第8話 私に見せてご覧なさい
窓の外を、梅雨特有の重たい雨粒が滑り落ちていく六月中旬。
一コマ目の授業が始まる直前の少しざわついた教室で、私は左隣の裕介さんに聞き返した。
「学科対抗バドミントン大会?」
「そ。なんか毎年この時期にあるらしいぜ。梅雨でジメジメしてるから、市営の体育館を一日貸し切って、みんなで体動かそうぜ! ってノリらしい」
裕介さんは、首から下げた大型のワイヤレスヘッドホンを指先で弄りながら、あくび混じりに言う。
「デザイン学科だけじゃなくて、プログラムの連中やブライダルも来るんだと。プログラムの奴らは日頃から徹夜アピールばっかしてくるし、ブライダルは無駄にキラキラしてて鼻につくからさ。ここで一発、デザイン学科の底力を見せてやろうぜ」
「専門学校にも、体育祭みたいな行事があるんですね。でも、どうしてバドミントンなんですかね?」
私が素朴な疑問を口にすると。
さらに左隣に座る杉田さんが、持参した渋いステンレスボトルから黒豆茶をコップに注ぎながら、低く落ち着いた声で参戦してきた。
「結城くん、そこが運営の妙だよ。狭い屋内でもネットさえ張れば同時に何面も展開できるし、ルールが明快だ。……ただ、この時期の屋内スポーツは湿度との戦いになる。熱中症対策としての水分補給は勿論、疲労回復を促すクエン酸の摂取……例えば、蜂蜜レモンのような差し入れが勝敗の鍵を握るだろう。場合によっては、我が家で漬けている三年物の梅干しを持参してもいい」
「杉田さん、大会の勝ち負けより裏方のケータリングに命懸けようとしてません? あと梅干しOUT、レモンINでお願いします」
裕介さんがすかさず的確なツッコミを入れたのとほぼ同時に、教室のドアが開き、プリント用紙を抱えた担任が入ってきた。
「はーい、席に着いて下さーい。えー、お知らせしている通り、いよいよ今週の金曜日、市営体育館で学科対抗バドミントン大会があります。鈍った身体のリハビリだと思って、思う存分に発散して下さい。ちなみにペアの相手は先生が勝手に決めました」
教室中から気怠そうな声と、一部の男子たちの活気づく声が入り混じる。
「はい静かにー。それでは改めて授業を始めます。一コマ目は……あー、昨日から引き続きね。架空の清涼飲料水のボトルラベルを各自デザイン。以上、作業開始!」
カチッ、カチカチカチッ……と、教室中に一斉にマウスのクリック音が響き始める。
私もテキパキとソフトを立ち上げようとした、その矢先。
「……あの、結城くん」
右隣から、私の袖をちょんと引く微かな感覚と共に、蚊の鳴くようなひそひそ声が飛んできた。
視線をやると、東雲さんが私の顔をじっと見つめている。
学校での彼女はいつも浅葱色のカーディガンを羽織り、周囲を寄せ付けない孤高のクリエイターとしてオーラを放っている。
……まぁ先日、その結界の裏側にあるヨレヨレのTシャツ姿を見てしまった私にとっては、その虚勢すら微笑ましく見えるのだが。
「はい、なんでしょう、東雲さん」
「その……先ほどのバドミントンについてなんだけど」
「どうかしました?」
「非常に申し上げにくいのだけれど……飛んでくるシャトルに対してラケットをピンポイントで当てるという一連の動作が、私にとっては至難の業でね……」
要するに、運動神経が絶望的に悪いということだろう。
ふと視線をやると、彼女のデスクの隅でいつも綺麗に整列している動物のぬいぐるみたちが、今は何故か一匹残らず無惨に仰向けに転がり、まるで集団で全滅したかのような完全なる『お手上げ』のポーズを取っていた。
彼女の絶望感がこんな所でも表現されているらしい。
「心配しなくても、ただのお祭りみたいなものですから。適当に打ち返していればいいんですよ」
「も、もし君とペアになったら、私はコートの隅で背景の一部と化しているからね」
「……まぁ、考えておきます。そういえば課題の方はどうです?」
