コンディション》については、まだ話さなかった。
あの表示と光の関係が自分でもわからない以上、まずは実際に起きた現象について聞いてみたかったからだ。
「……ということがあったんです」
話し終えると、セシルさんは少し考え込んだ。
「金白色の光、ね。それは、あなたが意識して出したもの?」
「いいえ。いつもどおり施術していただけなんです」
「そう……。確かに、治癒術の可能性はあるわね」
「やっぱり、そう思いますか?」
「ええ。ただ、実際に見ていないから断言はできないわ」
セシルさんは私の手を見た。
「治癒術は、魔法の中でも身体の回復を助けるための技術なの。あなたの話は、それに近いわ」
「セシルさんも治癒術を使えるんですよね?」
「ええ。私が扱えるのは、軽い傷や疲労の回復を助ける程度のものだけれど」
そう言うと、セシルさんは右手を差し出した。
「少し見せましょうか」
その手のひらに、淡い緑色の光が浮かんだ。
小さく、穏やかな光。
私は思わず息をのんだ。
昨日、私の手からこぼれた金白色の光とは違う。
けれど、どちらも手のひらに現れた、不思議な光だった。
「昨日の光とは、ずいぶん違いますね」
「そうね。でも、光の色だけで術の性質が決まるわけではないの。使い手によって違うこともあるから」
「じゃあ、私のものが同じ治癒術なのかは……」
「まだわからないわ。実際に見ていないもの」
セシルさんは私の手に視線を落とした。
「ただ、身体に触れているときに光が現れて、相手の疲労が軽くなったのなら、回復を助ける働きをした可能性はあるわね」
私はうなずいた。
《コンディション》に表示された【回復補助】という言葉が頭をよぎる。
やはり、何か関係があるのかもしれない。
* * *
「ところで、モニカさん」
「はい?」
「昨日、光が出たあと、施術は続けたの?」
「いいえ。何が起きたのかわからなかったので、そこで中断しました」
「それはよかったわ」
セシルさんは安心したようにうなずいた。
「治癒術は、強く使えばいいというものではないの」
「強く使うと、問題があるんですか?」
「場合によってはね。回復を助ける術でも、相手の身体に負担をかけることがあるわ」
「……なるほど」
私は昨日の表示を思い出した。
【推奨:微弱・短時間】
【注意:過剰な付与を避けること】
あの注意書きには、やはり意味があったらしい。
「相手の状態に合わせて、加減する必要があるんですね」
「ええ。それに、治癒術だけで何でも治せるわけではないのよ」
セシルさんは棚から薬草の入った小さな袋を取り出した。
「たとえば、汚れた傷なら、まずはきれいにして手当てをしなければならない。治癒術を使ったからといって、汚れまで消えるわけじゃないもの」
「病気の場合も同じですか?」
「病によって違うわ。術で楽になる人もいれば、ほとんど変わらない人もいる。治癒術だけではどうにもならない病もあるの」
「そうですか……」
魔法と聞くと、何でも治せそうな気がしてしまう。
でも、実際にはそう簡単ではないらしい。
「施術と似ていますね」
私が言うと、セシルさんが顔を上げた。
「似ている?」
「はい。身体が疲れているからといって、強く揉めばいいわけではありません。相手の状態を確かめながら、力加減や施術する場所を変える必要がありますから」
「なるほど。確かに、考え方は近いわね」
セシルさんは少し考えるように私を見た。
「そういえば、ノアさんの足を診るよう勧めたのも、あなたでしたね」
「はい。腫れや赤みがあったので、あのまま揉むのは危険だと思ったんです」
「あの判断は適切だったわ。治療所に来てもらえてよかった」
「その後、ノアさんの具合はいかがですか?」
「今のところは落ち着いているわ。ただ、しばらく無理をしないように伝えてあるの」
「それなら、よかったです」
私はほっと息をついた。
あのとき、無理に施術しなくて本当によかった。
「あなたの施術についても、今度詳しく聞いてみたいわね」
「私の施術、ですか?」
「ええ。どうやって身体の状態を確かめているのか、興味があるわ」
「それなら、ぜひ。私もセシルさんに教えていただきたいことがあります」
同じ身体を扱う仕事でも、知識や方法は違う。
お互いに知らないことを教え合えたら、役に立つこともありそうだ。
* * *
「ひとつ、聞いてもいいかしら」
セシルさんが言った。
「はい」
「昨日その光が出たとき、何を考えていたの?」
「何を、ですか?」
私は少し考えた。
マルタさんの腰は、いつもより張っていた。
強く押しすぎないように気をつけながら、筋肉の状態を確かめていた。
「少しでも楽になってもらえたら、とは思っていました」
「そう」
セシルさんはうなずいた。
「治癒術は、使い手の意識に反応することがあるの。もちろん、願えば誰でも使えるというわけではないけれどね」
「意識……」
「あなたの場合も、何かのきっかけで力が働いたのかもしれないわ」
私は自分の手を見下ろした。
確かに、マルタさんに楽になってほしいとは思っていた。
でも、それはいつものことだ。
前世でも、こちらに来てからも。
お客様に触れるときは、いつもそう思っている。
それなのに、どうして昨日だけ光ったんだろう。
「……まだ、わからないですね」
「ええ。今の話だけでは、何とも言えないわ」
セシルさんは穏やかに答えた。
「もしまた光が出たら、まずは施術を止めて、相手の状態を確かめることね。無理に力を出そうともしないこと」
「はい」
「それから、何が起きたのか記録しておくといいわ。いつ、どんな状態で光ったのか。相手に変化があったのか」
「それなら、普段の施術でも記録をつけています」
「あら、そうなの。それは役に立ちそうね」
私は少し安心した。
これまで仕事で続けてきたことが、こちらの世界でも役に立ちそうだ。
「セシルさん。また何かわかったら、相談に来てもいいですか?」
「もちろんよ。私にもわからないことはあるけれど、力になれることがあればね」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
治癒術を使うのに、誰かの許可が必要なわけではない。
けれど、お客様の身体に関わることだ。
わからないまま試すより、経験のある人に相談できる方がずっといい。
* * *
治療所を出ると、通りには明るい陽射しが降り注いでいた。
店先では商人たちが客を呼び込み、荷車が石畳をがたがたと走っていく。
「モニカ、もうお店に戻る?」
リリが隣から尋ねてきた。
「その前に、マルタさんのところに寄ってもいい?」
「昨日のお客さん?」
「そう。腰の具合を確認しておきたくて」
「じゃあ、こっちの道が近いよ」
リリが角を曲がった。
私はその後を追いながら、セシルさんの話を思い返していた。
治癒術は魔法の一種。
けれど、誰でも使えるわけではないし、何でも治せるわけでもない。
昨日の金白色の光が、セシルさんの使う治癒術と同じものなのかも、まだわからない。
「モニカ?」
「ん?」
「そっちじゃないよ」
「あっ」
考え事をしているうちに、曲がる角を通り過ぎていた。
リリが立ち止まって、私を待っている。
「ごめんごめん」
私は慌てて引き返した。
「何か考えてたの?」
「うん。ちょっとね」
「ふうん」
リリはそれ以上聞かず、また歩き出した。
私はその隣に並ぶ。
まずはマルタさんの体調を確かめよう。
それから風呂屋に戻って、午後の営業準備だ。
わからないことはまだあるけれど、仕事を止めるわけにはいかない。
私はリリと一緒に、石畳の道を歩いていった。




