第74話 真綿の走馬灯
賑やかだった食事会も一段落し、早瀬さんは「私、ちょっとシャワー浴びてくるね。二人とも、ハワイ最後の夜なんだから星でも見てくれば?」と、あからさまに気を利かせるような台詞を残し、着替えを抱えてバスルームへと消えていった。
残された私たちは顔を見合わせ、やがて示し合わせたように、開け放たれたテラスへと足を踏み出した。
一歩外へ出ると、冷房の効いた部屋の中とは違う、ハワイ特有の生温かく甘い夜風が全身を包み込む。
眼下には煌びやかな夜景が広がり、海岸線に沿ってオレンジ色の街灯が緩やかな弧を描いている。
その光が届かない漆黒の海の上には、吸い込まれそうなほどの満天の星が広がっていた。
遠くから聞こえる規則的な波の音が、心地良いBGMのように夜の空気を震わせている。
私たちは手すりに並んで寄りかかり、しばらくの間、ただ黙って景色を眺めていた。
「……本当に、あっという間でしたね」
私がぽつりとこぼすと、東雲さんは夜風に髪を揺らしながら、小さく頷いた。
「うん。……何だか夢みたい。明日にはもう日本に居て、何事もなかったかのように元通りだなんて……」
「初日から色々ありましたからね。……まさか隣の席の女の子とハワイ旅行が出来るなんて思っていなかったです。私の人生は今日この日の為にあったんだなって思います」
「あはは、大袈裟」
東雲さんは思い出し笑いをして、目元を細めた。
この数日間、彼女と一緒に過ごした時間は、これまでの私の人生では考えられないほど目まぐるしく、鮮やかなものだった。
……それは大袈裟でも何でもなく、残されたのは……長い長いエンドロールを眺めるだけの時間。
もう記憶の中にしか無い景色を、私は何度も何度も繰り返す。
これは死ぬまで見続ける真綿の走馬灯。
「海では言えなかったんですけど、水着……似合ってましたよ」
「……えっち」
「今日のは……確かにエッチだったかもしれません」
私は自嘲気味に微笑む。
彼女は手すりに顔を半分埋めるようにして伏せ、耳まで赤く染めながら上目遣いでこちらを睨んできた。
「……バカだなー」
「馬鹿じゃないです。 私は思い出作りに付き合っただけです」
「……その後のことだよ。水着が……外れちゃった時」
彼女の声が、波の音に溶けるように小さくなる。
「あの時の結城くん……すっごく可愛かったな、って」
「人を子供だと思って……私の心臓がどれだけ縮み上がったと思ってるんですか」
「ふふっ。でもね……」
東雲さんは夜空へと視線を移し、少しだけ声のトーンを落とした。
「あの時、結城くんが『思い出作り』って言って、踏み出してくれたこと。……私、この旅行の中で一番嬉しかったよ」
「東雲さん……」
「結城くん、いつも一歩引いて、遠くから眺めてるだけで十分だって言ってたじゃない? だから、私から伸ばした手を、結城くんがちゃんと掴み返してくれた気がして……すごく、ホッとしたの。やっと届いた! って感じ」
彼女の飾らない言葉が、甘い夜風に乗って私の胸の奥深くに沁み込んでいく。
あの時、私が鍵を掛けていた部屋のドアを、彼女は一生懸命にノックし続けてくれていたのだ。
その手がどんなに傷付いていたかも私は気付かないままで。
「……明日には帰国して、学校の課題も山積みですね」
私が照れくささを誤魔化すように現実的な話を零すと、東雲さんはふふっと笑い、波間に視線を向けたまま静かに口を開いた。
「……ねえ、結城くんって、どうして専門学校に来たの?」
不意の質問だった。
「私ですか? 私は……そうですね」
私は夜空を見上げ、自分の過去を振り返る。
「前も言いましたけど、私は元々中高一貫の進学校にいたんです。成績も悪くはなかったんですが……ある時、ふと虚しくなってしまって」
「虚しく?」
「学校の勉強って、過去の偉人が見つけた答えや、誰かが調べた歴史上の事実を、ただひたすら頭に詰め込むだけの作業じゃないですか。私はそれに飽きちゃって」
「……受験に必要な知識はそうかもね」
「だから、何かを『覚える』んじゃなくて、自分の手で『作り出す』側に回りたかった。誰の正解でもない、ゼロから何かを生み出したくて、デザインの道を選んだんです」
私が照れくさく語ると、東雲さんは「そっか」と優しい声で相槌を打った。
「結城くんらしいね。……結城くんの絵、私、好きだよ。丁寧で、魅力を分かりやすく伝えようとしてるのが分かるもん」
「そうですか? 自分じゃ分からないですけど……そういう東雲さんは、どうしてデザイン学科に?」
