↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/90

第49話 理性の魔法

 その日の昼休み、私は裕介さんと杉田さんの三人で、学校の近くにあるファミリーレストランへと足を運んでいた。


 日替わりランチをつつきながら、裕介さんの相変わらずの軽口に杉田さんが呆れたようにツッコミを入れる。


 私はドリンクバーのアイスティーを飲みながら、そんな二人のやり取りを静かに眺めていた。


 アルバイト先で評価を受けたことで、私の中にあった「空っぽな自分」へのどうしようもない劣等感は、少しだけ鳴りを潜めている。

 

 今の私の中で、日常はかつてないほど穏やかな凪の時期を迎えていた。





 しかし、昼休みが終わって教室へゾロゾロと戻った時のこと。


 教室の窓から差し込む陽光は、すっかり秋の柔らかな色を帯びている。


 自分の席に着こうとした私の視界に、ぽつんと主を失った空席が飛び込んできた。





「……あれ? 東雲さんは?」


「ああ、東雲さんならさっき、体調悪いらしくて保健室行ったよ」





 近くの席の女子生徒が教えてくれたその言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で、カチリと何かのスイッチが切り替わった。


 さっきまでの穏やかな凪の感情が嘘のように吹き飛び、気付けば私は、無言で踵を返していた。





「おい結城、もうすぐ授業始まるから早く戻れよ?」





 背後から裕介さんの声が掛かったが、私は短く手を挙げただけで、急ぎ足で教室を後にした。


 階段を一段飛ばしで駆け下りながら、心臓がやかましいほどに早鐘を打っている。


 ただのクラスメイトの一人でいいと誓ったはずの理性が、彼女の不在というたった一つのイレギュラーで、こうも容易く崩壊していく。





 ──あの東雲さんが体調を崩すなんて。

 修学旅行の準備で無理をしていたのだろうか。それとも昨日の夜、遅くまで何かの作業をしていたのか。





 居ても立っても居られず、私は一階の廊下を足早に進み、保健室の引き戸を静かに開けた。


 消毒液のツンとした匂いが漂う室内には、幸いにも他の生徒や先生の姿はなかった。


 静まり返った真っ白な部屋の奥。白い衝立で仕切られたベッドの方から、微かな寝息のような衣擦れの音が聞こえる。




 私は足音を忍ばせて、衝立の裏側を覗き込んだ。




「……東雲さん?」




 ベッドの上に横たわっていた東雲さんが、私の気配に気付いてゆっくりと目を開けた。


 いつもは血色の良い白い肌が、今日は少しだけ青白く、表情もどこか辛そうだった。





「あれ、結城くんどうしたの……?」


「……どうしたの、じゃないですよ。体調不良だって聞いたので、様子を見に……」





 少しだけ弱々しい彼女の顔を見た瞬間、階段を駆け下りていた時の焦燥感がスッと抜け落ち、私の中に冷静さが戻ってくるのが分かった。


 取りあえず、大事には至っていないようだ。


 私はベッドの傍らにあった丸椅子を引き寄せ、彼女の顔が見える位置に静かに腰を下ろした。







「少し、めまいがしただけだから大丈夫。……ごめんね、心配かけちゃって」


「別に、私に謝ることではないです。ただ、修学旅行前なんですから無理しないでください」






 私が努めていつものように、少しだけぶっきらぼうにそう返すと、東雲さんは「ふふっ」と小さく笑い、シーツの中から白い手を伸ばしてきた。








「ねえ、結城くん。折角来てくれたんだからさ、少しだけ……手、握っててくれない?」







 潤んだ瞳で、上目遣いに私を見つめる彼女。


 ドクン、と私の心臓が大きく跳ねた。


 ここは、彼女の手を握るべきではない。


 誰が保健室に入ってくるかも分からないし、何より、私自身のブレーキが利かなくなってしまう。







 理性がそう警鐘を鳴らしているというのに。


 私の右手がまるで自分の意志とは無関係のように動き、シーツの上に置かれた彼女の少し冷たい手を、そっと包み込んでいた。


 それは俗に言う『恋人繋ぎ』と呼ばれる手の形。








「……えへへ。結城くんの手、温かい」








 繋いだ手から伝わってくる甘い体温と、嬉しそうに目を細める、無防備で残酷な表情。


 それを見た瞬間、私の中で「完璧にコントロール出来ている」と思い込んでいた分厚い理性の壁が音を立てて崩れ、昨夜、部屋の奥に閉じ込めたはずの『感情』が、重く震える黒い咆哮を上げて暴れ出そうとしているのが分かった。













 ──でも、駄目なんだ。













 私はその化け物を封じ込める結界を張れる魔法使いであり、一刀両断出来る魔法の刀も持っている。


 この理性の魔法の発動コストが切れるまでは、私は絶対に、奴を通さない。













 チャイムの鳴る音が、遠くの教室から微かに聞こえてきた。


 私は深呼吸を一つした。


 そして、多分不器用に、彼女の頭を撫でた。











「え……あ…………」











 突然の事に驚いたように目を丸くした彼女だったが、すぐにふわりと表情を緩め、心地良さそうに目を閉じた。


 柔らかな毛の流れに沿うように、彼女の温もりを感じる。


 髪をとかすように、耳の傍をくすぐるように手が横切る。


 気持ち良さそうにしてくれる彼女の寝顔が愛おしくて、私は少しの間、彼女の誘惑に耐えつつ、その幸せな時間に呑まれてしまった。






「……また放課後に見に来ますから。ゆっくり寝てて下さい」






 これ以上ここに居たら、何を口走るか分からない。


 今にも暴れ出しそうな化け物を、小さな幸福で納得させると、私はそっと彼女の手を離し、丸椅子から立ち上がり、逃げるように保健室を後にした。

全90話で完結予定です。

少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。