第64話 一緒に『ゴロゴロ』しよ?
「結城くん『今日はずっと部屋でゴロゴロしてる』って言ってたよね」
「そ、そのつもりでしたけど……」
「だから、私の部屋で一緒に『ゴロゴロ』しよ?」
何を当然のことのように言っているのだろうか。
状況が全く呑み込めない。
「……早瀬さん『今日は一日戻らないかも』って言って出掛けてったから。だから今日は、好きなだけ『のんびり』できるよ?」
彼女の唇から発せられる『ゴロゴロ』『のんびり』という言葉さえ、今の私には何かの魅惑的な隠語に聞こえてくる。
早瀬さんのやり過ぎなくらいのアシストに感謝すべきか恨むべきか迷いつつ、私はどうにか平静を保とうと部屋の中で座れる場所を探した。
しかし、クイーンサイズのベッドが二つ並ぶ空間で、私が腰を下ろせる場所など限られている。
迷った末、私は窓際に置かれた一人掛けの小さなソファに、膝をきっちりと揃えて座り込んだ。
背筋は定規を入れたようにピンと伸び、両手は膝の上に正しく置かれている。
さながら、面接を待つ就活生のようだった。
「ふふっ、結城くん、すっごく緊張してる」
私の様子を見てくすくすと笑った東雲さんは「ちょっと髪乾かすね」と洗面台からドライヤーを持ってきた。
彼女が洗面所の前のスツールに座り、ドライヤーのスイッチを入れる。
ブォーッという温風の音と共に、彼女の湿った髪がふわりと舞い上がり、部屋の中にシャンプーの甘い香りが一気に広がっていった。
私はソファの上で己を律し、それを遠くから眺めていた。
髪を乾かすために彼女が腕を上げるたび、バスローブの胸元が緩み、覗いてはいけない白い肌がチラチラと視界の端に入り込んでくる。
ドライヤーの風に煽られて露わになる、しなやかなうなじ。
学校の、隣の席の、好きな女の子の、お風呂上がりの無防備な姿。
そんなものを至近距離で見せつけられて、平常心でいられる男子などこの世に存在しない。
やがてドライヤーの音が止み、彼女は鏡に向かってスキンケアを始めた。
コットンにたっぷりと化粧水を含ませ、白い肌に滑らせていく。
パンパン、と軽く頬を叩く小さな音。
続いて、乳液のようなものを手のひらで温め、首筋から鎖骨へと優しく伸ばしていく。
みずみずしく潤っていく彼女の肌の艶かしさと、密室を満たしていくフローラル系の化粧品の匂い。
それは、女の子の『裏側』の身支度という、あまりにもプライベートで親密な時間だった。
新婚旅行みたいだと裕介さんにからかわれた、展望台での出来事がフラッシュバックする。
今、目の前で繰り広げられているこの光景こそ、どう見ても「新婚旅行先のホテルで、夫の前でくつろぐ妻」のそれにしか見えない。
「お待たせ。ふぅ、サッパリした」
スキンケアを終えた東雲さんは、つやつやと潤った頬を綻ばせながら立ち上がり、そのまま自分のベッドへと向かった。
──バフッ。
白いシーツの上に彼女が腰を下ろすと、分厚いマットレスが柔らかく沈み込む音がした。
彼女はバスローブの裾から伸びる、黒いパンティストッキングに包まれた脚をベッドの端でブラブラと揺らしながら、大きなクッションを一つ抱きかかえた。
そして、コロンと横向きに倒れ込み、シーツに頬を擦り寄せるようにして私を見つめる。
「ほら。一緒にゴロゴロするんでしょ?」
彼女は抱き枕のようにしたクッション越しに、どこか勝気な、それでいて私を試すような上目遣いを見せた。
ポンポン、と自分の隣の空いたスペース──真っ白なシーツの上を、小さな手で叩く。
「こっち、おいでよ」
それは、ヤキモチと独占欲が入り混じった、あまりにも甘く、そして破壊的な誘惑だった。
エアコンの効いた部屋の中で、私の体温だけが異常に跳ね上がっていくのが分かる。
あのシーツの海に飛び込めば、間違いなく彼女の甘い匂いに包まれる。
ほんの少し寝返りを打てば、バスローブ越しにその柔らかな体温に触れてしまうだろう。
そんな至近距離でゴロゴロなどしてしまったら、私がこれまで必死に保ってきた理性のタガがどうなってしまうか、火を見るよりも明らかだった。
「いや、あの……」
私は膝の上に置いた両手をギュッと握りしめた。
「わ、私はここで大丈夫です。 このソファ、座り心地が滅茶苦茶良いので……」
「えー……? でも、そんなガチガチに固まってたら、全然休まらないよ?」
「休まってます! 心の中ではずっとゴロゴロしてますから!」
「ふふっ、何それ」
支離滅裂な言い訳で面接の姿勢を貫く私を見て、東雲さんはクッションに顔を埋めながら、楽しそうに肩を揺らして笑った。
もう私はそれどころじゃない。
彼女にとっては「早瀬さんへの対抗心」から来る精一杯の背伸びかもしれないが、受け止める側の私は、己の誓いと理性の間で、首の皮一枚でどうにか正気を保っている状態なのだから。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




