第十八話 勝利を支える手
王都の騎士団演武場は、朝から大勢の人々で賑わっていた。
年に一度の、第一騎士団と第二騎士団による対抗戦。
両騎士団から選ばれた五人が、一対一の模擬試合で勝敗を競う。先に三勝した騎士団が勝者となる。
観覧席には騎士の家族や関係者が集まり、試合の開始を待ちわびていた。
「わあ……すごい人ですね!」
フィオナが目を丸くする。
「本当ね。騎士団の対抗戦って、こんなに人気があるのね」
モニカも演武場を見渡した。
今日は風呂屋をミーナとリリに任せ、フィオナと二人で応援に来ている。
もちろん、ただ試合を楽しみに来たわけではない。
第一騎士団の面々が、これまでの訓練の成果を十分に発揮できるか。
身体の状態を整える手伝いをした者として、気になるところだった。
「あっ、皆さんが出てきました!」
フィオナが指さした先に、第一騎士団の選手たちが姿を現した。
レオン、ティナ、ガレス、クラウディア。そして団長のカイル。
モニカは一人ひとりの歩き方や姿勢を確認した。
レオンの足取りは軽い。
ティナも元気いっぱいだが、以前のように落ち着きなく跳ね回ってはいない。
ガレスは大きな肩をゆったりと動かし、カイルはいつもどおり穏やかな表情をしている。
そしてクラウディア。
銀灰色の髪を高く結い、白と黒を基調とした軽装の防具を身につけた彼女は、静かな眼差しで演武場を見つめていた。
「クラウディア様、今日は肩が上がっていませんね」
フィオナが小声で言った。
「そうね。いい状態だと思うわ」
モニカは頷いた。
身体の疲れを取ったからといって、剣の腕が突然上がるわけではない。
けれど、積み重ねてきた努力を、身体の不調で台無しにしないこと。
それも、セラピストの大切な仕事だった。
◇
「クラウディア」
試合前の整列を終えたところで、一人の女騎士が声をかけた。
背が高く、引き締まった身体を堂々と支えている。濃い灰褐色の髪を後ろで束ね、鋭い眼差しを持つ女性だった。
第二騎士団長、アストリッド。
「ご無沙汰しております、アストリッド団長」
クラウディアが礼儀正しく頭を下げる。
「聞いたぞ。最近は訓練を早めに切り上げて、風呂屋に通っているそうじゃないか」
「はい」
「随分と余裕があるんだな」
その声には、わずかな皮肉が混じっていた。
以前のクラウディアなら、すぐに反論したかもしれない。
誰よりも鍛えていることを証明しなければ、女性である自分は認められない。
そう信じてきたのだから。
だが、今日は違った。
「おかげさまで、身体の調子はとてもいいです」
クラウディアは穏やかに答えた。
アストリッドの眉がわずかに動く。
「……そうか。ならば、試合で見せてもらおう」
「はい。楽しみにしております」
二人が別れたところへ、赤褐色の髪を編み込んだ若い女騎士が近づいてきた。
「団長、あの方がクラウディア副団長ですか?」
「ああ」
「綺麗な方ですね。もっと怖い人かと思っていました」
「剣を合わせれば分かる」
アストリッドは短く答えた。
若い女騎士――ロザリアは、楽しそうに笑った。
「ふふっ。一度、お相手していただきたいですね」
◇
第一試合は、第一騎士団のレオンと第二騎士団のシオン。
若いレオンは、演武場の中央で何度か足踏みをした。
以前なら、試合前から全力で地面を蹴り、身体を温めようとしていただろう。
しかし今日は、ゆっくりと足首を動かし、呼吸を整えている。
その姿を見て、フィオナが小さく微笑んだ。
「レオンさん、ちゃんと気をつけていますね」
「ええ。フィオナが気づいてくれたおかげね」
数日前。
フィオナは《筋緊張視》によって、レオンの脚に不自然な緊張が集中していることを見つけていた。
本人は痛みを我慢していたが、そのまま訓練を続ければ、試合どころではなくなっていたかもしれない。
モニカは無理な施術を避け、まず休息を取らせた。
痛みが落ち着いてから、脚の状態を確認し、負担の少ない身体の使い方について話したのだった。
