第36話 肉屋の親父は見えている
生い茂る草木をかき分け、二人は山を歩く。
当然ながら道などない。
だが、ヴォルフにとっては庭で散歩しているようなものだ。
「ガドルフ、森兎だ。あの方向に二匹、向こうに三匹いる」
「俺には見えないが……」
「あの枝の葉に向かって二回矢を射ろ。で、一呼吸おいて向こうの枝の隙間に向かって三回だ」
「あ、ああ。分かった」
ガドルフはすぐに弓を構え、ヴォルフが指差した方向に向かって正確に矢を射た。
「ふむ。支部長になっても腕は落ちてねーじゃねーか。血抜きは任せたぞ」
「し、仕留めているのか?」
「ああ、仕留めたぞ」
「相変わらずだな……」
ガドルフは内心ヴォルフの腕が落ちたかと心配していた。
だが、当時と変わらぬ異常な能力を発揮していることに安心した。
「そうだ。おい、ヴォルフ。危険なモンスターとはなんだ?」
「山灰迅竜だ。昨日から気配を感じていた。昨日は時間がなくてな。今日狩ろうと思っていたんだ」
「イ、山灰迅竜だと! Aランクモンスターじゃねーか!」
「あれがこの山に来るのは珍しいんだがな。狩っておかないと、山の動物を食い荒らされちまう。山に入るきこりだって危ない」
竜類モンスターで四足歩行の山灰迅竜は、山間部において食物連鎖の頂点の一角に立つ。
人の五倍もある体長からは想像もつかないほどの移動速度を誇り、鋭い牙や爪で獲物を容易に仕留めていく。
本来山灰迅竜の狩猟ともなれば、上級パーティーが綿密な計画を立て実行に移す。
だが、目の前にいるガドルフの親友は、不世出の狩人と呼ばれるほどの達人だ。
「ガドルフ、気配を消せ。来たぞ」
「山灰迅竜!」
山灰迅竜は、そのしなやかな巨体で密集した木々をすり抜けて歩く。
時折立ち止まり、顔を上げて匂いを嗅ぐ仕草を見せていた。
「ガドルフ、あの大木に向かって弓を射ろ」
「山灰迅竜とは違う方向だぞ?」
「構わん。五つ数えたら終わっている」
「わ、分かった……」
ガドルフは、ヴォルフの指示通り矢を射る。
唸りを上げた矢は、カアンッと甲高い音を立て、木の幹に突き刺さった。
「一、二、三、四――」
ヴォルフは数字を数えながら、剣を振り上げる。
そして、何もない場所へ剣を振り下ろした。
「五」
ヴォルフが振り下ろしたロングソードに向かって、突然山灰迅竜が自ら首を差し出すかのように飛び込んできた。
「なんだとっっっっ!!!!」
ガドルフが思わず声を上げる。
山灰迅竜は首から血を吹き出し、そのままの勢いで大木の幹にぶつかり滑り落ちていく。
そして、そのまま絶命した。
山灰迅竜は、死んだことにすら気づいていないだろう。
「し、信じられん……。しかし、これこそが『天眼のヴォルフ』だ……」
ヴォルフの二つ名を思い出したガドルフ。
ヴォルフは目の前で山灰迅竜の首筋を斬るために、反応を見越して矢を放たせ、剣を振り下ろしていた。
「はっ! も、もしかして、俺を連れてきたことも計算のうちだったのか⁉︎」
「まあな。お前、今朝赤羽鶏を焼いただろ。その匂いが服についていたからな。山灰迅竜なら匂いに反応する」
「こ、この化物め……」
ガドルフは額から汗を流しながら、人の皮を被った狩猟の化物を見つめた。
「さて、解体しちまうか。ガドルフ、森兎を回収してこい」
「わ、分かった」
剣を鞘に納めたヴォルフは、腰から解体用のナイフを抜く。
仕留めると同時に首を斬って血抜きまで行っているため、さっそく解体を始めた。
「おい、ヴォルフ! なかなかいい森兎だったぞ!」
五匹の森兎を麻袋に入れたガドルフが戻ってきた。
ヴォルフに向かって麻袋を掲げる。
「そうか。婆さんが喜ぶだろうよ」
手際良く山灰迅竜を解体していくヴォルフ。
肉屋の親父は解体師としても超一流だ。
「なあ、ヴォルフ。山灰迅竜の素材はどうするんだ? ギルドで買い取ってもいいぞ。これほどの個体なら全部で三百万ルトってとこだろう」
「いや、山灰迅竜の肉はうちで販売する。珍しいし、旨いからな」
「そりゃ構わないが……。じゃあ、残りを買い取るか? それでも二百万は超えるぞ?」
「販売する分だけの肉を持ち帰る」
「おいおい、余った素材はどうすんだ? 肉以外の毛皮、牙、爪、骨が高いんだぞ? むしろ肉が一番安いくらいだ」
「放置する」
「はあ? 捨てるのかよ! もったいないぞ!」
「いいんだよ。余った肉や内臓は山の動物の餌になるし、骨は肥料になる。たまにはこうして山に還元しないとな。豊かな山を維持するのも肉屋の務めだ」
「そ、そうか」
「よし、旨い部分だけを切ったぞ。帰ったらお前に一番旨い肉を食わせてやる」
「そりゃ楽しみだ」
二人は持てるだけの肉を麻袋に詰めて、山を下り始めた。
ガドルフが後ろを振り返ると、さっそく山斑猫や牙土狐などの肉食動物が肉を漁っている。
全てヴォルフの思い描いた通りになっていた。
「いくらアステルがSランクとはいえ、狩人としてはヴォルフの域に達してないだろうな」
ガドルフはそう呟きながら、動物たちを見つめていた。
「おい、ガドルフ。置いていくぞ」
先を歩くヴォルフが振り返った。
「ま、待て!」
「お前……、くくく。三、二、一」
「なんだよ」
「転ぶぞ」
「あいたっ!」
ヴォルフの予言通り、ガドルフは盛大に転倒した。
「先に言えっ!」
「山で油断するほうが悪い。くくく」
「ぐっ!」
ヴォルフの正論に、全く反論できないガドルフだった。
◇◇◇




