第六話 騎士団長が、もう一度来た理由
五の鐘が鳴る少し前。
私は施術台に新しい布を敷き、予約表を確認した。
『カイル 五の鐘』
三日前に初めて来てくれた、あの無愛想なお客さんだ。
「モニカ、今日の予約って、カイルさん?」
受付台で布巾を畳んでいたリリが顔を上げた。
「そうだよ。覚えてた?」
「うん! 前に来た、背の高い人でしょ。ちょっと怖い顔の」
「ふふ。そうだったね」
「今日は笑ってくれるかな?」
「どうだろう。でも、前より元気になってくれたら嬉しいな」
リリは「うん!」と頷き、受付台の端に置いた白い石をちょこんと直した。
川辺で拾って、私にくれた石だ。
淡い桃色の筋が入っていて、朝の光に当たるときれいに見える。
「ここに置いたら、お客さんにも見えるね」
「いい場所だね。ありがとう」
リリが嬉しそうに笑う。
この子は最近、私が頼む前に、店のことを考えて動いてくれるようになった。
それが、なんだかたまらなく嬉しい。
前世で後輩の美咲が初めて自分から仕事の改善案を持ってきた時も、こんな気持ちだった。
教えたことが、誰かの中で育っていく。
私は、その瞬間が好きだ。
ちょうど五の鐘が鳴り始めた頃、入口の扉が開いた。
「予約した者だ」
低い声。
濃い色の外套を羽織った大柄な男が、入口に立っていた。
「カイルさん。お待ちしていました」
「ああ」
カイルさんは店内を一度見渡した。
受付。
浴場へ続く廊下。
奥の施術台。
そして、ほかに客がいないことを確かめるように視線を動かす。
「今日はちゃんと休むつもりで来てくれました?」
「……前回も、そのつもりだった」
「前回は『疲れていない』っておっしゃってましたけど」
「…………」
リリが私の後ろで、くすっと笑った。
カイルさんの視線がそちらへ向く。
リリは慌てて背筋を伸ばした。
「い、いらっしゃいませ!」
「……ああ。今日も世話になる」
そう言って、カイルさんは小さく頭を下げた。
リリが目を丸くする。
私は思わず微笑んだ。
やっぱり、この人は怖い人じゃない。
ちょっと顔が怖いだけだ。
◇
「前回のあと、身体の調子はいかがでした?」
施術台へ案内しながら尋ねる。
「右腕が動かしやすくなった」
「それはよかったです。眠れました?」
「……その日の夜はな」
「その日の夜は?」
「久しぶりに、途中で目を覚まさなかった」
私は嬉しくなった。
「それは大きな変化ですね」
「そうなのか」
「はい。眠れるだけで、身体の回復はずいぶん違いますから」
カイルさんは、少し考えるような顔をした。
「……だが、次の日からは元に戻った」
「そうでしたか」
私は頷いた。
一度の施術で、長年の疲労が全部消えるわけじゃない。
特に、この人のように毎日身体を酷使している人なら、なおさらだ。
「では、今日の状態を見てみましょう」
カイルさんが施術台にうつ伏せになる。
私は肩にそっと手を置いた。
その瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。
【カイル・レグナード】
【疲労:76】
【右肩:筋緊張・重度/炎症の兆候】
【左腰部:筋疲労・中度】
【睡眠不足:重度】
【精神状態:警戒/焦燥/罪悪感】
前回の疲労は九十一。
少し下がっている。
でも、まだかなり高い。
それに、右肩の強張りは相変わらずだ。
……ん?
私は表示を見つめた。
前回は、施術を始める前に状態を確認しただけだった。
でも、これって。
施術している間も、変化を見られるんじゃない?
