第十六話 うちの看板娘たち、大人気です!
「おう、ミーナちゃん! 今日も一番乗りだ!」
「ガルドさん、いらっしゃいませ! 今日はずいぶん早いですね!」
昼過ぎ。
風呂屋の暖簾を掛けたばかりだというのに、もう常連のお客様がやってきた。
大工のガルドさんだ。
日に焼けた顔に、がっしりした体格。いつも仕事帰りに立ち寄ってくれる、気のいい職人さんである。
「今日は現場が早く片づいてな。ひとっ風呂浴びようと思ってよ」
「それはお疲れさまでした! あ、そうだ。ガルドさん、前に痛めていた足はもう大丈夫ですか?」
「おっ、覚えててくれたのか?」
「もちろんですよ! この前、階段を上るのがつらいって言ってたじゃないですか」
「いやあ、もうすっかり良くなったよ。心配してくれてありがとな」
「よかったです! でも、無理はしないでくださいね」
ガルドさんは嬉しそうに笑った。
「まったく、ミーナちゃんには敵わねえな。こんな可愛い娘に心配されたら、毎日でも通いたくなるぜ!」
「もう、ガルドさん! そんなこと言っても、お風呂代は安くなりませんからね!」
「ははは! 分かってるって!」
受付に笑い声が響いた。
私はその様子を眺めながら、思わず頬を緩めた。
(ふふ。すっかり看板娘ね)
ミーナは、ただ元気なだけではない。
お客様の顔を覚え、以前交わした会話を覚え、ちょっとした変化にもよく気がつく。
お湯の準備や浴場の管理も、今ではすっかり安心して任せられるようになった。
「ミーナちゃんがいると、ここは賑やかでいいなあ!」
「ありがとうございます! 今日もゆっくり温まっていってくださいね!」
明るい笑顔に見送られ、ガルドさんは浴場へ向かっていった。
その背中を見ながら、私は改めて思う。
(お店の顔って、こういう人のことを言うのよね)
前世のサロンでも、技術が上手なだけでは指名は増えなかった。
お客様が「また会いたい」と思える人柄。
それも立派な才能なのだ。
⸻
「モニカさん、おはようございます!」
施術室から、フィオナが顔を出した。
蜂蜜色の髪を青いリボンでまとめた、清楚な雰囲気の女の子。
新しく採用した、見習いセラピストだ。
「おはよう、フィオナ。準備はできた?」
「はい。施術台もタオルも、確認しました」
「ありがとう。じゃあ、今日もよろしくね」
「はい!」
フィオナは嬉しそうに頷いた。
採用してから数日。
私は午前中の準備時間を使って、フィオナに施術の基礎を教えていた。
衛生管理。
お客様の体調確認。
無理な力をかけないこと。
そして、筋肉や関節の基本的な仕組み。
フィオナは驚くほど覚えが早かった。
何より、あの不思議な眼がある。
筋肉の緊張が赤い筋のように見えるという、珍しい能力。
私はそれを、特別な名前で呼ぶことはしなかった。
ただ、施術の途中で尋ねるのだ。
「フィオナの眼には、どう見える?」
すると彼女は、筋肉の張り具合や、施術による変化を教えてくれる。
もちろん、見えるものがすべてではない。
怪我や病気を見分けるには、別の知識も必要だ。
けれど、筋肉をほぐすことに関しては、すでに目を見張るものがあった。
(……さて、今日はどうかしら)
私は予約帳を開いた。
午後の最初のお客様は、魚屋のハンナさん。
市場でも評判の、豪快なおかみさんだ。
⸻
「へえ。この子が新しい施術師かい?」
ハンナさんはフィオナを見るなり、にやりと笑った。
「ずいぶん可愛らしい娘だねえ。モニカさんのところは、美人ばっかり集まるのかい?」
「そ、そんな……!」
フィオナが頬を赤らめる。
「ハンナさん、からかわないでくださいよ」
私が笑うと、ハンナさんも豪快に笑った。
