第9話 二つ並べばシンメトリーだ
放課後。
学校から歩いて十分ほどの場所にある、大型の百円ショップ。
雨はいつの間にか止み、蛍光灯の白い光が整然と並んだ商品を照らしている。
「あったぞ、結城!」
裕介さんがおもちゃのバドミントンセットを手に取り、ヒュンと素振りの真似事をする。
「通路が狭いんですから、店内で無闇に振らないでください」
私が冷静に注意する横で、杉田さんは別のラケットの柄をトントンと指で叩き「ふむ……グリップの軽さが、カボチャを切る時のペティナイフのようだ」と、相変わらず渋い顔でよく分からない評価を下している。
ふと振り返ると、東雲さんは私の後ろを、はぐれないようにカルガモの子供のようについてきていた。
しかし、その視線は棚の一点を凝視して動かない。
「……東雲さん? 変なおもちゃに走っちゃダメですよ?」
「えっ?! あ、うん! 私はただ、この先端のカーブがシャトルの軌道に与える空気抵抗を考察していただけで……断じて、この魔法のステッキをラケット代わりに使おうだなんて……」
「めちゃくちゃ考えてたじゃないですか」
分かりやす過ぎる東雲さんのポンコツな言い訳を聞いて「おもしれぇ人だな」と裕介さんはカラカラと笑った。
最初は少しぎこちなかった彼女も、周りの気さくな反応を受けて、ホッとしたように前髪の奥の目を細めていた。
「あ、そうだ。プロテインのシェイカーねぇかな、シェイカー」
裕介さんが食器が並んでいるコーナーへ向かって歩き出す。
シェイカーならスポーツ用品の方かもしれない。
私も探すのを手伝おうと後を追おうとした、その時だった。
通路の隅にある雑貨コーナーがふと目に入る。
隅に追いやられたワゴンの中で山積みになっていたのは、手のひらサイズの小さなキーホルダーだった。
宇宙の真理でも悟ったかのような、あるいは全ての虚無を吸い込んだような、何とも言えないシュールな瞳をした『カエル』が、私をじっと見つめている。
「……」
それを見た瞬間、私の脳裏に、あの小さな畳部屋で大量のぬいぐるみに護られていた彼女の小さな背中が鮮明によぎった。
自分に言い訳をするように一つ小さく息を吐くと、私はラケットと一緒に、そのカエルをそっと、自分の買い物カゴに放り込んだ。
***
お店の外に出ると、分厚い雲の隙間からオレンジ色の夕暮れが顔を覗かせていた。
アスファルトにできた大きな水たまりが、夕焼け空を反転させて映し出している。
前を歩き出した裕介さんたちに気付かれないよう、私は少し後ろを歩いていた東雲さんの前で足を止めた。
「東雲さん。ちょっといいです?」
「ん? な、何かな、結城くん」
「……はい、これ」
私は自分のレジ袋から、あの間の抜けた顔をしたカエルを取り出し、彼女の目の前に差し出した。
「この前、家まで送ってもらったお礼です。東雲さんの部屋の、新しい住人に良いかと思って」
柄にもないことをしている照れくささを隠すように、少しぶっきらぼうに言うと、東雲さんは黒い瞳を限界まで見開き、数秒遅れて、耳の先から首筋までを一気に真っ赤に染め上げた。
「こ、これを、私に……? わざわざ……?」
「大した物じゃなくてすみません。……いりません?」
私が少し気まずくなって手を引っ込めようとすると、彼女は「い、いるっ! もらうっ!」と慌てて三つ編みおさげを揺らし、何度も首を縦に振った。
しかし、カエルを受け取ろうと伸ばされた彼女の白く細い手は、触れる直前、不自然な位置で動きを止めた。
「あ、いや……まぁ、その。非常に、言いにくいのだけど……」
彼女は手を引っ込め、気まずそうにもじもじとローファーのつま先を動かした後、観念したように、ギュッと握りしめていた自分のレジ袋の中に手をごそごそと突っ込んだ。