そう思った瞬間、胸の奥が少し弾んだ。
もしそうなら、ものすごく便利だ。
前世では、筋肉の状態を手で確かめたり、お客さんの表情や呼吸を見たりして、施術の強さや場所を調整していた。
それが、目に見える形で確認できるなら。
……試してみたい。
もちろん、お客さんの身体で無茶な実験をするつもりはない。
いつもどおり、丁寧に施術する。
そのうえで、表示がどう変わるかを観察してみよう。
「カイルさん。今日は肩の周りから、ゆっくり緩めていきますね」
「任せる」
私は思わず笑みを浮かべた。
前回は「もっと強く押せ」と言っていた人が、今日は「任せる」。
この変化も、嬉しい。
◇
砂時計をひっくり返す。
私は右肩そのものを強く押さず、肩甲骨の周りからゆっくり手を入れた。
硬い。
まるで、分厚い革を何枚も重ねたような感触だ。
「痛みはありませんか?」
「問題ない」
「我慢してません?」
「していない」
「じゃあ、少しだけ肩の力を抜いてみてください」
「……抜いている」
私は手を止めた。
「カイルさん。今、右手を軽く握ってみてもらえますか?」
「こうか」
「はい。では、力を抜いて」
握られた手が開く。
「今、手の力が抜けたのは分かります?」
「……ああ」
「肩でも同じことが起きるんです。でも、長い間力を入れ続けていると、本人はそれが普通だと思ってしまうことがあります」
「……そんなことがあるのか」
「ありますよ」
私は再び手を動かした。
剣を振る仕事をしていると言っていた。
右肩への負担が大きいのも、納得できる。
でも、仕事で使った筋肉が疲れているだけなら、休息によってある程度は緩むはずだ。
この人は、施術台に横になっていても肩に力が入っている。
……何か、ほかにも理由があるのかな。
私は視界の表示に意識を向けた。
【右肩:筋緊張・重度】
肩甲骨の内側をゆっくり緩める。
呼吸に合わせて、手の圧を少しずつ変える。
しばらくすると。
【右肩:筋緊張・中度】
……変わった!
私は心の中で小さく拳を握った。
やっぱり、施術中でも変化が分かる。
これはすごい。
筋肉が緩んだ感触と、表示の変化が一致している。
前世の経験が、目に見える形で確かめられるんだ。
「少し肩が楽になってきませんか?」
「……ああ。さっきより軽い」
「よかったです」
私は嬉しくなって、もう少し続けた。
その時だった。
「カイルさん、お仕事では、休む時間は取れています?」
「……俺は問題ない」
短い返事。
「部下の方たちも、ちゃんと休めていますか?」
「…………」
カイルさんの呼吸が、一瞬止まった。
同時に、指先に感じていた肩の柔らかさが消えた。
え?
視界の表示が揺れる。
【右肩:筋緊張・中度 → 重度】
【精神状態:罪悪感・上昇】
私は思わず手を止めた。
今、何が起きた?
部下の話をした途端、緩んでいた肩が再び硬くなった。
身体を動かしたわけじゃない。
なのに、こんなに変わるなんて。
「……どうした」
カイルさんが低い声で尋ねる。
「いえ。少し、肩に力が戻ったので」
「……そうか」
私は表示を見つめた。
【精神状態:警戒/罪悪感】
罪悪感。
何か、気にかかっていることがあるのだろうか。
でも、理由は分からない。
このスキルが教えてくれるのは、身体と心の状態だけ。
その人が何を経験し、何を背負っているのかまでは、教えてくれない。
だから、勝手に決めつけちゃいけない。
私は少しだけ声を落とした。
「カイルさん」
「何だ」
「今は、部下の方たちのことを考えなくても大丈夫ですよ」
「……何?」
「この半刻だけは、ご自分の身体を休ませる時間にしましょう」
返事はなかった。
私は続けた。
「お仕事のことは、施術が終わってから考えても間に合います」
「…………」
「ここでは、頑張らなくていいんです」
長い沈黙があった。
やがて、カイルさんが小さく息を吐いた。
「……そう簡単にはいかん」
「そうですよね」
私は頷いた。
「じゃあ、まずは練習しましょう」
「……練習?」
「はい。休む練習です」
カイルさんが少しだけ顔を動かした。
「剣も、最初から上手に振れたわけじゃないでしょう?」
「……当然だ」
「休むのも同じです。最初から上手に力を抜けなくてもいいんですよ」
「……妙なことを言う女だ」
「よく言われます」
カイルさんの口元が、わずかに動いた。
私はそのまま、ゆっくりと施術を続けた。
肩に触れる手を急がせず、呼吸が深くなるのを待つ。
一度、二度。
少しずつ、背中の動きが大きくなった。
そして。
【精神状態:警戒・低下】
【右肩:筋緊張・重度 → 中度】
……戻った。
私は目を見開いた。
施術で筋肉を緩める。
仕事の話で、また強張る。
安心してもらうと、再び緩む。
身体の緊張と、心の緊張。
この二つは、こんなにもはっきり結びついているんだ。
もちろん、前世でも知識としては分かっていた。
でも、ここまで目に見える形で確かめられたことはない。
……面白い。
このスキル、本当に面白い!