『レオン様、踏み込むとき、後ろ脚で地面を強く蹴りすぎていませんか?』
『えっ? 速く動くには、思いきり蹴った方がいいと思ってました』
『もちろん、脚の力は大切です。でも、毎回同じところに負担をかけると、疲れがたまってしまいます。重心の移し方も意識してみてください』
モニカは剣術の専門家ではない。
だから、細かな技術についてはカイルにも相談しながら、レオンが身体に無理をかけずに動ける方法を探した。
その成果が、今日試される。
「始め!」
合図と同時に、レオンが踏み込んだ。
速い。
だが、以前のように力任せではない。
身体の重心を滑らかに前へ移し、無理なく距離を詰めている。
シオンは冷静に攻撃を受け流した。
無駄な動きの少ない、技巧派の騎士だった。
二人の攻防が続く。
レオンは焦らなかった。
相手の動きを見て、踏み込むべき瞬間を探す。
そして終盤。
シオンが一瞬、剣先を下げた。
レオンが鋭く踏み込む。
「おおっ!」
観覧席から歓声が上がった。
シオンはぎりぎりで身をかわし、体勢を立て直す。
そして次の瞬間、レオンの隙を突いた。
「勝者、第二騎士団、シオン!」
レオンは悔しそうに木剣を下ろした。
だが、シオンは彼に歩み寄り、手を差し出した。
「最後の踏み込みは危なかった。もう少し早ければ、私が負けていた」
「……ありがとうございます!」
二人は握手を交わした。
観覧席で、フィオナがほっと息を吐く。
「負けちゃいましたね……」
「ええ。でも、最後まで脚の動きが乱れなかったわ」
モニカは微笑んだ。
「それに、あの踏み込み。レオン様も、自分の身体の使い方をつかみ始めているみたいね」
フィオナは嬉しそうに頷いた。
◇
第二試合は、ティナとロザリアだった。
短い栗色の髪を揺らすティナに対し、ロザリアは長い赤褐色の髪を編み込み、軽やかな足取りで演武場に立った。
「あなたがティナね。クラウディア副団長のことを尊敬しているんですって?」
「はい!」
「じゃあ、簡単には負けられないわね」
「私だって負けません!」
二人は笑顔で木剣を構えた。
試合が始まる。
ロザリアは、踊るような足運びで間合いを変えていく。
ティナも素早く動くが、むやみに追いかけようとはしなかった。
「ティナ様、前より落ち着いていますね」
フィオナが言った。
「そうね」
モニカは頷く。
以前のティナは、速く動こうとするあまり、常に足を動かし続けていた。
その結果、脚に疲労がたまり、肝心な場面で踏み込みが鈍くなっていたのだ。
『ティナ様、ずっと全力で動いていたら、疲れてしまいますよ』
『でも、止まったら相手に攻められちゃいます!』
『そうですね。でも、速く動くためには、力をためる時間も必要なんです』
施術中、モニカはそんな話をした。
もちろん、戦い方を教えたわけではない。
身体を休ませることの大切さを伝えただけだ。
その言葉を、ティナは自分なりに考えたのだろう。
ロザリアが左右に動く。
ティナは追わない。
じっと相手を見つめ、間合いを保つ。
そして、ロザリアが一歩踏み込んだ瞬間。
ティナが爆発的に加速した。
「っ!」
ロザリアが目を見開く。
木剣が防具のすぐ脇をかすめた。
観覧席が大きく沸く。
「惜しい!」
フィオナが声を上げた。
だが、ロザリアはすぐに体勢を立て直した。
その後もティナは何度か鋭い踏み込みを見せたが、最後は経験で勝るロザリアが隙を捉えた。
「勝者、第二騎士団、ロザリア!」
第二騎士団、二連勝。
ティナは悔しそうに唇を噛んだ。
ロザリアは笑顔で近づいてくる。
「あなた、すごく速いのね。正直、驚いたわ」
「……ありがとうございます」
「最後の一撃、危なかったわよ」
ティナは顔を上げた。
「次は、もっと速くなって勝ちます!」
「ふふっ。楽しみにしているわ」
二人はしっかりと握手を交わした。
モニカはその様子を見て、微笑んだ。
