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第三話 異世界で、最初の指名をもらいました

「客連れてきた!」


 朝。


 浴場の扉を開けて間もなく、リリが飛び込んできた。


「昨日の果物二個分! これでチャラだからな!」


「チャラって……」


 その後ろに、一人の男が立っている。


 三十代くらい。


 日に焼けた顔。


 太い腕。


 服には細かな木屑がついていた。


「この人、肩痛いって言ってた」


「痛いとは言ってねえ。重いって言ったんだ」


「同じだろ」


「違う」


「同じ」


 朝から元気だなあ。


 私は男を見る。


「えっと……」


「ローデンだ」


「ローデンさん。お風呂ですか?」


「いや」


 ローデンさんは少し居心地悪そうに首の後ろを掻いた。


「こいつが、身体を楽にしてくれる奴がいるって」


 リリを見る。


 胸を張っている。


 いつから私の営業担当になったんだろう。


「施術ですね」


「せじゅつ?」


「身体をほぐす仕事です」


「ああ。それ」


 まだ、この世界では私のやっていることにぴったり当てはまる呼び方がない。


 揉む。


 ほぐす。


 治療。


 どれも少し違う。


「先に一つだけ。私は治療師じゃありません」


「治療師?」


「怪我や病気を治すことはできません。痛みが強かったり、明らかに怪我をしていたりするなら、治療師のところへ行ってください」


「別に怪我じゃねえよ」


「じゃあ、どんな感じです?」


「肩が重い。あと腰」


「仕事は?」


「木材運んだり、削ったりだな」


 なるほど。


 昨日、街を歩いて見た人たちと同じだ。


 病気じゃない。


 でも、疲れている。


「分かりました」


「で、何するんだ?」


「あなたが明日、今日より少し楽に働けるようにします」


 ローデンさんが、少しだけ目を丸くした。


「……治すんじゃなくて?」


「治しません」


「楽にする?」


「はい」


「変なの」


「よく言われます」


 この世界では、まだ誰にも言われてないけど。


挿絵(By みてみん)



 問題は場所だった。


 施術台なんてない。


 ベッドもない。


 仕方なく、床に布を何枚か重ねた。


「ここにうつ伏せでお願いします」


「床で?」


「今だけです」


「本当に大丈夫か?」


「私も不安になってきたので言わないでください」


「おい」


 設備。


 絶対に必要。


 頭の中の買い物リストに追加する。


 施術台。


 タオル。


 できれば着替え。


 オイルは高いから後回し。


 あと――時間を測るもの。


 この世界に時計はあるのだろうか。


「じゃあ、触りますね」


「ああ」


 肩に手を置く。


 瞬間。


 視界の端に文字が浮かんだ。


【ローデン】


【疲労:68】


【右肩:筋緊張・中度】


【腰部:筋疲労】


【睡眠不足:軽度】


【精神状態:警戒/好奇心】


 やっぱり出た。


 《コンディション》。


挿絵(By みてみん)