ただ硬いところを探すだけじゃない。
何をすると身体が楽になって、何をすると再び強張るのか。
それを見ながら、施術を組み立てられる。
私は嬉しくなった。
もっと勉強したい。
もっといろんな身体を見てみたい。
この世界で、私にできることは、思っていたよりずっと多いのかもしれない。
◇
半刻が終わる頃。
カイルさんの呼吸は、すっかり落ち着いていた。
「終わりました。ゆっくり起きてくださいね」
「ああ」
カイルさんは身体を起こし、右腕を慎重に動かした。
前へ。
横へ。
それから、少し後ろへ。
「……動くな」
「痛みは?」
「いつもより少ない」
「よかったです。でも、痛みがあるところは無理をしないでくださいね。炎症の可能性もありますから、痛みが続くようなら治療師さんにも診てもらってください」
「分かった」
私は水の入った杯を渡した。
カイルさんは一口飲み、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……不思議だな」
「何がですか?」
「肩を触られていただけなのに、頭の中まで静かになった」
私は微笑んだ。
「それは、よかったです」
「……普段は、横になっても考え事が止まらん」
「責任のあるお仕事なんですね」
「……まあな」
カイルさんは杯を見つめた。
「休めと言われても、何をすればいいのか分からなかった」
私は少しだけ胸が熱くなった。
前世にも、そういうお客さんがいた。
仕事を頑張ることは得意なのに、休むことは苦手な人。
誰かのために動くことには慣れているのに、自分のために時間を使うことに慣れていない人。
「じゃあ、ここに来た時は、私に任せてください」
「……ああ」
「休むのが苦手な方を休ませるのも、私の仕事ですから」
カイルさんは、私をじっと見た。
そして。
「……頼もしいな」
そう言って、ほんの少し笑った。
今度こそ、はっきりと。
◇
受付へ戻ると、リリが待っていた。
「カイルさん、お水どうぞ!」
「……ありがとう」
カイルさんが杯を受け取る。
リリは嬉しそうに笑った。
「今日は、前より元気そう!」
「そう見えるか」
「うん!」
カイルさんは少しだけ目を細めた。
「……そうか」
私は会計を済ませた。
二回目のほぐしなので、銅貨十五枚。
カイルさんはきっちり十五枚を置いた。
それから、ふと尋ねた。
「一つ、聞きたい」
「はい?」
「ここは、誰でも来られるのか」
「もちろんです」
「……身分や職業に関係なく?」
私は首を傾げた。
「はい。どうしてですか?」
「いや……」
カイルさんは少し考えてから言った。
「貴族でも、兵士でも、身分の低い者でもか」
私は思わず笑った。
「カイルさん」
「何だ」
「肩の強張りに、身分ってあります?」
「…………」
「偉い人の肩だけ特別に硬いとか、そういうことはないでしょう?」
カイルさんが目を瞬いた。