――ティナ様も、自分の持ち味を見つけ始めているのね。
◇
第三試合は、ガレスとバルク。
どちらも大柄な騎士で、演武場に並んだだけで観客席がざわめいた。
「おい、ガレス! 今日は随分と身体が軽そうじゃねえか!」
バルクが豪快に笑う。
「お前こそ、少し腹が出たんじゃないか?」
「こいつは筋肉だ!」
二人のやり取りに笑いが起きた。
試合が始まると、バルクは力強い攻撃を繰り出した。
ガレスは正面から受け止めず、少しずつ間合いを変えていく。
「ガレス様、前より動きが滑らかですね」
「ええ。肩や背中の張りが落ち着いたのもあるでしょうけど……」
モニカは、以前の施術を思い出していた。
『若い頃は、もっと力が出たんだがな』
ガレスは施術台の上で、そんなことを呟いていた。
『最近は、どうにも身体が重くてな。鍛え方が足りんのかもしれん』
『ガレス様は、長く騎士を続けていらっしゃるんですよね』
『ああ。もう随分になる』
『でしたら、若い頃と同じ身体ではないのも自然なことですよ』
モニカは微笑んだ。
『今の身体に合った整え方を考えるのも、長く活躍するためには大切だと思います』
その言葉に、ガレスはしばらく考え込んでいた。
そして今日。
ガレスは、力任せに打ち合うことをやめていた。
バルクの豪快な攻撃を受け流し、相手が大きく踏み込んだところで間合いを詰める。
経験を活かした一撃が決まった。
「勝者、第一騎士団、ガレス!」
第一騎士団、一勝二敗。
ガレスは大きく息を吐き、笑った。
「はっはっは! 若い頃より力は落ちたが、頭の方はまだまだ負けんぞ!」
バルクも豪快に笑う。
「参った! 次は負けねえからな!」
◇
第四試合は、カイルと第二騎士団副団長ディートリヒの対戦だった。
カイルが演武場へ進み出ると、観覧席の空気が変わった。
王国第一騎士団長。
そして、第一王子。
その肩書きにふさわしい実力を持つ人物だと、誰もが知っていた。
「お手柔らかにお願いします、殿下」
ディートリヒが礼を取る。
「試合では遠慮はいらない。全力で来てくれ」
カイルは穏やかに答えた。
試合が始まる。
ディートリヒは冷静だった。
無駄な攻撃をせず、カイルの動きを慎重に見極めている。
しかし、カイルはその上をいった。
相手の動きを読み、的確に間合いを詰めていく。
木剣が打ち合わされるたび、観覧席から感嘆の声が上がった。
「カイル様、すごいですね……!」
フィオナが目を輝かせる。
「ええ。本当にお強いのね」
モニカも思わず見入っていた。
カイルの動きには、無理な力みがない。
必要なときに必要なだけ身体を動かし、相手に隙を与えない。
モニカは、カイルが以前話していた言葉を思い出した。
『団長である私が休んでいては、部下に示しがつかないと思っていました』
そう言っていた彼も、今では休息を訓練の一部として取り入れている。
部下たちに休むことを勧めるだけでなく、自分自身も身体を整えるようになった。
その変化は、剣の動きにも表れているようだった。
そして、ディートリヒが一歩踏み込んだ瞬間。
カイルは素早く身をかわし、木剣を相手の胴へと当てた。
「勝者、第一騎士団、カイル!」
大歓声が上がった。
カイルは木剣を下ろし、ディートリヒに手を差し出した。
「見事な剣だった」
「……参りました。さすがです、殿下」
二人は固く握手を交わした。
これで二勝二敗。
決着は最終試合に持ち越された。
◇
最後に演武場へ進み出たのは、クラウディアとアストリッドだった。
「まさか、お前と最後の勝負をすることになるとはな」
アストリッドが木剣を構えた。
「私も、この日を楽しみにしておりました」
クラウディアは静かに答える。
「昔のお前は、もっと肩に力が入っていた」
「そうですね」
「今は随分と落ち着いている」
「少し、考え方が変わりましたので」
アストリッドは目を細めた。
「それが例の風呂屋のおかげか?」
「きっかけの一つです」
「ならば、その成果を見せてもらおう」