「無論。私の右脳が既に完璧な完成予想図を描き出している」
東雲さんが自身のパソコンに向き直る。
彼女の画面を覗き込むと、透き通るような美しい水色と鮮やかなレモンイエローが絶妙なグラデーションで配置されていた。
「もうほとんど完成してますね……流石」
「結城くんは?」
「まだ全然です」
「どれどれ、私に見せてご覧なさい」
連絡先を交換して以来、学校でもちょっとした雑談を交わせるようになった。
それは私にとって、少しだけ毎日の登校を軽くしてくれる、心地良い変化だった。
***
昼休み。
雨は依然として降り続いており、大半の学生は教室に残って昼食をとっていた。
個々の席で食事を取る人も居るが、教室にはパソコンが並ぶ長机の他に、B1サイズのポスターを何枚も広げられるくらい大きな作業用のテーブルがある。
沢山の案を並べて比較したり、大人数で資料をまとめたりするスペースなのだが、複数人が集まる時には大抵このスペースで談笑しながらの昼食になる。
「やっと飯ですよ! 杉田さんの今日の飯はなんですか?」
「今日は自家製の鶏ハムと、彩り野菜のマリネだ。タンパク質とビタミンのバランスを考慮した」
「いつもながらお弁当のクオリティじゃないです……!」
二人の話を聞きながら、私もサンドイッチの封を開ける。
「……」
……その時、東雲さんはといえば。
自分のデスクで小さなタッパーに入ったおにぎりを一人でちまちまとかじっていた。
周囲のグループが賑やかに談笑する中、彼女の周りだけがぽっかりと孤島のように切り取られている。
『……結城くんが、羨ましいよ』
あの夜の、彼女の不器用な告白が脳裏をよぎった。
「……」
私はサンドイッチを片手に、座っていたデスクチェアのキャスターを滑らせて、右側にスッとずらした。
「東雲さん」
「ひゃいっ!? な、なんだい結城くん。もしかして私のタコさんウィンナーの足の数が、厳密には八本ではなく六本しか切り込みが入っていないという痛恨のミスを指摘するつもりかい?」
「そんな所まで見てませんよ。もし良かったら……お昼を一緒に食べませんか?」
東雲さんはタコさんウィンナーを箸で摘んだまま、小動物のようにパチクリと瞬きをした。
私が視線で促すと、裕介さんが「おっ、東雲さんもこっちで食おうぜ!」と無邪気に手招きし、杉田さんも「僕の鶏ハムも少しお裾分けしよう」と穏やかに微笑んだ。
「う、うん……じゃあ、お邪魔します」
耳の先を赤く染めながら、東雲さんは手元のタッパーを大事そうに胸に抱え、ちょこん、と私達の輪に加わった。
***
最初は緊張でガチガチだった彼女も、裕介さんの底抜けに明るい性格と、杉田さんのマイペースな料理談義に巻き込まれるうちに、少しずつ前髪の奥の目を細めて笑うようになっていた。
「よし、決めた!」
弁当を平らげた裕介さんが、ペットボトルのお茶を飲み干してドンと机を叩いた。
「今日の放課後、みんなで百均行こうぜ! バドミントンのラケット買って、明日からの昼休み、中庭で特訓だ!」
中庭とはいうが、それは校舎と駐車場までの間にある小さな公園のことだ。
学校の敷地内ではなさそうだが、そこのフェンスが駐車場と一繋がりになっていて、まるで中庭のように見えることからそう呼ばれている。
東雲さんはバドミントンが苦手だとさっき言われたばかりなのに、誘ったところで来るわけがない。
しかし、この場に居合わせて誘わないのも不自然な気がして、私は物は試しに声を掛ける。
「……東雲さんも一緒に来ます?」
絶対に断られると思った。
しかし──。
東雲さんは膝の上の空のタッパーをぎゅっと握りしめ、少しだけ不安そうな、けれどせっかくの誘いを絶対に逃したくないというような決意の目で、意外にもコクリコクリと力強く頷いた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