 昨日、バルドさんに触れた時と同じだ。


 でも。


 私は表示をそのまま答えにはしない。


「右肩、よく使います?」


「なんで分かる?」


「触れば分かります」


「まだ触っただけだろ」


「だから分かるんです」


 実際。


 前世でも、ある程度は分かった。


 筋肉の硬さ。


 左右差。


 姿勢。


 呼吸。


 動かし方。


 《コンディション》は、それを数字や言葉にして見せてくれているだけだ。


 少なくとも私は、そう考えることにした。


 能力があるからできるんじゃない。


 十四年やってきた私が、この能力を使う。


 そこは間違えたくない。


「痛かったら言ってくださいね」


「強い方が効くんじゃねえのか?」


「効きません」


「そうなのか?」


「必要以上に強くしたら、ただ痛いだけです」


「治療院じゃ、痛いくらい揉まれるぞ」


「私は治療師じゃないので」


 肩甲骨の周り。


 首。


 腕。


 腰。


 状態を見ながら、順番に触れていく。


 硬いところだけを力任せに押さない。


 呼吸が浅ければ待つ。


 力が抜ければ、少し深く。


「……変な感じだな」


「痛い?」


「いや」


「じゃあ大丈夫」


「そこ、もうちょい」


「はい」


「……あー」


 声が変わった。


 さっきまで警戒していた身体から、少しずつ力が抜けていく。


 これ。


 この瞬間が好きだった。


 前世でも。


 お客さんが「任せても大丈夫」と身体で判断してくれた瞬間。


 肩が落ちる。


 呼吸が深くなる。


 会話が減る。


 そして。


「……眠い」


「寝てもいいですよ」


「いや、こんなとこで寝るわけ――」


 数分後。


「…………」


 寝た。


 リリが床にしゃがみ込んで、ローデンさんの顔を覗き込んでいる。


「寝た」


「寝たね」


「死んでない?」


「縁起でもないこと言わないで」


「だって動かない」


「呼吸してるでしょ」


「ほんとだ」


「静かに」


 リリは口を閉じた。


 でも、まだ覗いている。


 近い。


「リリ」


「何」


「近い」


「寝てるから分かんない」


「そういう問題じゃない」


 首根っこをつまんで離す。


「子供扱いすんな」


「十歳くらいでしょ」


「たぶん」


 たぶんなんだ。


 しばらくして、ローデンさんが目を覚ました。


「……寝てた?」


「ぐっすり」


「嘘だろ」


「いびきかいてた」


 リリが言う。


「かいてねえ!」


「ちょっとだけ」


「モニカまで!」


 私は笑いながら、起き上がるのを待った。


「肩、動かしてみてください」


「肩?」


「ゆっくり」


 ローデンさんが右腕を回す。


 一度。


 二度。


 そして。


「……軽い」


 声が変わった。


「腰は?」


 身体をひねる。


「こっちも」


「痛みは?」


「ない」


「ならよかった」


 私は息を吐いた。


 《コンディション》を見る。


【疲労:68 → 47】


【右肩:筋緊張・中度 → 軽度】


【腰部:筋疲労 → 軽減】


 下がっている。


 治ったわけじゃない。


 でも。


 楽にはなった。


 それでいい。


「今日は水を多めに飲んで、できれば早く寝てください」


「酒は?」


「ほどほどに」


「禁止じゃないのか」


「禁止って言ったら守る?」


「守らん」


「じゃあ言いません」


「変な女だな」


「よく言われます」


 これも、この世界では二回目くらいかもしれない。


「で、いくらだ?」


 来た。


 一番困る質問。


 値段。


 昨日、街を歩いて調べた。


 風呂は八枚くらい。


 食事。


 宿。


 日雇いの賃金。


 いろいろ見た。


 考えた。


 この施術に、いくらなら払ってもらえるか。


 安すぎても駄目。


 高すぎても来ない。


 そして何より。


 借金返済まで、あと三十日。


「銅貨十枚」


「十?」


「初めてなので」


 言ってから。


 少しだけ不安になる。


 高い?


 安い?