試合開始の合図が響いた。
先に動いたのはアストリッドだった。
力強い踏み込みから放たれた一撃を、クラウディアが受け止める。
木剣が激しく打ち合わされ、乾いた音が演武場に響いた。
「すごい……!」
フィオナが思わず声を上げる。
モニカも二人の動きに見入っていた。
アストリッドの剣は、力強く、堂々としている。
一撃一撃に重みがあり、相手を正面から圧倒するような戦い方だった。
対するクラウディアは――。
「……あれ?」
フィオナが首を傾げた。
「クラウディア様、思っていたより攻めませんね」
「そうね」
モニカは頷いた。
クラウディアはアストリッドの攻撃をかわし、受け流しながら、慎重に間合いを測っている。
無理に打ち返そうとはしない。
相手の動きをよく見て、必要なときだけ剣を振るっていた。
その姿を見て、モニカは数日前の施術を思い出していた。
◇
『右肩の張りが、かなり強いですね』
施術台に横たわるクラウディアの肩に触れたとき、モニカはそう告げた。
『やはり、鍛錬のしすぎでしょうか』
『それもあると思います。でも、少し気になるんです』
モニカはクラウディアの肩を支え、痛みの出ない範囲でゆっくり動かしてもらった。
『剣を振るとき、右肩にかなり力を入れていませんか?』
『……はい。強い一撃を出すために』
『なるほど。でも、肩だけで無理に振ろうとすると、負担が集中してしまいますよ』
クラウディアはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟く。
『昔は、こんな振り方をしていなかったんです』
『そうなんですか?』
『私はもともと、力が強い方ではありませんでした。だから、速さで勝負していたんです。相手の攻撃をかわして、隙ができたところを打つ……そんな戦い方でした』
クラウディアは天井を見つめた。
『ですが、アストリッド団長の剣を見て、憧れたんです。あの方のように、力強く、正面から相手を圧倒できる騎士になりたいと』
そして、苦笑した。
『いつの間にか、あの方と同じ剣を振ろうとしていたのかもしれません』
モニカは、肩に添えた手をゆっくり動かした。
『憧れの人がいるって、素敵なことですね』
『はい。私にとって、あの方は目標でした』
『でも、クラウディア様には、クラウディア様の得意なことがあるんですよね?』
クラウディアが目を向ける。
『私は剣のことは詳しくありません。でも、施術をしていると、よく思うんです』
モニカは微笑んだ。
『身体の使い方って、人それぞれなんですよ。同じことをしていても、楽にできる人と、無理をしてしまう人がいるんです』
『……なるほど』
『もちろん、新しい技を身につけるのも大切です。でも、もともとの長所まで手放す必要はないんじゃないでしょうか』
クラウディアは、しばらく考え込んでいた。
そして、ふっと息を吐く。
『私は……何を証明しようとしていたんでしょうね』
モニカは答えを急がなかった。
ただ、緊張した肩を丁寧にほぐしながら、彼女が自分の言葉を見つけるのを待った。
◇
演武場に、再び木剣の音が響いた。
アストリッドの鋭い一撃。
クラウディアは半歩だけ身を引き、剣先をかわす。
そして、すぐに反撃へ移った。
速い。
それまでの攻防とは、明らかに違う速さだった。
「……っ!」
アストリッドが目を見開く。
かろうじて木剣で受け止めたものの、その表情に驚きが浮かんでいた。
「その剣……」
クラウディアは間合いを取り直した。
「覚えていらっしゃいますか?」
「……ああ」
アストリッドが口元を緩める。
「昔のお前は、そういう剣を使っていたな」
「はい」
クラウディアは静かに構えた。
「私はずっと、団長のようになりたいと思っていました」
「そうか」
「ですが……ようやく気づいたんです」
銀灰色の髪が、風に揺れる。
「私は、私の剣で戦えばいいのだと」
アストリッドは、一瞬だけ目を細めた。