私が問い返すと、彼女はもじもじとして、それでも少しずつ口を開いてくれた。
「……わ、私ね、小さい頃から頭の中にお話を思い浮かべるのが好きだったの。だから会社員になった後も創作活動……的なことをしてて。だから私は会社員から逃げてきたようなものなんだけど……」
「創作活動っていうのは……同人誌のような?」
「絵も描いてたけど……一番好きなのは小説かな」
「小説。それは初耳です。……どんなお話を書いてるんですか?」
私が尋ねると、彼女は夜風に揺れる髪を耳にかけながら、恥ずかしそうに微笑んだ。
「えっとね! 等身大の……普通の女の子が活躍する、異世界転生もの……とか」
「ほぅ? それはちょっと意外かもです」
「現実の世界からファンタジーの世界に行っちゃうんだけど、新しい世界で冒険して、そこでちゃんと恋愛もするの。ほとんど少女漫画みたいな感じなんだけど……」
新しい世界での恋愛。
そう語る彼女の横顔は、夜景の光を帯びてとても綺麗だった。
絵だけでなく、文字で自分の世界を構築していく。
普段の彼女の今まで知らなかった一面を知ることが出来た気がして、私はとても嬉しくなった。
「……いつか読ませて下さい」
私が真っ直ぐに見つめてそう言うと、彼女はハッとして、恥ずかしそうに、でも顔を輝かせてくれた。
「……………………本当? まだ全然書きかけなんだけど……でも結城くんになら、読んでもらいたい…………かも。完成したら一番に渡すね。…………約束」
彼女がそっと小指を差し出す。
私はそれに自分の小指を迷うことなく絡めた。
夜風が吹き抜け、絡めた指先から伝わる彼女の微かな体温が、私の胸の奥をじんわりと温めていく。
「小説、か……」
私は夜空に浮かぶ無数の星々を見つめた。
「私もいつか書いてみたいです」
「えっ、結城くんが? どんなお話?」
彼女が興味津々に目を丸くする。
私は少し考え込み、やがて静かに微笑んだ。
「そうですね……。どこにでもいるような、ごく普通の男子学生が、ある日とても魅力的な女の子に出会って、彼女に振り回されながら、知らず知らずの内に殻を破って……彼にとっての『新しい世界』を知っていく。そんなお話です」
「……それ面白いの?」
「ふふ、辛辣ですね」
東雲さんはジトっとした目をした後、クスッと悪戯っぽく笑った。
「多分、そんなラノベもう一杯あるよ?」
「そうですね。きっと……よくある話なんです」
私は夜空から彼女の瞳へと視線を移し、真っ直ぐに見つめ返した。
「でも、それで良いんですよ」
「それで良いの?」
「はい。どんなにありふれた……読み飽きた話でも、主人公にとっては掛け替えのない、自分だけの物語ですから。私はそのお話を、きっと何度も何度も、毎日のように読み返すことになります。……それに、腹が立つくらい可愛くて、どうしようもなく目が離せないヒロインの姿を、私はちゃんと自分の言葉で書き残しておきたいんです。別にそれでお金を稼ぎたいわけでも、小説家になりたいわけでもないですから、良いのです」
私の言葉の意味にやっと気付いたのか、東雲さんはほんのりと頬を赤く染め、持っていたお茶のペットボトルの中の残りを一気に飲み干してしまった。
ハワイの夜風に吹かれ、彼女と肩を並べて星空を見上げているこの瞬間。
私の胸の中に確かに芽生えた、いつか必ず形にしたいという密かな願い。
私は波の音が響く夜のテラスで、瞬く星空と彼女の横顔を交互に見つめながら、いつか書き上げるであろう物語の書き出しを、頭の中でそっと紡いでいた。
これは誰かの選べなかった過去であり、
選びたかった今であり、
これから選べる未来かもしれない──。
本作を読んで下さっている方々、
ありがとうございます。
本作は小説家になろう及びカクヨムにて、掲載を始めましたが、本日小説家になろうの方でランキング通知が届きました。
現在、日間ランキングで76位にいるそうです。
休日は時間のある方が多いと思い、更新話数を増やしていましたが、それが起因してランキングに入ったようです。
お読み頂きまして、本当にありがとうございます。
1週間ほど小説家になろうの方が掲載開始が早かったので、向こうより話が進んでいるのも理由かと思います。
別にランキングに入ったからと言って何かあるわけではないですが、より多くの人の目に触れて、誰かの記憶に残る機会を頂けたことを嬉しく思います。
改めて、ありがとうございます。




