第4話 見事な『ダブルリュック』状態
とある日の放課後。
壁掛けの時計が終業の時刻を指すと、生徒達は次々にパソコンをシャットダウンし、ガヤガヤと荷物をまとめ始めた。
デザイン学科の教室は二階にある。
大半の生徒は車で通学しているため、放課後は校舎裏にある広い駐車場へと向かって、ゾロゾロと民族大移動が始まる。
吹き抜けになった校舎の中央には巨大な螺旋階段が口を開けており、満員のエレベーターを待ちきれない生徒たちが、そこから次々と下へ吸い込まれていく。
それに対して、車を持たない、入学までに免許の取得が間に合わなかった私はというと。
徐々に人影を減らしていくエントランスホールで、壁際に置かれた三人掛けのソファの一番右端に浅く腰を下ろしていた。
その時、ポケットのスマートフォンが震える。
画面には母親の名前。
「はい、もしもし。……うん。終わったよ」
相手を母親だと確認した瞬間、口から丁寧語の癖が自然と削げ落ちる。
『それでね、ごめんね。今日仕事が長引いちゃってて、迎えに行くの、一時間以上遅くなりそうなの』
「……分かった。俺は……適当に時間潰してるから。うん、平気。気をつけて」
通話を終え、スマホのデジタル時計を見る。
今は夕方の五時過ぎ。
ここから一時間以上となると、外は完全に暗くなってしまう。
「……空き教室で一眠りでもするか」
誰もいないと思い込み、いつもより声のトーンを落とした砕けた独り言を、ぽつりと零した。
その時だった。
「……あの、結城くん」
不意に横から声がした。
バッと振り返ると、そこには自分のリュックを両手でしっかりと胸に抱え込んだ東雲さんが立っていた。
背中にも別のリュックを背負っているので、見事な『ダブルリュック』状態である。
学校にそんな沢山の荷物を、持って来ては、持って帰るを繰り返す、そんな必要があるようには、どう考えても思えない。
まさかあの整然と並んだぬいぐるみたちが、今はあの中にぎっしりと詰められているんじゃないだろうな……。
私がそんな疑惑の目を向けていると、東雲さんの長い前髪の隙間から、精一杯の困ったような、そしてほんのりと頬を赤らめた表情が垣間見えた。
「し、東雲さん……まだ残っていたんですね」
慌てていつもの丁寧語と『私』の仮面を取り繕うものの、よりによって一番身内向けの、飾り気のない低めの声を聞かれてしまった後だ。
普段人と話す時は、少し高めに聞き取りやすいよう声を張って話しているつもりだが、家族に返事をする時はどうしても淡々とした、ぶっきらぼうな印象になっている自覚がある。
──『私』という仮面の裏側。
一番無防備な『俺』を覗き見られてしまった猛烈な気恥ずかしさを、私は必死に平静を装って覆い隠す。
すると東雲さんは、抱えたリュックをぎゅっと強く抱きしめ直した。
小柄な彼女が上目遣いに、背の高い私を見上げてくる。
「先生に、課題で難しいところを相談してて……少し教えてもらってたの。……それで、その、さっきの電話……聞こえちゃって」
「……母ですね。迎えが遅れるみたいで。どこかで時間を潰さないといけなくなりました」
「……それなんだけど……あの、もし、結城くんが良ければ、なんだけど……」
「はい?」
東雲さんは、意を決したように私を真っ直ぐに見た。
ぎゅっと結ばれた薄い唇が、小さく震えている。
「私の車で……送っていこうか? ………………家まで」
「………………え?」
静かな夕暮れのロビーに響いた、不器用な提案。
意地っ張りで、だけど人生の先輩として年上の義務を果たそうとするかのように、彼女はまっすぐに私の返事を待っていた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