そして取り出されたのは……見覚えのあり過ぎる、緑色のフォルムだった。
「実は、私の方でも……お迎えしてしまっていて」
彼女の小さな手のひらに乗っていたのは、私が今差し出しているものと完全に一致する──あの何も考えていなさそうな目をした、全く同じ顔のカエルだったのだ。
「「…………」」
私たちはお互いに裕介さんたちの裏で、同じワゴンの同じ棚から、こっそりと同じカエルを買い求めていたのだ。
これにはもう、笑うしかない。
私は顔を赤らめてフリーズしている彼女より早く、思わず声を上げて笑いだしてしまった。
「あっはは! な、なるほど! まさか被るなんて! その可能性は考えてなかったです。そしたら……そうですね、自分のカエルは返品してきますよ。レシートがあればまだ──」
「ま、待って!」
私がカエルを袋に戻そうとすると、東雲さんは慌てて両手で私の手からカエルを奪い取った。
一瞬だけ、彼女の柔らかい指先が私の手に触れた。
その距離に心臓が大きく警鐘を鳴らすが、彼女は私の動揺など気にする様子もなく自分のカエルと私のカエルを並べた。
彼女の白い両手の中で、二匹の虚無なカエルが並んで私をじっと見つめている。
「ふ、二つ並べばシンメトリーだ! 見栄えが良いから! 彼らには二匹一組で、私を護ってもらうことにします!」
大事そうに二匹のカエルを胸に抱きしめると、東雲さんは少しだけクリエイターらしい(?)真剣な眼差しになり、二匹の虚無顔をじっと見つめ返した。
「よし……今日からお前たちは『阿』と『吽』だ。我がアトリエの金剛力士像として励むように」
「……百円のカエルに背負わせるには、名前が重すぎませんか?」
私の冷静なツッコミにも、早口で理屈を並べた彼女の桜色の口元はだらしなく緩みきっていて、全く聞こえていないようだった。
大事そうに二匹のカエルを抱きしめる彼女の横顔は、夕暮れの光のせいだけではなく、とても嬉しそうで、ひだまりのように温かい色をしていた。
「結城ー! 置いてくぞー!」
少し先から聞こえた声に、私は道を空けて「行きましょうか」と東雲さんを促す。
少しずつ広がっていく、この騒がしくて心地良い日常。
水たまりを避けながら歩く彼女の軽快な足取りを見つめながら、私は柄にもなく、上機嫌だった。
こんな梅雨なら……梅雨も悪くない。
***
帰宅後の自室。
風呂上がりで生乾きの髪をタオルで拭いていると、机の上に置いたスマートフォンが『ブーッ』と短く震えた。
画面をタップすると、表示されたのは『東雲紗雨』の名前。
連絡先を交換してから初めてのメッセージだった。
(……なんだろう?)
不思議に思いながらメールを開くと、そこには一枚の画像が添付されていた。
写真に写っていたのは、彼女の部屋のパソコンデスク。
モニターの左右に、先ほど命名されたばかりの二匹の虚無顔ガエル『阿』と『吽』が、シンメトリーに、そしてどこか誇らしげに鎮座している。
その写真の下には、一言だけ短いテキストが添えられていた。
『結界の強度が上がりました』
私は思わずベッドに背中からドサリと倒れ込んだ。
数日前に交換したばかりの、業務連絡という名目で手に入れた連絡先。
それがこうして、私のプライベートな時間まで温かく浸食してくる。
虚無顔のカエルたちに見守られながら、真面目な顔をしてパソコンに向かう彼女の姿を想像すると、自然と口角が緩んでしまうのを、私は止めることができなかった。
仰向けのままスマホを両手で持ち直し、私は短い返信を打ち込む。
『その結界、私は入れるようにしておいて下さいね』
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




