第50話 ポエムみたいな日記
午後の講義が全て終わり、放課後のチャイムが学校中に響き渡る。
夕日に染まり始めた教室で、生徒たちが次々と帰宅の準備を始める。私は荷物をバッグに仕舞い込み、保健室で休んでいるはずの東雲さんを迎えに行こうと立ち上がった。
「──ねえ、結城くん。ちょっといい?」
その日、私は不意に声を掛けられた。
顔を上げると、そこには私のデスクの前に立っている一人の女子生徒の姿があった。
確か彼女は……早瀬里美さん。
明るく染めた髪に、ばっちりと決めたメイク。
クラスの中でもいわゆる『陽キャグループ』の中心にいるような女子だった。
私のような日陰の住人世界が違い過ぎて、入学してから今日まで、まともに言葉を交わした記憶すらない。
彼女のグループの女子たちは既に教室を出たのか姿はなく、彼女は一人だけで私の前に立っていた。
「あ……はい。何か用ですか?」
私は目的の分からない不気味さを怪しく思いながらも、努めて平静を装いながら答えた。
早瀬さんは、探るような、それでいてどこか面白がるような瞳で私を見つめた。
「あのさ、単刀直入に聞くけど」
「はい」
「結城くんって、東雲さんと付き合ってるの?」
保健室での出来事が頭を過ぎり、背筋に冷たいものが走った。
しかし、焦れば焦るほど、それこそ彼女の格好の餌食になることは分かっている。
「……いや? 付き合ってませんけど、どうしてですか?」
「……本当に?」
「……本当です。席が近くてよく話しますけど、それだけです。残念ながら」
我ながら、完璧な模範解答だったと思う。
恋愛感情どころか、特別な関係性があること自体をキッパリと否定し、完全にシラを切る。
そもそも嘘はついていない。
嘘発見器に掛けられようとも鳴りはしないのだ。
なるほど、もしかしたら私が保健室に入っていく姿を見られたのかもしれない。
だが、これ以上踏み込まれる隙はない。
早瀬さんも納得して引き下がるしかないはずだ。
しかし。
私が心の中で完璧な勝利宣言をしたその瞬間、早瀬さんはひんやりとした声で、退屈そうに口角を上げた。
「ふーん。そっか。それじゃ今は『片想い』ってこと?」
「……だったら何ですか」
それが肯定の言葉になってしまったとしても、それを否定することは私にはどうしても出来なかった。
「でも周りはみんな付き合ってると思ってるよ? あんなに毎日、毎日、ベタベタしてて付き合ってないとかおかしくない?」
「別に……私の気持ちは、東雲さんに関係ないです。勿論早瀬さんにも」
「関係なくはないけど……」
「……何ですか? 私が東雲さんと仲良くしてると何か問題でもあるんですか?」
「別にないよ。……それじゃあ、もう一個質問」
「……何ですか」
「どうして書かなくなっちゃったの?」
開け放たれた窓から吹き込む秋風の音だけが、やけに鼓膜の奥で大きく響いている。
放課後の喧騒が、ふっと遠のいた気がした。
次に続く言葉の致死性を予期した、心の防衛本能だったのかもしれない。
「東雲さんのこと」
早瀬さんは、凍りついた私の顔を見て、意地悪な猫のように口角を片方だけ吊り上げた。
今日までの楽しい出来事の一瞬一瞬が、走馬灯のように脳裏にフラッシュバックする。
「花火大会に行くまでは、あんなに毎日ポエムみたいな日記を書いてたのにさ。……どうして急にお料理ブログになっちゃったの?」
早瀬さんはそう言うと、制服のポケットから取り出した自分のスマホを、スッと私の机の上に滑らせた。
画面に映し出されていたのは、見慣れた私のブログ。
昨晩アップロードしたばかりの黒酢角煮の写真だった。
全身の血の気が、一気に引いていくのが分かった。
呼吸の仕方を忘れたように、喉がヒューッと鳴る。
頭の中が真っ白に染まり、目の前の早瀬さんの顔が酷く歪んで見えた。
「あ……、え……?」
私の口からは、意味をなさない掠れた音しか出てこなかった。
『蒼羽』という強固な防波堤に守られ、完璧にコントロール出来ていると信じていた私の輪郭が、音を立てて足元から崩れ去っていく。
──ネットの海に隠したはずの私の心臓は、今、目の前の女子生徒にきつく握り潰されようとしていた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