「……ないな」
「ですよね」
私は頷いた。
「身体に身分なんて書いてありませんから」
カイルさんは、しばらく私を見つめていた。
何かを考えるような、静かな目だった。
「……そうか」
低い声で、彼は繰り返した。
「身体に、身分はないか」
「ただし、予約は必要です」
「……予約?」
「はい。身分に関係なく、先に予約した方が優先です」
一瞬の沈黙。
それから。
「……ふっ」
カイルさんが笑った。
今度は、リリにも分かるくらいに。
「お前は、本当に変わった女だ」
「よく言われます」
私は笑顔で答えた。
カイルさんは再び、浴場へ続く廊下に目を向けた。
「……ここは、人の出入りが多いのか」
「お風呂屋ですからね。お客さんは入れ替わりでいらっしゃいます」
「施術中に、ほかの客が来ることも?」
「ありますよ。今は私一人なので、受付に出ることもあります」
「……そうか」
カイルさんは何か考えるように黙った。
「どうかしました?」
「いや。誰もが、ここで横になれるわけではないと思ってな」
私は少し考えた。
確かに。
知らない人が出入りする場所では、落ち着けない人もいるだろう。
人に顔を見られたくない人だっている。
それに、立場によっては護衛や安全面の問題もあるかもしれない。
「そうですね。安心して休める環境も、大切ですから」
カイルさんが、こちらを見た。
「……そう思うか」
「はい。どんなに施術が上手でも、落ち着けなかったら意味がありません」
私は店内を見回した。
今は、施術台が一つ。
入口から奥まで、仕切りらしい仕切りもない。
いつか、ちゃんとした個室も作りたいな。
でも、まずは借金を返さないと。
「少しずつ、店も整えていきたいと思っています」
「……そうか」
カイルさんは、それ以上は何も言わなかった。
◇
外套を羽織りながら、カイルさんが口を開いた。
「……もう一つ、相談がある」
「はい」
「俺の部下にも、身体を痛めている者が多い」
「そうなんですね」
「剣を振る者、馬に乗る者、重い装備を背負う者。皆、どこかしら無理をしている」
私は思わず身を乗り出した。
剣。
乗馬。
重い装備。
どれも、前世ではなかなか出会わなかった身体の使い方だ。
どんなところに負担がかかるんだろう。
姿勢は?
筋肉の使い方は?
……見てみたい。
いや、もちろん、困っている人を楽にするのが先だけど。
「そういう方にも、ほぐしは役に立つと思います。ただ、怪我をしている方は、先に治療が必要です」
「承知している」
「お仕事によって、疲れる場所も違うでしょうし。一人ずつ状態を見て、施術を考えたいですね」
カイルさんは、少し驚いたように私を見た。
「……一人ずつ?」
「はい。同じ兵士さんでも、身体は違いますから」
「……なるほど」
彼は一度、頷いた。
「では、何人かここへ寄越してもいいか」
紹介。
それも、複数人!
