第5話 肉屋の親父の秘密
俺は先日の黒熊獣討伐で、五万ルトもの大金を手にした。
貯金は大幅に増えたのだが、冒険者になるためにはもっと貯めなければならない。
今日の営業を終え、今朝の狩猟と店のバイト代として四千ルトを受け取った。
安すぎる。
だが、文句を言っても無駄だ。
あの無愛想な親父が、素直に応じてくれるわけがない。
「すみませーん!」
「お、ミハークだ」
店の外から声が聞こえた。
同い年の幼なじみで悪友のミハークだ。
「親父、出かけてくる」
「明日もある。早めに帰ってこいよ」
「分かってるよ」
親父はやれやれという表情を浮かべていたが、友人と遊ぶ時間のほうが大切だ。
家を出ると、ミハークが落ち着かない様子で待ちかまえていた。
「よう、ミハーク」
「お、来た来た! アステル、急ぐぞ!」
ミハークが興奮した表情を浮かべている。
今にも走り出しそうだ。
「なんだよ。どうしたんだ?」
「アステル! 道具屋に行くぞ!」
「道具屋? もしかして、入荷したのか!」
「そうだよ! やっと来たんだよ! 二か月も待ったんだからな!」
「マジか! 行こうぜ!」
二か月前、ミハークは村の道具屋で一本の剣を予約注文した。
なんでも、有名な冒険者が監修した剣だという。
村の小道を全速力で走るミハーク。
こいつは昔から足が速く、体力もある。
「待てよ、ミハーク!」
「置いていくぞ! 早く来い!」
俺たちは村の道具屋へ向かった。
ミハークは受け取った剣を持って、すぐにでも冒険者の試験を受験するそうだ。
近日中に王都へ行くという。
俺も試験を受けたいが、金が貯まっていない。
冒険者になるためには装備を揃えるだけではなく、高額な試験代も必要だ。
それに、俺たちのような田舎者は旅費も用意しなければならない。
恐ろしく金がかかる。
「ミハーク、飯行こうぜ! お前の合格前祝いだ!」
「アステル! 俺のパーティーに入れてやるからな!」
「ああ、頼むぜ!」
俺たちは村の安食堂へ向かった。
***
ミハークが王都へ出発してから一か月が過ぎた。
この田舎の村から王都までは、片道二週間かかる。
ミハークは合否にかかわらず、一度村に戻ると言っていた。
そろそろ帰ってくる頃だろう。
いつものように仕事を終えると、店の前に見慣れた顔があった。
ミハークだ。
「ミハーク! 帰ってきたのか!」
「ああ、さっきな」
いつもに比べて表情が暗い。
旅の疲れなのか、それとも試験の結果なのか……。
「アステル、ちょっと付き合えよ」
「ああ、分かった」
俺たちは村の小道を歩く。
さっきから全く喋らないミハーク。
これほど口数のないミハークは珍しい。
昨年、同級生のクレディアに振られた時以来だ。
夕日が雲を赤く染め始めた。
大気の水分が多い。
今夜は雨が降りそうだ。
ミハークが河原に腰掛けた。
俺は黙って横に座る。
「お、俺……ダメだったわ」
「そうか」
「レベルが……高すぎた。うぐっ、うぐっ」
顔を伏せ、嗚咽を漏らすミハーク。
こういう時は何も言わないほうがいいだろう。
俺は声をかけず、隣でずっと川を眺めていた。
日没を迎えると、ミハークが顔を上げた。
「はあ、マジで世の中は広いぜ」
ミハークがやっと口を開いた。
いつもの明るい声で、表情も吹っ切れた様子だ。
「そんなに凄いのか?」
「ああ、学科は大丈夫だったが、体力試験がダメだった。化物揃いだよ。地獄の試験は伊達じゃなかったぜ」
「お前でもダメなのかよ! くそ、自信なくすぜ」
「はあ? お前なら大丈夫だろ!」
「いてっ!」
ミハークが俺の背中を強く叩いた。
「ミハーク、冒険者はどうすんだ?」
「身体鍛えて、金貯めて、また試験を受けに行くよ。まだ十八歳だしな。何事もチャレンジだ」
「そうだな。次こそ受かるさ」
