第十七話 女騎士の誇りと、勝つための休息
「ひと月後、第一騎士団と第二騎士団の対抗試合がある」
翌朝、風呂屋を訪れたカイルは、そう切り出した。
「各騎士団から五名を選抜し、剣の腕を競う。王族や貴族も観戦する、年に一度の大きな行事だ」
「五人対五人ですか! それは盛り上がりそうですね」
「観客としてなら、そうだろうな」
カイルは苦笑した。
「だが、今年は少々厄介なことになっている」
最近、王都の警備任務が増えているらしい。
通常の任務に加えて、対抗試合に向けた鍛錬。騎士たちは疲れを溜め込み、思うように成果が上がっていないという。
「鍛錬を減らせば試合に響く。かといって、このまま続けさせるのも得策ではない」
「それで、私たちに?」
「ああ。モニカさんの施術と、フィオナさんの眼を借りたい」
隣にいたフィオナが、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「私でお役に立てるでしょうか……」
「もちろんよ。まずは騎士の皆さんの身体を見せていただきましょう」
私はカイルに微笑んだ。
「カイル様。訓練場に伺ってもよろしいですか?」
「ぜひ頼む」
こうして私とフィオナは、王国第一騎士団の訓練場を訪れることになった。
⸻
「はああっ!」
「せいやっ!」
王城に隣接する広大な訓練場には、木剣が激しく打ち合う音が響いていた。
男性騎士に交じって、女性騎士たちも剣を振るっている。
その中で、ひときわ目を引く女性がいた。
長い銀灰色の髪を後ろで束ね、濃紺の騎士服に身を包んだ、凛々しい美女だ。
向かい合う大柄な男性騎士の攻撃を軽やかにかわし、鋭い一撃を返す。
「そこ!」
乾いた音とともに、男性騎士の木剣が弾かれた。
「参りました!」
女性騎士は静かに剣を下ろした。
「踏み込みは悪くない。ただ、二撃目に移るのが遅いわ。もう一度」
「はっ!」
「彼女は?」
私が尋ねると、カイルが答えた。
「第一騎士団副団長、クラウディアだ。剣の腕は団内でも指折りだよ」
「すごい方ですね」
「ああ。俺が最も信頼する部下の一人だ」
そのクラウディアが、こちらに気づいて歩み寄ってきた。
「団長。お戻りでしたか」
「クラウディア。紹介しよう。こちらがモニカさんとフィオナさんだ」
「お噂は伺っています。副団長のクラウディアです」
「モニカです。よろしくお願いいたします」
「フィオナです!」
クラウディアは丁寧に一礼した。
だが、その表情にはわずかな警戒があった。
「団長から、施術師の方に騎士団の状態を見ていただくと伺いました」
「ええ。皆さん、お疲れが溜まっているそうなので」
「お気遣いには感謝します。しかし、我々は騎士です。多少の疲労は鍛錬のうちですから」
きっぱりとした口調だった。
私は思わず苦笑する。
(……これは、手強そうね)
そのとき、フィオナが私の袖をそっと引いた。
「モニカさん……」
「どうしたの?」
「クラウディア様の肩と腕が……」
彼女は言いにくそうに声を落とした。
「赤い筋が、すごく濃いんです」
私はクラウディアを見た。
たしかに、剣を下ろした右手が、ほんのわずかに震えている。
「クラウディアさん。右肩や腕に、張りはありませんか?」
「……多少は」
「痛みは?」
「剣を振れないほどではありません」
それは、痛みがないという答えではなかった。
(なるほど。かなり無理をしているみたいね)
⸻
訓練を見学していると、ほかにも気になる騎士が何人かいた。
小柄で俊敏な女性騎士、ティナ。
彼女は素早い連続攻撃を得意としていたが、後半になると踏み込みが鈍っていた。
「最近、脚が重いんです。でも、もっと走り込まないと!」
若い男性騎士のレオンは、右脚に負担が集中していた。
フィオナが異変に気づき、私が確認すると、膝の周辺に痛みもあるという。
「レオンさん。今日は訓練を中止して、治癒師に診てもらってください」
「ですが、試合が……!」
「試合に出たいなら、なおさらです」
レオンは悔しそうな顔をしたが、カイルの指示で治癒師のもとへ向かった。
そして、大柄なベテラン騎士のガレス。
「俺は疲れ知らずだぜ!」
豪快に笑っていたものの、肩を回す動きが妙にぎこちない。
「ガレスさん。右腕、上げにくくありませんか?」