「ははは! 悪い悪い! でも、腕前は別だからね。あたしの肩は、そう簡単にはほぐれないよ!」
「はい。精いっぱい頑張ります!」
フィオナは緊張した面持ちで頭を下げた。
「そんなに固くならなくていいよ。あたしは怖い客じゃないからね!」
「……はい!」
施術台に腰かけてもらい、まずは体調を確認する。
怪我や強い痛みはない。
ただ、仕事終わりには肩から腕にかけて、ずっしりと重くなるという。
「魚を捌いて、桶を運んで、毎日同じことの繰り返しさ。歳を取ると、疲れが抜けなくてねえ」
ハンナさんは苦笑した。
私は《コンディション》で状態を確かめる。
大きな異常は見られない。
ただ、長年の仕事による筋肉の疲労が蓄積しているようだった。
「フィオナ、お願いね」
「はい」
フィオナはハンナさんの肩に触れた。
ゆっくりと、左右の状態を確かめる。
そして、ふと手を止めた。
「……ハンナさん」
「なんだい?」
「お仕事で、包丁をよく使われますよね?」
「ああ。毎日何十匹も捌くよ」
「でしたら……腕も、かなりお疲れではありませんか?」
「腕?」
ハンナさんは不思議そうに自分の腕を見た。
「そりゃあ使うけどね。肩ほど気にならないよ」
「少し、触れてみてもよろしいですか?」
「ああ、構わないよ」
フィオナはハンナさんの前腕に、そっと手を添えた。
「……こちら、少し硬くなっていますね」
「そうかい?」
「はい。特に、手首を動かす筋肉のあたりが……」
フィオナは、ゆっくりと指の位置を変えた。
その瞬間。
「……あっ!」
ハンナさんが声を上げた。
「どうしました? 痛かったですか?」
「いや、違う違う! そこだよ!」
ハンナさんは目を丸くした。
「なんだい、そこ! そんなに疲れてたのかい!」
フィオナは少し驚いたように瞬いた。
「……気持ちいいですか?」
「ああ! なんとも言えないねえ!」
私は横で見守りながら、思わず感心した。
(なるほど……そこに気づいたのね)
肩の疲れを訴えるお客様でも、実際には腕や手に大きな負担がかかっていることがある。
特に、包丁を握り続ける仕事なら、前腕の筋肉は酷使されやすい。
フィオナは、仕事の内容と身体の状態を結びつけて考えたのだ。
「フィオナの眼には、どう見える?」
私が尋ねると、彼女は小声で答えた。
「肩にも赤い筋があります。でも、腕のほうが細かく、濃く見えるんです」
「そう。じゃあ、無理のない範囲でほぐしてみましょう」
「はい」
フィオナは頷き、施術を続けた。
手首を動かす筋肉を、ゆっくりと。
力任せに押さず、相手の反応を確かめながら。
「……ああ、いいねえ」
ハンナさんが気持ちよさそうに目を閉じた。
「包丁を握る手が、いつも重たかったんだよ。肩ばっかり気にしてたけど、腕も疲れてたんだねえ」
「毎日たくさん使っていらっしゃいますから」
フィオナは柔らかく微笑んだ。
「少しでも楽になっていただけたら、嬉しいです」
「いやあ、こりゃあ参った!」
ハンナさんが笑った。
「こんな若い娘に、身体のことを教えてもらうとはね!」
⸻
施術が終わると、ハンナさんは手を握ったり開いたりしてみた。
「……おや?」
もう一度、指を動かす。
「なんだい、さっきより軽いじゃないか!」
「本当ですか?」
フィオナが嬉しそうに尋ねる。
「ああ! 包丁を握る手が、ずいぶん楽になった気がするよ!」
ハンナさんは満足そうに笑った。
「モニカさん。この子、いい腕してるねえ!」
「ありがとうございます。まだ勉強中ですけど、素晴らしい感覚を持っているんですよ」
「勉強中でこれなら、先が楽しみだ!」
ハンナさんはフィオナの手を取った。
「次もあんたに頼むよ!」
「……はい!」
