第86話 本当の自分
嗚咽を堪え、震える息を吐き出しながら、私は自嘲気味に呟いた。
「……東雲さんには、見透かされてたんだと思います」
「……何をだよ」
裕介さんがボソリと尋ねる。
「私が、弱い人間だってことを、です」
私はずっと胸の奥に隠し持っていた醜い劣等感を吐き出した。
「自分は誰にとっても都合のいい『良い人』を演じてるだけです。自分の芯なんて何もない。ただ嫌われたくなくて、優しい人のフリをしているだけです……」
「結城……」
裕介さんが痛ましそうに私の名前を呼ぶ。
「優等生の仮面を被って……でも、その仮面の下には何もない。本当の自分なんて、どこにもいない……」
カラオケボックスの安っぽいソファに沈み込みながら、私は言葉を絞り出していく。
「嫌われるかもしれない……そう思うだけで何にも出来なくなって……失ってしまうことが怖くて……怖くて。そんな……上辺だけ取り繕っただけの偽物が……受け入れられないのは当然……」
どうしようもない自己嫌悪が、心臓を黒く塗りつぶしていく。
所詮、私は偽物なのだ。
東雲さんに寄り添っていたのも、そうすれば優しい自分でいられるような気がしたからだ。
私は姑息にも今ある幸せを少しずつ享受して、望まれていたかもしれない『もう一歩』を踏み出せず、人の時間を、気持ちを、ダラダラと食い潰しているだけの化物だ。
そんな人間に、誰かの隣に立つ資格なんてあるはずがない。
死ぬまで終わらないエンドロールを、私はこれからもずっと眺めて生きる。
それが臆病者の末路。
「…………それってさ」
そんな私の卑屈な言葉を真っ向から遮ったのは、今まで意外にも静かに黙っていた早瀬さんだった。
いつもみたいにギャーギャー騒ぐ声ではない。
静かで、でも真っ直ぐな声が、私の耳にスッと届いた。
「別に、誰かを騙してることにはならないんじゃない?」
「…………?」
顔を上げると、早瀬さんが真剣な瞳で私を見つめていた。
普段のチャラチャラした陽キャの雰囲気は消え去り、ただ一人のクラスメイトとして、私と向き合ってくれている気がした。
「だって、誰にでも優しくするなんて、普通は出来ないよ。フリだとしても、実際に結城くんは東雲さんをずっと助けてきたじゃん。課題手伝ったり、声掛けてあげたりさ」
「それは……ただ、そういうふうに見られたい私が……勝手に……」
「だから、それでいいじゃん!!」
早瀬さんは、力強く、私の目を見ていた。
「結城くんの言う『偽物の自分』ってさ……それって、結城くんのなりたい『本当の自分』なんじゃないの?」
不意に投げかけられた言葉に。
私は息を呑んだ。
「なりたい………………『本当の自分』…………?」
「そう。
優しい人になりたいから、優しい人のフリをしてる。
頼りになる人になりたいから、
頑張って頼りになるフリをしてる。
……それって、ただ努力してるだけじゃん!
理想の自分に近付こうとしてるだけじゃん!」
「…………」
「全然空っぽなんかじゃないよ! 結城くんの中には『こういう人でありたい』っていう、すっごくちゃんとした『本物』があるじゃん!」
さっきまであんなに鬱陶しかったミラーボールの光が、今は不思議なほど温かく、早瀬さんの言葉と共に、干からびた心にじんわりと染み込んでいく。
なりたい『本当の自分』。
それは、今まで考えたこともない視点だった。
良い人を演じている自分を、ずっと卑怯で空っぽな存在だと思い込んでいた。
けれど、もしそれが「彼女にとって誇れるような自分になりたい」という不器用な願いの形だったのだとしたら──。
「……早瀬さんに良い所を全部、持っていかれてしまったかな?」
杉田さんが小さく笑って早瀬さんの頭をポンと叩いた。
「早瀬もたまには良いこと言うな!」
「『たまには』って何?!『たまには』って!」
「いや俺も全く同じこと思ってたんだよ! お前に先越されたけどな!」
裕介さんもわざとらしく胸を張り、ニシシと笑う。
「ほら、結城くん」
杉田さんが、私の目の前にスッと手を差し出した。
「僕たちが見ている君が、偽物か、本物か。そんなことは僕たちにはどうでもいい。ただ、君が今『なりたい自分』は……ここでこうやってうずくまり泣いてる姿なのかな?」
その言葉に、
私は、何かが繋がるような感覚がした。
どれだけの走馬灯が映し出されたか分からない。
順番に重ねられた記憶の写真を全て重ね終えた時。
その全てを透かせる程の強い光が差し込み、貫いた。
……私は涙を、服の袖で、左右に、ガシガシと、グシャグシャと、何度も拭いた。
そして、差し出された杉田さんの手を力強く握り返し、顔を上げる。
見えたのは、みんなの頼もしい笑顔だった。
この時。
こんなこと、本当にあるんだなって。
いつか絶対に小説にしようと、心に決めた瞬間だった。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