「……なんで分かる?」
「見ていれば分かりますよ」
私が笑うと、ガレスは目を丸くした。
(みんな、頑張りすぎなのよね)
騎士たちが怠けているわけではない。
むしろ、誰もが真面目で、勝ちたい気持ちが強い。
だからこそ、疲れた身体にさらに負荷をかけてしまっている。
私はカイルに向き直った。
「カイル様。ひとつ、提案があります」
「何だろう?」
「騎士の皆さんに、私の風呂屋で入浴と施術を体験していただけませんか?」
「風呂屋で?」
「はい。身体の変化を、ご自身で確かめていただきたいんです」
クラウディアが眉をひそめた。
「……湯に浸かって、身体を揉んでもらうのですか?」
「ええ」
「それで、剣が強くなると?」
私は首を横に振った。
「いいえ。入浴や施術だけで、剣の腕が上がるわけではありません」
そして、にっこり笑った。
「でも、疲れで動きにくくなっている身体を整えることはできます。まずは試してみませんか?」
⸻
その日の午後。
第一騎士団の選抜候補たちが、私の風呂屋を訪れた。
「いらっしゃいませ!」
ミーナが元気よく出迎える。
「今日は騎士様がいっぱいですね!」
「ミーナ、皆さんに入浴の案内をお願いね」
「はい、モニカさん!」
騎士たちは男女それぞれの浴室へ向かった。
入浴前には水分を取ってもらい、湯の温度も熱すぎないように調整してある。
疲れ切った身体に、熱い湯で無理をさせるつもりはない。
「……ふうう」
男湯から、ガレスの低い声が聞こえた。
「こいつは、たまらんな……」
「ガレスさん、湯船で寝ないでくださいね!」
ミーナの声に、ほかの騎士たちが笑う。
一方、女湯では。
「……気持ちいい」
ティナが肩まで湯に浸かり、ほっと息を吐いていた。
「副団長も、入ってくださいよ」
「私はもう十分よ」
クラウディアは湯船の縁に腰掛けていた。
「ええー。せっかく来たんですから」
「……分かったわ」
しぶしぶ湯に浸かったクラウディアだったが、しばらくすると、その表情が少しずつ和らいでいった。
「……なるほど」
「どうです?」
「悪くないわね」
ティナが嬉しそうに笑った。
⸻
入浴の後は、施術室へ。
まずはガレスからだ。
「さて、俺の肩がどうなるか、お手並み拝見といこうじゃねえか!」
「お任せください」
私は肩から背中にかけて、筋肉の状態を丁寧に確かめた。
「……ずいぶん硬くなっていますね」
「毎日、剣を振ってるからな!」
「頑張っていらっしゃる証拠ですね。でも、少し力を抜いてください」
ゆっくりと圧を加えていく。
「……お?」
ガレスの声が変わった。
「そこだ。そこが、ずっと重かったんだ」
「痛すぎませんか?」
「いや、ちょうどいい。……おお、こりゃ……」
しばらくすると、豪快だった声がすっかり静かになった。
施術を終えたガレスは、上体を起こして肩を回した。
「……ん?」
もう一度。
ぐるり。
「おいおい……」
彼は驚いたように私を見た。
「さっきより腕が動かしやすいぞ!」
「よかったです。ただ、無理に振り回さないでくださいね」
「はっはっは! こりゃ面白い!」
その隣では、フィオナがティナの脚を施術していた。
「ここ、張っていますね」
「そうなの! 走ると重くて……」
「少しずつ、ほぐしていきますね」
フィオナは赤い筋の集まる場所を確かめながら、丁寧に手を動かした。
「……あっ、そこ!」
「痛みますか?」
「ううん、気持ちいい! そこ、すごく疲れてたみたい」
施術が終わる頃には、ティナの表情も明るくなっていた。
「脚が軽い! 早く走ってみたい!」
「今日は軽く動かす程度にしてくださいね」
私はすかさず釘を刺した。
「はーい!」
元気な返事に、思わず笑ってしまった。
そして、最後はクラウディアだった。
⸻
「……私は、本当に必要ないと思うのですが」
施術台に腰掛けたクラウディアは、まだ納得していない様子だった。
「では、まず肩の状態を確認させてください」
私は彼女の背後に立った。
「右腕を、ゆっくり上げてみてください」
クラウディアが腕を持ち上げる。
だが、肩の高さを越えたところで、その動きが止まった。
「……っ」
「痛みますか?」
「少し、引っかかるだけです」
「いつからですか?」
「……半月ほど前から」
半月も?