フィオナの顔が、ぱっと明るくなった。
私はその笑顔を見て、胸が温かくなった。
(よかったわね、フィオナ)
初めて、自分の力でお客様を満足させた。
その経験は、きっと大きな自信になるだろう。
⸻
翌日。
「モニカさん! 大変です!」
開店準備をしていた私のところへ、ミーナが駆け込んできた。
「どうしたの?」
「フィオナさんの指名が、また入りました!」
「まあ、よかったじゃない」
「それが、一人じゃないんです!」
ミーナが予約帳を差し出した。
そこには、見慣れない名前がいくつも並んでいた。
「……あら?」
「ハンナさんが市場で宣伝してくださったみたいなんです!」
なるほど。
あの豪快なおかみさんなら、ありそうな話だ。
『風呂屋にすごい娘が入ったよ!』
そんな声が、目に浮かぶようだった。
「でも、まだ研修中だから、予約は無理のない範囲にしましょうね」
「はい! モニカさんが確認できる時間だけにしてあります!」
「さすがね、ミーナ」
「えへへ!」
ミーナが嬉しそうに笑った。
そのとき、入口から声がした。
「おう、ミーナちゃん! 今日も来たぞ!」
「ガルドさん! いらっしゃいませ!」
常連の職人、ガルドさんだった。
今日は仲間を二人連れている。
「こいつら、初めてなんだよ。いい風呂屋があるって連れてきた!」
「ありがとうございます! 初めてのお客様ですね!」
ミーナは慣れた様子で料金と利用方法を説明した。
「へえ。ここが噂の風呂屋か」
一人の男性が店内を見回した。
「思ったより綺麗だな」
「うちは清潔第一ですから!」
ミーナが胸を張る。
「お湯も毎日きちんと管理してますし、洗い場も掃除してます。安心して入ってくださいね!」
「おお、頼もしいな」
「しかも、こんな可愛い娘が迎えてくれるなら、通いたくなるねえ」
「もう! 褒めても何も出ませんよ!」
ミーナが笑う。
男性たちもつられて笑った。
「いやあ、ガルドが毎日来たがる理由が分かったよ」
「だろ?」
「ちょっと、ガルドさんまで!」
ミーナが頬を赤らめる。
その様子を見ていたリリが、私の袖を引いた。
「ねえ、モニカ」
「なあに?」
「ミーナ、また褒められてる」
「そうね」
「いつも照れるのに、みんな言うね」
私は思わず笑ってしまった。
「きっと、ミーナの笑顔が好きなのよ」
リリは納得したように頷いた。
「わたしも好き」
「私もよ」
⸻
それから数日。
風呂屋は、これまで以上に賑やかになっていた。
ミーナの明るい接客を楽しみに来る常連客。
フィオナの施術を受けてみたいという新しいお客様。
そして、お風呂の気持ちよさを気に入って、何度も通ってくださる人たち。
お客様の顔ぶれは、少しずつ広がっていった。
「フィオナさん、次のお客様がいらっしゃいました!」
「はい! すぐに準備します!」
「タオル、こちらに置いておきますね!」
「ありがとうございます、ミーナさん!」
二人の連携も、すっかり板についてきた。
ミーナは受付と浴場の様子を見ながら、施術の予約時間を調整する。
フィオナは施術室を清潔に整え、一人ひとりのお客様に丁寧に向き合う。
私は必要に応じて施術を確認し、技術を教える。
リリは忙しそうな大人たちを眺めながら、できる範囲でタオルを運んでくれていた。
「モニカ、今日もお客さんいっぱいだね」
「ええ。ありがたいことね」
「フィオナ、すごい人気だよ」
「そうね」
「ミーナも人気だよ」
「ふふ。そうね」
リリは少し考えたあと、にっこり笑った。
「じゃあ、二人とも看板娘だね!」
私は思わず手を叩いた。
「それ、いいわね!」
「えっ?」
近くにいたミーナが振り向いた。
「何の話ですか?」
