第5話 ちっとも怖くない誘拐犯
私は彼女の提案に甘え、水色の軽自動車の助手席に座り、窓の縁に頬杖を突いていた。
車は、夜の帳が下り始めた県道を走っている。
隣の席の女の子の車に乗せてもらう機会なんて、先月まで息苦しい高校生活を送っていた私には、これっぽっちも想像できない出来事だった。
そもそも、今は自分の免許取得のことで精一杯で、クラスメイトとの交流は一ヶ月経っても二の次だった。
なにより、自分の好きなことを学べる授業中が一番楽しく、私の人生はここから始まるんだと言わんばかりに充実している。
隣の席が可愛い女の子だと勿論気付いてはいたが、どうせ仲良くなる機会なんて私には巡ってこないと思っていた。
だから、今こうして隣に座り、少しばかり緊張しているのは仕方ないことなのだ。
そう、仕方ないことなのである。
私が必死に平静を装って景色を眺めている間も、車は夜道を滑らかに進んでいく。
ブレーキの踏み込みも丁寧だし、曲がり方もスムーズ。
教習所に通い中の私は、彼女の運転の綺麗さがやけに気になり、ウィンカーを出すタイミングや、窓から外を覗き込んで内輪差の確認ばかりをして、隣から漂う甘い匂いと胸のドキドキを懸命に誤魔化していた。
……しかし、三十分ほど経っても、一向に見慣れた市役所周辺の景色は見えてこない。
それどころか、車は全く逆方向にある古い住宅街へと入り込み、とある平屋の庭先へ迷いなくスッと停車した。
「あの……東雲さん?」
助手席から指摘すると、東雲さんはハンドルをぎゅっと握りしめたまま、不自然に口角を吊り上げた。
「……市役所の前で降ろしてくれれば良いと、言いましたよね?」
「ふ、ふふふ……気づくのが遅かったね、結城くん」
「……はい?」
まるでB級映画のマッドサイエンティストのような笑い方で、運転手が笑う。
実際、とっくに道が違うことには気付いていたのだけれど、「どこかに連れて行かれるなー」「帰りにコンビニ寄れるかなー」くらいしか考えていなかった。
「君はまんまと、私のアトリエへと誘導されたのだ。……もし無事に家へ帰りたければ、あの忌まわしきデジタルレイアウトを手伝ってもらおう。こ、これは……れっきとした脅迫だよ?」
れっきとしていなくても、立派な脅迫である。
しかし、恐ろしげな台詞とは裏腹に、彼女のハンドルを握る手は、いや、何なら肩の辺りまでが、生まれたての子鹿のように小刻みに震え上がっている。
……どうやら彼女は、教室でのポンコツぶりを一人でリカバリーすることが出来ず、私を家に送り届けるという名目で車に乗せ、己の課題を手伝わせるという強硬手段(?)に出たらしい。
しかし、誰もいないエントランスで一時間以上も親の迎えを待つよりは、この時間を利用して課題を終わらせてしまった方が、確かに遥かに合理的だ。
それにしても、あまりにも不器用で、ちっとも怖くない誘拐犯である。
私は少しだけ呆れながらも、この震える犯人の提案を『仕方ない体』で呑むことにした。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