私は思わず眉をひそめた。
「フィオナ。どう見える?」
「右肩から腕にかけて、赤い筋が何本も重なっています。特に肩の奥のほうが……すごく濃いです」
フィオナの声が緊張する。
私はクラウディアの肩にそっと手を添えた。
《コンディション》。
肩から上腕にかけて、強い疲労が蓄積している。
右肩をかばうせいか、背中の筋肉まで緊張していた。
(……これは、かなり無理してるわね)
「クラウディアさん。最近、右肩をかばって剣を振っていませんか?」
「……なぜ、それを?」
「身体に、その影響が出ています」
クラウディアは驚いたように振り向いた。
「このまま無理を続けるのは、おすすめできません。痛みが長引いているので、治癒師にも診てもらってください」
「ですが、試合まで一か月しか……」
「だからこそ、です」
私は静かに答えた。
「今、身体を壊してしまったら、試合で剣を振れなくなってしまいますよ」
クラウディアは唇を噛んだ。
「……私は、女ですから」
「え?」
「副団長になったとき、陰で言われたんです。女だから団長に気に入られたのだろう、と」
彼女は視線を落とした。
「だから、誰よりも鍛えました。男の騎士に負けないように。誰にも文句を言わせないように」
私は黙って耳を傾けた。
「休めば、また言われる気がするんです。やはり女には無理だった、と」
なるほど。
この人は、ただ頑固なわけじゃない。
自分の実力を証明するために、ずっと戦ってきたんだ。
「クラウディアさん」
「はい」
「あなたが証明したいのは、男性より長く訓練できることですか?」
「……え?」
「それとも、男性に負けない剣の腕ですか?」
クラウディアが顔を上げた。
「今まで積み重ねてきた努力は、休んだからといって消えません。むしろ、その努力を無駄にしないために、身体を大切にしてほしいんです」
しばらくの沈黙。
やがて、彼女が小さく息を吐いた。
「……お願いします」
私は微笑んだ。
「はい。では、始めましょう」
まずは、肩や背中の筋肉を丁寧にほぐしていく。
フィオナが、赤い筋の集まる場所を教えてくれた。
「モニカさん。そこです。肩の少し内側……」
「ここね?」
「はい。そこが特に強く緊張しています」
指先で状態を確かめながら、無理のない力で施術を続ける。
クラウディアの呼吸が、少しずつ深くなっていった。
「……こんなに、身体が重かったなんて」
「毎日頑張っていると、疲れている状態が当たり前になってしまうんですよね」
私は彼女の背中に手を添えた。
(ここからは、少し魔法の力も借りましょう)
《光の手》。
掌から、淡く温かな光がこぼれた。
「……これは?」
クラウディアが驚いたように声を上げる。
「私の治癒術です。身体が本来持っている回復する力を、少しだけ後押しします」
柔らかな光が、肩から腕へと広がっていく。
強く押したり、無理に動かしたりはしない。
疲労した身体が回復しやすいように、慎重に力を注いだ。
「……温かい」
クラウディアが目を閉じる。
「不思議です。肩の奥まで、じんわりと……」
やがて、光が静かに消えた。
「フィオナ。どう?」
「……あっ!」
フィオナの瞳が輝いた。
「赤い筋が、さっきよりずっと薄くなっています!」
「よかった」
私は手を離した。
「クラウディアさん。痛みのない範囲で、ゆっくり腕を動かしてみてください」
彼女が右腕を上げる。
「……!」
先ほどよりも、滑らかに動いた。
「……軽い」
クラウディアは信じられないというように、もう一度ゆっくり腕を動かした。
「こんなに動かしやすいのは、久しぶりです……」
私は微笑んだ。
「ただし、これで完全に治ったわけではありません。痛みが続いていた原因は、治癒師にも確認していただきましょう。今日は剣を振らず、身体を休めてください」
クラウディアはしばらく自分の右手を見つめていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「……私、ずっと勘違いしていたのかもしれません」
「勘違い?」
「休まずに鍛えることが、強さだと思っていました」
彼女はゆっくり顔を上げた。
「でも、最高の状態で剣を振るためには、休むことも必要なのですね」
その表情には、もう先ほどまでの頑なさはなかった。
「モニカさん。ありがとうございます」
私は笑顔で答えた。
