第61話 いつもの女の子が良かったよね
事件から数時間後。
すっかり日が昇り、ハワイの眩しい陽光が降り注ぐ一階。
プールサイドに併設されたレストランでは、宿泊客向けの朝食バイキングが賑やかに始まっていた。
トロピカルフルーツが山盛りにされた大きなボウル、甘いシロップの匂いを漂わせるパンケーキ、そして山のように積まれたカリカリのベーコンやスクランブルエッグ。
いかにもアメリカンな朝食が並ぶ中で、私は徹夜明けの重たい頭を抱えながら、フォークでベーコンを力なくつついていた。
「あれ? 東雲さんイメチェンした? 大分明るくなったんじゃない?」
「……東雲さんが暗いみたいに言わないで下さい」
「あはは、冗談だっての! でも珍しいじゃん。なんで結城と早瀬さんが一緒に飯食ってんの?」
大皿に山盛りのソーセージを持った裕介さんと杉田さんが、私たちのテーブルの横を通り過ぎざまに立ち止まり、ニヤニヤと笑いかけてきた。
今、私はレストランの窓際に置かれた小さな二人掛けのテーブルで、大きめのサングラスをかけた早瀬さんと向かい合って座っている。
「……別にいいでしょ。結城くんもたまには違う女の子と食べたいもんね」
「誤解される言い方をしないで下さい……」
「そうだよね、いつもの女の子が良かったよね」
「……」
……コイツ……言わせたな。
昨晩ロビーで泣き崩れていたのが嘘のように、早瀬さんは裕介さんの軽口を適当にあしらいながら、私をからかってくる。
泣き腫らした赤い目はサングラスで隠しているため、裕介さんたちには気付かれていないらしかった。
「女遊びも程々にしておけよー!」
「僕は遊ばれているのは結城くんの方だと思うのだが……」
「……もう放っておいてください」
「じゃ、ゆっくりなー!」
二人はバカ騒ぎしながら、奥の広いテーブルへと去っていった。嵐が過ぎ去り、テーブルに私と早瀬さんだけが取り残される。早瀬さんは大きく息を吐き、サングラスの奥で周囲をうかがいながら、身を乗り出して私に向けて小さく手を合わせた。
「ごめんね、結城くん。やっぱり二人きりで話がしたくて……」
「別に構いませんよ」
「一応、部屋に帰ってから弁解しようとしたんだけどさ。東雲さん、布団被って全然こっち見てくれなくて」
早瀬さんは少し離れた別の窓際のテーブルへ視線を向けた。
そこには、折角のバイキングを一人で食べる東雲さんの姿があった。普段なら私に気付けばふわりと小さく手を振ってくれるような彼女だが、今朝は一度も目が合わない。
早朝のエレベーターホールでの惨劇。
加えて、今こうして私が早瀬さんと『二人席』で朝食をとっている姿を見せつけてしまっている。
東雲さんの中で『早瀬さんの彼氏=私』というとんでもない誤解が確信に変わっているのは想像に難くなかった。
「私のせいで気まずくさせちゃって、本当にごめん。……でも結城くん、私が昨日フラれたこと、東雲さんには言わないであげて」
「言わないのは構いませんが……理由は?」
早瀬さんは少しだけ困ったように笑い、視線を落とした。
「東雲さん、すっごく優しいから。もし私がハワイの初日にフラれて泣いてたなんて知ったら、自分の予定をキャンセルしてまで、私を慰めようとするかもしれない。折角の自由行動なんだから……あの子には結城くんとハワイを楽しんでほしいの」
──カチャリ。
その言葉に、私はフォークの動きを止めてしまう。
私はお皿を見つめたまま、東雲さんが優しい根拠を、今日までの楽しい日々を思い出すのと同時に、自分の心が一番ボロボロのはずなのに、ルームメイトの恋を第一に気遣う、早瀬さんが今日まで私の視界の端で賑やかに過ごしていた教室の風景も、合わせて一緒に思い浮かべていた。
……早瀬里美という人は、私が思っていたよりもずっと、お節介で、友達思いで、優しい人なのかもしれない。
「……分かりました」
「ありがとう。……で、ここからが作戦会議の本題なんだけど」
早瀬さんが、ぐっとテーブルから身を乗り出した。
「この絶望的な誤解をどうやって解くかって話」
「私が聞きたいくらいです。本当の理由を隠したまま、朝帰りの誤解を解くなんて無理ゲーに等しいです」
「うっ……それはそうなんだけど。でも『一晩中誰にも言えない秘密の相談に乗ってました』なんてバカ正直に言ったら、それこそ浮気の言い訳みたいに聞こえちゃうし」
「私は実際そう言おうとしてましたけどね。嘘をつくのは苦手なんです。下手に言い訳して印象を悪くするくらいなら、選んだ自分の行動に責任を持って誠心誠意説明するしかないです」
「……教室で、片想いしてるのをあっさり認めたみたいに?」
「……そうですよ」
早瀬さんは一際大きな溜息をついて、一口、シロップの掛かったパンケーキを口いっぱいに頬張った。