 ローデンさんは財布を出した。


「いいぞ」


 あっさり。


 銅貨を十枚。


 私の手のひらに置く。


 重い。


 たった十枚なのに。


 妙に重かった。


 前世。


 何人のお客さんから、お金を受け取っただろう。


 何百人。


 何千人。


 売上トップ。


 指名売上。


 月間目標。


 客単価。


 数字としてなら、嫌というほど見てきた。


 でも。


 この世界で。


 自分の技術で稼いだ、最初のお金。


「……やった」


「何が?」


「なんでもないです」


 銅貨十枚。


 借金は金貨五枚。


 まだ。


 とんでもなく遠い。


 それでも。


 ゼロじゃない。


「モニカ」


 リリが袖を引っ張った。


「何?」


「私の分は?」


「何の?」


「客連れてきた」


 営業報酬を要求された。


「……朝ごはん食べる?」


「肉?」


「朝から肉は無理」


「じゃあパン」


「はいはい」


「果物も」


「昨日二個あげたでしょ」


「あれは昨日」


「強いな、この子」


 ローデンさんが笑った。


 昼前。


 エリオが浴場に来た。


「お前、何してんだ?」


 床に敷いた布。


 その横でパンを食べているリリ。


 手の中の銅貨。


 そして、妙に機嫌のいい私。


「稼いだ」


「は?」


「十枚」


「何をした」


「施術」


「誰に」


「ローデンさん」


「あいつに?」


「知ってるの?」


「同じ街なんだから知ってる奴くらいいる」


 なるほど。


 この街、思っているより人間関係が近い。


「肩が軽くなったって」


「……十枚?」


「安い?」


「安い」


「やっぱり?」


「風呂が六枚だぞ」


「でも初回だし」


「その初回ってのがよく分からん」


 そうだ。


 この世界には初回価格という概念がないのかもしれない。


 いや。


 あるかもしれないけど、少なくとも一般的ではない。


「次から十五枚にしようかな」


「最初から十五でよかったんじゃねえか?」


「それを今言わないで」


 でも。


 十五枚。


 たぶん、そのくらいならいける。


 お風呂より高い。


 でも、治療院ほど重くない。


 疲れている人が、たまに自分のために払える金額。


 その辺りを探していくしかない。


「それよりエリオ」


「嫌な予感しかしねえ」


「作ってほしいものがある」


「やっぱりか」


「人が横になれる台」


「台?」


「このくらいの高さで、これくらいの幅で――」


 手で示す。


「人が乗るんだぞ?」


「うん」


「壊れたら死ぬぞ」


「死なないように作って」


「簡単に言うな!」


「できる?」


「……できる」


「さすが」


「その顔やめろ。タダでは作らねえぞ」


「借金で」


「お前は借金増やしてどうする!」


「じゃあ出世払い」


「もっと悪い!」


 リリがパンを食べながら笑っている。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 浴場に、人の声が戻った。


 その日の夕方。


 私は一人で売上を数えていた。


 銅貨十枚。


 何度数えても十枚。


「一人で十枚」


 一日五人なら五十枚。


 毎日来るわけじゃない。


 客もまだいない。


 風呂の売上も必要。


 借金もある。


 食費もある。


 設備もいる。


 現実は厳しい。


 でも。


 道は見えた。


 お風呂に入る人。


 身体をほぐしに来る人。


 両方が、この場所に来る。


 ここを。


 ただ身体を洗うだけの場所じゃなくする。


 疲れた人が。


 少しだけ楽になって帰れる場所にする。


「……できる」


 言葉にする。


「できるよ」


 誰に言ったわけでもない。


 自分に言った。


 三日後。


 昼を少し過ぎたころ。


「いるか?」


 聞き覚えのある声がした。


 扉を見る。


 ローデンさんだった。


「いらっしゃいませ」


「風呂じゃないぞ」


「じゃあ施術?」


「ああ」


 少し照れくさそうに右肩を回す。


「また重くなってきた」


「仕事したら戻りますよ」


「そういうもんなのか?」


「そういうものです」


 疲れない身体なんてない。


 だから。


 楽になりたい時に、また来てもらえばいい。


 ローデンさんが床に敷いた布を見た。


「今日もここ?」


「今、エリオに台を作ってもらってます」


「まだできてねえのか」


「注文が細かいって怒られてます」


「想像つくな」


 笑ってから。


 ローデンさんは私を見た。


「今日も、お前に頼めるか?」


「…………」


「なんだよ」


「いえ」


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


 前世では。


 何度も聞いた言葉だった。


 月城さんで。


 次も月城さんに。


 指名でお願いします。


 当たり前になるくらい。


 何度も。


 でも。


 ここでは初めてだった。


「もちろんです」


 私は笑った。


「任せてください」


 異世界に来て。


 何も持っていないと思っていた。


 店は潰れかけ。


 借金は金貨五枚。


 この世界の常識も知らない。


 元のモニカの記憶さえない。


 それでも。


 十四年間、積み上げてきたものは。


 ちゃんと、私の中に残っていた。


 二度目の人生。


 最初の指名を、もらった。

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