「どういたしまして。対抗試合では、ぜひ最高の剣を見せてくださいね」
クラウディアは、凛とした笑みを浮かべた。
「……ええ。必ず」
⸻
翌日。
第一騎士団の訓練場では、いつもと違う光景が広がっていた。
前日に入浴と施術を受け、十分な睡眠を取った騎士たちが、軽い動作確認をしていた。
「おおっ!」
ガレスが声を上げる。
「昨日より、肩が動かしやすい!」
ティナも、軽やかに足を運んでいる。
「私も! 踏み込みが楽です!」
もちろん、一度の入浴と施術で、すべての疲労が消えたわけではない。
それでも、騎士たちは確かに変化を感じていた。
そして、クラウディア。
治癒師の確認を受け、痛みを悪化させない範囲で動作を確かめていた彼女は、静かに頷いた。
「……昨日まで、私は自分の身体の状態を見誤っていたようです」
その言葉に、周囲の騎士たちが驚いた。
クラウディアは、カイルに向き直った。
「団長。私は、モニカさんの提案を支持します」
「クラウディア」
「我々は、勝つために鍛錬しているはずです。疲労で本来の力を発揮できないのなら、それは鍛錬の方法を見直すべきだと思います」
カイルは、しばらく彼女を見つめていた。
やがて、静かに頷いた。
「……そうだな」
そして、全員に向き直る。
「第一騎士団の諸君!」
訓練場が静まり返った。
「本日より、鍛錬の方針を一部変更する!」
ざわめきが起こる。
「強い負荷をかける日と、回復を重視する日を分ける。任務による疲労も考慮し、必要な者には休養を取らせる!」
一人の騎士が声を上げた。
「団長! 対抗試合まで一か月しかありません!」
「分かっている」
「ここで鍛錬を減らして、第二騎士団に負けたら……!」
カイルは、その騎士をまっすぐ見据えた。
「その責任は、俺が取る」
力強い声だった。
「俺たちは、勝つために鍛える。ならば、勝つために休むことも必要だ」
騎士たちが息を呑む。
「無理を重ねて怪我人を増やすことが、強さの証明になるとは思わん。俺が率いるのは、使い捨ての兵ではない」
その言葉に、クラウディアが顔を上げた。
カイルは続ける。
「休養は怠慢ではない。自分の身体を管理することも、騎士の務めだ!」
一瞬の沈黙。
そして、クラウディアが一歩前に出た。
「副団長として、この方針を支持します!」
凛とした声が響いた。
「私自身、無理を重ねて身体の状態を見誤っていました。これからは、団員たちが十分な力を発揮できるよう、訓練と休養の両方を管理します!」
「……はっ!」
騎士たちが、一斉に姿勢を正した。
その光景を見て、私は胸が熱くなった。
(……すごい)
休ませることは、言葉にするほど簡単ではない。
まして、勝敗の責任を負う団長が、自ら方針を変えるのだから。
(カイルって、本当にいい指揮官なのね)
私は、改めてそう思った。
⸻
訓練場を後にする前、クラウディアが私たちのところへやってきた。
「モニカさん、フィオナさん。ありがとうございました」
「いえ。お役に立ててよかったです」
「対抗試合では、必ず結果を出します」
その瞳には、昨日までとは違う、晴れやかな決意が宿っていた。
「……ただ」
クラウディアは、ふと遠くを見た。
「第二騎士団の団長は、簡単な相手ではありません」
「どんな方なんですか?」
私が尋ねると、彼女は少しだけ苦笑した。
「アストリッド。私が騎士学校にいた頃の先輩です」
「先輩?」
「ええ。剣の腕も、指揮官としての実力も一流。私がずっと追いかけてきた人です」
クラウディアは、静かに続けた。
「昔、あの方に言われたんです。女だからと侮られたくないなら、男の倍は鍛えなさい、と」
私は思わず彼女を見た。
「……そうだったんですね」
「その言葉を信じて、ここまで来ました」
クラウディアは、ゆっくりと拳を握った。
「でも、今は少し違う気がしています」
そして、私に微笑んだ。
「今度こそ、私自身の剣で、あの方に勝ちたい」
その表情は、誇り高い女騎士そのものだった。
私は笑顔で頷いた。
「応援しています、クラウディアさん」
ひと月後の対抗試合。
第一騎士団と第二騎士団。
そして、二人の女騎士の因縁。
どうやら、思っていた以上に熱い戦いになりそうだ。
(……よし!)
私は心の中で拳を握った。
(みんなが最高の状態で戦えるように、私も頑張らなくちゃ!)
――勝つために、休む。
第一騎士団の新しい挑戦が、ここから始まった。