そして、笑った。
「言うようになったじゃないか」
木剣を構え直す。
「ならば、遠慮はしないぞ!」
再び激しい攻防が始まった。
アストリッドの攻撃は、先ほどよりもさらに鋭くなる。
クラウディアは正面から受け止めない。
かわし、流し、間合いを変える。
相手の力を真正面から押し返そうとはせず、自分の速さを活かして動き続けた。
モニカは思わず身を乗り出した。
――そう。その動き。
施術台の上で、あれほど張り詰めていた肩。
強くあろうとするあまり、常に力を込めていた身体。
けれど今のクラウディアは、必要な瞬間にだけ力を使っている。
何より、その表情が違った。
苦しそうではない。
真剣でありながら、どこか楽しそうだった。
――クラウディア様、本当に剣がお好きなのね。
アストリッドが大きく踏み込んだ。
力強い一撃が、クラウディアへ迫る。
観覧席から悲鳴に似た声が上がった。
しかし、クラウディアは動じなかった。
相手の剣が振り下ろされる、その一瞬。
身体をわずかにずらし、攻撃をかわす。
そして、がら空きになった肩口へ――。
鋭い一撃が走った。
乾いた音が響く。
一瞬の静寂。
「勝者、第一騎士団、クラウディア!」
次の瞬間、演武場が大歓声に包まれた。
第一騎士団、三勝二敗。
今年の対抗戦は、第一騎士団の勝利となった。
◇
クラウディアは荒い息を整えながら、木剣を下ろした。
目の前では、アストリッドがしばらく動かずに立っていた。
やがて、ゆっくりと木剣を下ろす。
「……見事だった」
「ありがとうございます」
「最後の一撃。昔のお前を思い出したぞ」
クラウディアは少し照れたように微笑んだ。
「私も、久しぶりに思い出しました」
「そうか」
アストリッドはクラウディアを見つめた。
「私は、お前に強くなってほしかった」
「はい」
「だから、誰よりも鍛えろと言った。女だからと侮られないように、男以上に強くあれと」
その声には、かつての厳しさが残っていた。
「だが……私の剣を真似しろと言った覚えはないぞ」
「……はい」
「まったく。妙なところで不器用な奴だ」
クラウディアが目を丸くする。
そして、二人は小さく笑った。
「ですが、団長」
「何だ?」
「私は、アストリッド団長に憧れてよかったと思っています」
クラウディアはまっすぐに告げた。
「そのおかげで、ここまで来られましたから」
アストリッドは、少しだけ目を伏せた。
「……そうか」
そして、クラウディアの肩を軽く叩く。
「ならば、これからはお前自身の剣を磨け」
「はい!」
その返事は、昔よりもずっと晴れやかだった。
◇
試合後、第一騎士団の控え室では、モニカとフィオナが騎士たちの身体を確認していた。
本格的な施術は、風呂屋に戻ってから行う予定だ。
今日はまず、痛みや腫れがないかを確かめ、必要な休息を取ってもらう。
「レオン様、脚はどうですか?」
「大丈夫です! 最後までちゃんと動けました!」
「それはよかった。でも、今日はもう無理しないでくださいね」
「はい!」
レオンは元気よく頷いた。
フィオナも嬉しそうに微笑む。
その隣では、ティナが悔しそうに唇を尖らせていた。
「うう……あと少しだったのに」
「でも、いい動きでしたよ」
モニカが声をかける。
「本当ですか?」
「ええ。特に、最後の踏み込みは見事でした」
ティナは少し照れたように笑った。
「次は絶対に勝ちます!」
「ふふっ。楽しみにしていますね」
ガレスは椅子に腰かけ、大きく息を吐いた。
「いやあ、さすがに疲れたな」
「お疲れさまでした。明日はゆっくりお風呂に入りに来てください」
「もちろんだ。あの風呂に入らんと、もう落ち着かん」
モニカは笑った。
こうして騎士たちが当たり前のように休息を取るようになったことが、何より嬉しかった。
そのとき、控え室の入口から声がした。
「失礼する」
現れたのはアストリッドだった。
その後ろには、ロザリアもいる。
