第3話 桜色の唇を尖らせた
昼食から戻った教室。
自分の席のデスクチェアを引き寄せ、ショルダーバッグからノートを出そうとした私は、思わずその動きをピタリと止めた。
「……」
午前中まではバラバラの方向を向いてデスクに散らばっていた小さな動物たちが、今は一匹残らず、見事なまでにこちらへ背を向けて綺麗に一列に整列していたのだ。
まるで外敵から強固な防衛線を張っているかのように。
「……お疲れ様です。東雲さん」
取りあえず、その主に挨拶を投げてみる。
すると、東雲さんの小さな肩がまたビクッと跳ねた。
「……お、お疲れ様です」
少しだけ声が上ずっている。
そして彼女は、長い前髪の隙間から、まるでこちらの出方をうかがうようにじっと顔を見つめてきた。
別に取って食おうというわけではないのだが……。
そんな怯えた小動物のように潤んだ目で見られては、私のクラス内での評価が不当に下がってしまいそうで少し困る。
「……」
昼休みの無人の教室で、彼女がどんな顔をして、このぬいぐるみたちを並べ直していたのか。
それを想像すると、なんだか頭が痛くなってきた。
「はーい、全員席に着いてー。午後は新しい課題の説明をします。今回は雑誌のレイアウトデザインです。実際の編集現場を意識してもらう為、作業は座席の左右、ペアになって進めてもらいます」
先生の言葉に、教室がざわつく。
「提出期限は前のとズレるから、各自ペース配分を考えて進めるように。資料と素材も前と同じ場所に入れてあります。フォルダ分けしてあるから、必要な物だけダウンロードして下さい」
私の左隣は、相変わらずクロッキー帳に向かってペンを走らせている裕介さん。
そしてその左隣、つまり一番左端の席には杉田さんが座っている為、必然的に私は右隣の人と組む事になる。
「……東雲さん、よろしくお願いします」
「よろしく……お願いします」
ペコリと小さく頭を下げる彼女。
事実、東雲さんの描くイラストは息を呑むほど美しく、色彩感覚もずば抜けている。
生粋のクリエイター気質であることは間違いない。
だが、どうやらパソコンを使った文字組みやデータ処理といった『機械的な作業』は絶望的に不器用らしい。
既に幾つかの提出物を見てきて、クラスメイトの得手不得手は何となく分かってきた。
その中でも特に、東雲さんは長くアナログで絵を描いてきた人に見える。
逆に私は、指示通りにデータを切り貼りするような機械的な作業を得意としている。
ここはそれぞれの得意分野を担当するのが望ましい。
「それでは……東雲さんはイラストがお上手ですし、全体のデザインをお任せしてもいいですか? 自分がその通りにデータを作りますので」
極めて妥当な提案のつもりだった。
しかし私がそう告げた瞬間、彼女はむっとしたように桜色の唇を尖らせた。
「……あの、ごめんなさい。私もデジタル処理の基本くらいは頭に入ってます」
「え……? あ……はい……こちらこそ…………すみません」
普段は大人しいのに、急に強く反抗的な答えが返ってきて、大人の女性の扱いに慣れていない私はつい動揺してしまった。
何か、クリエイターとしてのプライドのような物があったのかもしれない。
「……じゃあ、データを直接お願いしても良いですか?」
私が心の中で納得も出来ないまま作業を譲ると、彼女は「無論です」とコクリと頷き、わずかに胸を張ってマウスを握った。
カチ、カチカチと、ぎこちないクリック音が響く。
「……」
私は彼女のプライドを尊重し、完全な裏方に回るつもりで、指定の共有フォルダから仕様書をダウンロードし始めた。
しかし、一分後。
彼女のカーソルは、画面をウロウロと彷徨っている。
そして、三分後。
画像編集ソフトは、いまだに立ち上がらない。
チラリと横目で確認すると、東雲さんは先生が指定しているソフトではなく、何故か無機質な『表計算ソフト』を開いたまま、カーソルを完全に迷子にさせていた。
「……どうしました?」
「その……このマス目が、ね。全てのデザインの始まりだと、思うんだけど」
「……それは表計算ソフトですね。その名の通り計算に使います」
仕様書に視線を戻し、今回使用するソフトを再確認する。
「今回使うのはそれではなくて……この前、広告を作った時のやつです。覚えてますか?」
「あー……アレね。なるほど、まさに適材適所」
「……それはソフトのことですか? 痛いところを突かれた自分のことですか?」
「……」
私の容赦のない追撃に、完全に論破された東雲さんはすっかり萎れてしまった。
意地を張った挙げ句に自爆して小さくなっている彼女の横顔と、相変わらずこちらに背を向けて一列に並ぶ動物たちを視界の端に収めながら、私は小さく、けれど呆れを含んだ溜息をついた。
「……マウス、貸して下さい。最初は一緒にやりましょう」
そう言って、私がマウスへ右手を伸ばした時。
マウスを握る彼女の白く細い指先に、私の指がわずかに触れてしまった。
「っ……!」
私は思わず手を引っ込めてしまう。
「あ……ご、ごめんなさい。自分がやりますんで、手、離してもらっていいですか」
妙な動揺をごまかすように目を逸らす私を見て、すっかり萎れていたはずの彼女の長い前髪の奥で、黒い瞳が心なしかホッとしたように、そしてふわりと、面白がるように揺れた気がした。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