「そんなの、絶対、ダメだから。 結城くん、頭良いんだから、そこは上手く言葉を選んで言いくるめてよ!」
「……完全に丸投げですね」
「私が出て行くと余計に拗れそうだし」
「……知ってるんですからね? 早瀬さん、私より偏差値高い高校出てますよね?」
「えー? どうだったかなー?」
「……言われなくても、やれることはやりますけど。何かあったら協力して下さいよ?」
「後方支援は得意であります!」
本当の理由を伏せたまま、この誤解を解く。
無茶振りに頭を抱えつつも、私は小さく息を吐き、コーヒーのおかわりを取りに行くふりをして席を立った。
早瀬さんが敬礼している。畜生。
私はドリンクバーのコーナーで、ジュースを注ぎに来ていた東雲さんの隣に、わざと並んだ。
「……東雲さん」
声をかけても、東雲さんは微動だにしなかった。
彼女はゆっくりと顔を上げる。
「……結城くん。おはよう」
「おはようございます。……あの、今朝のことなんですけど」
「……早瀬さんと、一緒にいたんだよね。お疲れ様」
東雲さんの声は少し震えていた。
私は頷き、できるだけ誠実に答える。
「はい。昨晩からずっとロビーで彼女の話を聞いていました」
「……話? ベッドの上じゃなくて?」
じっと見つめてくる彼女の瞳に、私は一瞬言葉に詰まった。
「早瀬さんが彼氏にフラれて泣いていた」と言えば一発で誤解は解ける。しかし、それはさっき早瀬さんと交わしたばかりの約束、彼女の優しさを踏みにじることになる。
「……恋愛、相談を受けていました」
「え……?」
口から出任せだが、これで何とか押し通したい。
いや、広義の意味では愚痴だって恋愛相談に含むのではないだろうか。
「恋愛相談って……早瀬さんの彼氏さんのこと?」
「そうです」
「今日一緒に遊びに行くって言ってたよ? 何を相談するの?」
「それは……言えません」
東雲さんが、すがるような、それでいて少しだけ咎めるような瞳で私を見上げてくる。
私は胸が痛むのを堪え、努めて事務的な声を出した。
「早瀬さんから絶対に言わないでくれと頼まれているので」
東雲さんの瞳が大きく揺れ、やがてハッと何かに気づいたように唇を強く噛み締めた。
「そっか……。約束は大事だもんね。……私の機嫌なんかより」
私が必死に庇えば庇うほど、それは東雲さんの目に『私が早瀬さんとの二人だけの秘密を頑なに守り、彼女を特別扱いしている』ように映ってしまう。
「……ううん。いいの。結城くんが誰に優しくしようが、私には関係ないし」
それは、普段の気丈な彼女からは想像もつかないほど、弱々しく、傷ついた声だった。
東雲さんがグラスを持ったまま、私から目を逸らして踵を返そうとした、その時だ。
「……逆に」
私は、逃げようとする彼女の背中に向けて、珍しく強めの声で言った。
「逆に今ここで。私が早瀬さんの話をベラベラと話すような人間だったら。貴女はこの先、私のことを信じられますか?」
「え……?」
東雲さんが足を止め、驚いたように振り返る。
私は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。
「口が軽くて、他人の秘密を簡単に売り渡すような人間を、貴女は好きになれるんですかっ?!」
嘘をつくのが下手な私なりの、精一杯の誠意だった。
早瀬さんの優しさを踏みにじりたくない。
そして何より、東雲さんに失望されたくない。
私の言葉を聞いた東雲さんは、一瞬息を呑み……やがて、その瞳に悔しそうな、それでいて微かな熱を帯びた色を浮かべた。
「……結城くんが、誠実で優しい人だってことは……わかってる」
「東雲さん……」
「でも……」
東雲さんはギュッと強く唇を噛み締め、私を見つめ返した。
その瞳に浮かんでいたのは、先ほどまでの悲しみではなく、明確な嫉妬と対抗心だった。
「彼氏がいるくせに、結城くんのそういう優しいところに甘えて……二人の秘密にして、朝まで独り占めする早瀬さんは……やっぱり、ずるいよ」
「え?」
ぽつりとこぼされたその言葉の真意に、鈍感な私はすぐには気付けなかった
東雲さんはそれ以上何も言わず、今度は逃げるようにではなく、何かを強く決意したような足取りでレストランの出口へと向かっていった。
その小さな背中が人混みに消えていくのを、私はただ見送ることしかできなかった。
ドリンクバーの機械から氷が落ちる音が、やけに空虚に響く。
他人の秘密を守る誠実さを示したことで、誤解は解けなかったものの、彼女の心に想定外の『火種』を落としてしまったらしい。
私は手元のマグカップを見つめ、深く、重たい溜息を吐いた。
ハワイの眩しい朝の光とは裏腹に、私の自由行動は、かつてないほどのもどかしさと波乱を孕んで幕を開けた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