「アストリッド団長」
クラウディアが立ち上がろうとすると、アストリッドは片手で制した。
「そのままでいい」
そして、モニカに視線を向けた。
「あなたが、モニカ殿か」
「はい。モニカと申します」
モニカは丁寧に頭を下げた。
「第一騎士団の連中が世話になっているそうだな」
「こちらこそ、いつもご利用いただいております」
アストリッドは少し考えるように腕を組んだ。
「クラウディアが、あれほど変わるとは思わなかった」
「クラウディア様が、ご自身で努力された結果ですよ。私は、そのお手伝いをしただけです」
「……そうか」
アストリッドは短く答えた。
その隣で、ロザリアが興味深そうにモニカを見ていた。
「あの、モニカさん。私も一つ聞いていいですか?」
「もちろんです」
「そちらのお店では、脚の疲れも見てもらえるんですか?」
「はい。脚を中心にした施術もできますよ」
「本当ですか!」
ロザリアの顔が明るくなった。
「私、長く訓練した日の夜は、脚が重くて。今日も最後の方、少し動きづらかったんです」
モニカは頷いた。
「先ほどの試合でも、左脚の動きが少し気になりました。ただ、実際にお身体の状態を確認してみないと、原因までは分かりません」
「えっ、見ていたんですか?」
「とても綺麗な足運びでしたから、つい」
ロザリアは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ぜひお願いしたいです!」
「ありがとうございます。ご予約をお取りしますね」
そのやり取りを聞いていたアストリッドが、ふと口を開いた。
「……私も、一度見てもらえるだろうか」
クラウディアが驚いて顔を上げた。
「団長が?」
「何だ、その顔は」
「いえ。少し意外でしたので」
「お前がそこまで勧めるものなら、確かめてみる価値はあるだろう」
アストリッドは平然と言った。
だが、モニカには気になることがあった。
彼女は控え室に入ってから、右肩をほとんど動かしていない。
――試合の疲れかしら。それとも、もっと前から……。
モニカはいつもの笑顔を向けた。
「もちろんです、アストリッド様。お待ちしております」
「では、近いうちに伺おう」
アストリッドはそう言って、控え室を後にした。
ロザリアも嬉しそうに会釈して、そのあとを追っていく。
残されたクラウディアが、小さく笑った。
「まさか、あの方が自分から施術を受けたいと言うとは……」
「そんなに珍しいことなんですか?」
モニカが尋ねる。
「はい。昔から、自分の弱いところを人に見せるのが嫌いな方でしたから」
クラウディアは少し懐かしそうに目を細めた。
「ですが……あの方にも、休んでいただきたいと思っていました」
モニカは頷いた。
厳しい騎士団長にも、華やかな女騎士にも、それぞれの疲れがある。
そして、その疲れの奥には、きっとまだ知らない物語がある。
――今度は、どんなお話が聞けるかしら。
モニカは新しいお客様との出会いを、楽しみに思った。
その日の夕方。
風呂屋に戻ったモニカを、ミーナとリリが迎えた。
「モニカさん! 試合、どうでした?」
「第一騎士団が勝ったわよ」
「やったー!」
リリが両手を上げる。
ミーナも嬉しそうに笑った。
「それじゃ、また騎士の皆さんが来てくれそうですね」
「ええ。それに……」
モニカは予約帳を開いた。
そこには、新しく二人の名前が書き加えられていた。
アストリッド。
ロザリア。
「今度は第二騎士団からも、お客様がいらっしゃることになったの」
「えっ、負けた方の騎士団からも?」
「そうよ」
モニカは微笑んだ。
「勝っても負けても、疲れるのは同じでしょう?」
剣を交えた二つの騎士団。
けれど、風呂屋の扉をくぐれば、どちらも大切なお客様だ。
勝負の結果よりも、明日の身体を軽くすること。
それが、モニカの仕事なのだから。
こうして、王都の小さな風呂屋に、また新しい縁が生まれたのだった。