「アステルはどうすんだ? 行くんだろ?」
「金が貯まったらな。まだもう少し時間がかかりそうだ」
俺は立ち上がり、尻についた草を手で払う。
「さて、じゃあミハークの残念会でもするか」
「奢れよ?」
「金ないんだよ!」
「俺は試験で金使ったからもうスッカラカンなんだよ……。しかも落ちたし……。うぅ……」
「わ、分かったよっ! 奢るよっ!」
「よっしゃ!」
急に元気を出したミハーク。
「なあ、クレディアを呼ぼうぜ!」
「お前、振られただろ」
「いいじゃねーか! 何事もチャレンジだ!」
俺たちはいつもの安食堂へ向かった。
***
その日の深夜は予想通り猛烈な雨だった。
それでも俺は狩りへ行き、親父に指定された森牙豚を狩猟した。
家に戻り、ずぶ濡れの身体をタオルで拭く。
「風呂沸いてるぞ。そのまま入っちまえ」
「ああ、そうするよ」
「おい。お前、冒険者の試験を受けるんだろ?」
風呂に向かおうとすると、親父が珍しく冒険者の話題に触れた。
「まあな。金が貯まったら試験を受けに行くよ」
「貯まったのか?」
「もう少しだな。なんだよ、止めるのか?」
「止めはしないさ。十八歳になったら好きなことをしていいという約束だからな」
親父が森牙豚の解体を始めた。
こと解体に関して、親父の右に出る者はいないと思う。
「ミハークは試験に落ちたってさ」
「そうか。まあ、体力試験だろうな。だが、お前は受かるさ」
「本当かよ」
「お前は昔から冒険者になりたいって言っていたからな。先に鍛えておいた。あの試験ごときで落ちるような鍛え方はしていない」
「そりゃありがたい。あはは」
俺は八歳の頃から、変な武器を持たされて毎日狩りへ行っていた。
多少なりとも体力はあると思う。
「アステル。これを使え」
解体の手を止めた親父が、両掌ほどの大きさの木箱を手渡してきた。
「なにこれ?」
「お前の金だ」
「え?」
「渡すと使うからな。お前のバイト代を抜いて、俺が貯めておいた」
腕にずっしりと重みを感じる。
蓋を開けると、何十枚もの金貨が入っていた。
「お前、明日十八歳の誕生日だろ。これを使え」
「お、親父……」
相変わらずの無愛想だが、親父の言葉が心に沁みた。
木箱を持つ手が僅かに震え、金貨が滲んで見える。
俺は視線を少しだけ上に向け、こぼれそうな涙を我慢した。
「試験はいつでも行っていいぞ」
「う、うちの肉はどうすんだよ? 業者から仕入れるのか?」
「しばらくは俺が行く」
「え? 親父が?」
「俺は冒険者だ。このために引退届は出していない」
「は?」
親父の言葉を理解するのに少しだけ時間がかかった。
解体を再開した親父は、もうすでに部位を切り分けている。
「お、親父が冒険者だって! 初めて聞いたぞ!」
「初めて言ったしな。お前の大先輩になるんだぞ」
「マジかよ。知らなかった。とは言ってもな……」
支部長のガドルフさんは元Cランクと言ってた。
支部長でCランクだ。
先輩なんて威張ってるが、親父なんてDランクがいいところだろう。
「Aランクだ」
「え?」
「だから、俺はAランクだって言ってんだろ」
「は、はあ⁉︎」
Aランクなんて伝説級だ。
凄腕どころじゃない。
冒険者の中でも、人間を捨てたような化物しか到達できないと言われている。
「う、嘘だろ!」
「嘘をつくわけないだろ」
もしマジで親父がAランクなら、なぜ田舎で肉屋なんてやっているのだろうか。
いや、それよりも冒険者のことや試験のことを聞きたい。
「は、話を聞かせてくれよ!」
「ダメだ。自分で経験しろ。それが人生だ」
「いいじゃねーか! 試験対策したいんだよ!」
「知らないほうが楽しいぞ」
「んだよ! ケチ親父! 感動が全部吹き飛んだ……ハックション!」
俺はついに王都へ行けることになった。
もちろん、その前に風呂へ行く。