「もちろん、歓迎します!」
私は即答した。
でも、すぐに昨日作った予約表が頭に浮かんだ。
……あ。
施術できるの、私一人だった。
「ただ、今は一度に大勢の方を施術できないので、予約を取って順番に来ていただけると助かります」
「それで構わん」
「ありがとうございます。皆さんのお身体の状態に合わせて、できることを考えますね」
カイルさんは、しばらく私を見ていた。
そして、静かに言った。
「……頼りにしている」
その言葉が、胸にじんわりと染みた。
私の仕事を信頼してもらえる。
その人が、大切な仲間を紹介してくれる。
十四年間、この仕事をしてきたけれど。
やっぱり、何度経験しても嬉しい。
「はい。お任せください」
私は胸を張って答えた。
◇
カイルさんが帰ったあと。
リリが入口から顔を出した。
「モニカ!」
「どうしたの?」
「あの人、今日、笑ったね!」
「見た?」
「うん! 前は怖い顔だったのに」
「そうだね」
「身体が楽になると、笑えるようになるの?」
私は少し考えた。
「それだけじゃないけど、身体が楽になると、気持ちにも余裕ができることはあるよ」
「へえ……」
リリが自分の肩に触れた。
「肩って、硬くなるんだね」
「そうだよ。ちょっと試してみる?」
「うん!」
「じゃあ、手をぎゅっと握って」
リリが小さな拳を作る。
「今、腕に力が入ってるでしょ?」
「うん!」
「じゃあ、手を開いて」
ぱっ。
「……あ! やわらかくなった!」
「肩や背中でも、似たことが起きるんだよ」
「知らなかった!」
リリは目を輝かせた。
「じゃあ、カイルさんは、ずっとぎゅってしてたの?」
「そういうこと。自分でも気づかないうちにね」
「そっかあ……」
リリは少し考えたあと、にっこり笑った。
「じゃあ、今日はちゃんと、ぱってできたんだね!」
私は思わず笑った。
「うん。そうだね」
その言い方、いいな。
私は心の中で、そっと覚えておいた。
子どもの言葉って、時々、大人の説明よりずっと分かりやすい。
私は受付台の予約表を開いた。
カイルさんが部下を紹介してくれるかもしれない。
新しいお客さん。
新しい身体の使い方。
新しい発見。
そして、今日分かったことがもう一つ。
《コンディション》は、施術の前後だけじゃない。
施術中の小さな変化まで、見せてくれる。
これは、すごいことだ。
同じ人の身体でも、触れ方や言葉のかけ方によって、状態が変わる。
その変化を確かめながら、もっとその人に合った施術ができる。
……私、まだまだ上手くなれる。
異世界に来てから、知らないことばかりだった。
でも、知らないことがあるって、こんなに楽しい。
私は炭筆を取り、予約表の横に新しい紙を置いた。
『施術中の変化について』
今日気づいたことを、忘れないうちに書いておこう。
「モニカ、何書いてるの?」
「今日のお勉強」
「私も見ていい?」
「もちろん。一緒に覚えようか」
「うん!」
リリが隣に椅子を寄せる。
私は笑って、最初の一行を書いた。
『身体の強張りには、仕事の負担だけでなく、気持ちの緊張も関わることがある』
小さな浴場。
古い釜。
まだまだ空きの多い予約表。
借金だって、たっぷり残っている。
でも、ここを頼りにしてくれる人が、少しずつ増えている。
そして私は、まだ知らない可能性を見つけた。
この仕事、やっぱり最高だ。
◇
王城にほど近い、第一騎士団の詰所。
「団長、お帰りなさい!」
若い騎士が立ち上がった。
カイル・レグナードは外套を脱ぎ、椅子の背に掛けた。
「ああ」
「……団長?」
「何だ」
「今日は、機嫌がよさそうですね」
カイルは眉を寄せた。
「そう見えるか」
「はい。いつもより、ずっと」
若い騎士は、思わず口にしたことを後悔した。
だが、カイルは怒らなかった。
代わりに、自分の右肩を軽く回した。
「……少し、身体が楽になった」
「え?」
「お前、以前から腰が痛いと言っていたな」
「は、はい」
「今度、いい店を教えてやる」
若い騎士が目を丸くした。
あの団長が。
部下に、店を紹介する?
「……団長、どこか具合でも悪いんですか?」
「なぜそうなる」
「い、いえ!」
カイルは小さく息を吐いた。
そして、窓の外に目を向けた。
古い浴場で出会った女。
身分を尋ねても、態度を変えなかった。
部下を紹介したいと言えば、人数より先に怪我の有無を気にした。
そして、あの言葉。
『身体に身分なんて書いてありませんから』
カイルは、ふっと口元を緩めた。
「……妙な女だ」
「団長?」
「何でもない」
彼は机に向かい、積まれた書類の一枚を手に取った。
その右肩は、いつもより少し軽かった。
王国第一騎士団団長、カイル・レグナード。
その男が、小さな浴場の名前を部下に教え始めたことを。
浴場の女主人は、まだ知らなかった。