「ミーナとフィオナは、うちの看板娘だって」
「か、看板娘!?」
ミーナが目を丸くする。
フィオナも、施術室から顔を出した。
「わ、私もですか?」
「もちろんよ」
私は二人を見比べた。
「ミーナは、お客様を明るく迎えてくれる看板娘」
「えへへ……」
「フィオナは、施術でお客様を笑顔にしてくれる看板娘」
「そ、そんな……!」
フィオナが頬を赤らめる。
「二人とも、うちの自慢よ」
そう言うと、ミーナが少し照れたように笑った。
「……じゃあ、もっと頑張らないとですね!」
「はい!」
フィオナも嬉しそうに頷いた。
二人の笑顔を見て、私は胸が温かくなった。
⸻
その日の営業が終わったあと。
私は予約帳を開き、今後の予定を確認していた。
フィオナの指名は、着実に増えている。
まだ一人で任せられる施術には限りがあるけれど、成長の早さは目を見張るものがあった。
ミーナも、受付から浴場の管理まで、すっかり頼もしくなった。
(……みんな、本当に成長したわね)
前世の私は、自分の指名を増やすことに夢中だった。
お客様に満足していただき、また来たいと思ってもらう。
そのために、技術も接客も磨き続けた。
けれど今は、少し違う。
自分以外の誰かが、お客様を笑顔にしている。
それを見ることが、こんなにも嬉しいなんて。
(私がいなくても、お客様が笑顔になれるお店になってきた)
もちろん、まだ完全に任せられるわけではない。
フィオナには、もっと知識と経験が必要だ。
ミーナにも、これから覚えてもらいたいことはある。
でも、確実に前へ進んでいる。
私は予約帳を閉じ、満足げに息を吐いた。
そのとき。
コンコン。
入口の扉が叩かれた。
「はい?」
扉を開けると、そこには見覚えのある濃紺の騎士服があった。
「こんばんは、モニカさん」
「カイル様!」
王国第一騎士団長、カイル様だった。
「こんな時間に、どうなさったんですか?」
「少し相談したいことがあってな」
カイル様は店内を見回した。
「最近、こちらの風呂屋に腕のいい新人が入ったそうだな」
「はい。フィオナといいます」
「そのフィオナという娘の施術が、騎士たちの間でも話題になっている」
「騎士団でも、ですか?」
「ああ。休暇中にこちらを利用した者がいてな。長く悩んでいた腕の疲れが楽になったと、ずいぶん喜んでいた」
私は思わず微笑んだ。
「それは嬉しいですね」
カイル様は頷いた。
「実は、団員たちの身体のことで相談がある」
「騎士団の皆さんですか?」
「ああ。最近、警備と訓練が重なっていてな。疲労を訴える者が増えている」
なるほど。
騎士たちは、日々身体を酷使している。
剣の訓練だけでなく、長時間の警備や巡回もある。
筋肉の疲労が蓄積するのも無理はない。
「それで、モニカさんと、そのフィオナにも力を貸してもらえないだろうか」
私は微笑んだ。
「もちろんです。ぜひお話を聞かせてください」
そして、施術室のほうを見た。
そこでは、片づけを終えたフィオナが、ミーナと楽しそうに話していた。
(……ちょうどいいかもしれないわね)
フィオナの眼。
あの不思議な才能は、きっと騎士たちの役にも立つ。
もちろん、無理はさせられない。
けれど、私がそばについていれば、学べることも多いはずだ。
「カイル様。フィオナはまだ勉強中ですが、筋肉の疲れを見つけることに関しては、私も驚くほどの才能を持っています」
「そうか。ますます期待が高まるな」
カイル様は興味深そうに頷いた。
「では、詳しい話をさせてもらおう」
私は笑顔で応じた。
(ふふっ。これはまた、面白いことになりそう!)
新しい仲間が増え、風呂屋はますます賑やかになった。




