第45話 彼女の笑顔一つで
「あ、結城くん! ゲームセンター! ちょっと寄ってかない?」
色鮮やかな照明と、絶え間なく響くポップな電子音。
先程までの洗練されたアパレル店舗とは打って変わって、ここは私のような人間にとって、妙に息のしやすい空間だった。
私は家庭用のゲームだけでなく、クレーンゲームもそれなりに得意だ。アームの癖や景品の重心を見極め、どうすれば落とせるのかという『正解』の道筋を立てるのは、ちょっとした物理パズルを解くようで嫌いじゃない。
しかし、東雲さんはそんな私の特技など知る由もなく、まるで縁日の屋台を見つけた子供のように目を輝かせて、クレーンゲームの森を練り歩き始めた。
「あ……結城くん、これ可愛い!」
彼女が足を止めたのは、広い平台の上に、手のひらサイズの小さな猫のぬいぐるみが等間隔で置かれている台だった。
三毛や茶トラなど色々な種類があり、デフォルメされた丸っこいフォルムがいかにも女性受けしそうなデザインだ。
確か、東雲さんの家にも猫のぬいぐるみが幾つかあったような気がする。
「やろっと」
東雲さんは迷うことなく財布から百円玉を取り出し、投入口へ滑り込ませた。
ウィー、という間の抜けた機械音と軽快なメロディーと共に、銀色のアームが動き始める。
彼女は真剣な表情でボタンから手を離すが、下降したアームは平台の上の猫の頭を軽く撫でただけで、虚しく元の位置へと戻っていった。
真っ直ぐに頭を掴もうとするのは一番素直なやり方だが、残念ながらこの手の機械は、人の素直さに報いてくれるようには出来ていない。
「あー……もう少しだったのに。もう一回!」
……私の見る限り全然『もう少し』ではなかったが、そこから彼女の賑やかな闘いが始まった。
右へ、奥へ。
少しずつ狙いを変えながら挑戦するものの、持ち上がっては途中でポロリとこぼれ落ちてしまう。
気付けば、彼女は十回近く挑戦を繰り返していた。
「うーん……だめだぁ。全然取れない……」
ついに諦めたのか、彼女はガラスにぺたりと両手を付き、ずーんと効果音が鳴りそうなくらい肩を落として深く溜息をついた。
普段の大人びた雰囲気とのギャップが激しい、そのコミカルなリアクションが実に面白い。
「……一度、私がやってみても良いですか?」
声を掛けると、東雲さんはパッと振り返った。
「え? 結城くん、こういうの出来るの?」
「まぁ、少しだけ」
私は財布から百円玉を取り出し、筐体に入れた。
正面に立ち、レバーに手を構える。
狙うのは、中央にちょこんと座っている三毛猫の、首に付いた『紙タグの輪っか』だ。
あそこに上手く爪を差し込めば、アームの力に関係なく持ち上げる事が出来る。
山積みではなく、平らな場所に置かれているからこそ狙えるちょっとした裏技だ。
ミリ単位の調整を終え、躊躇なくボタンから手を離す。
アームが静かに下降し、開いた爪が見事にタグの輪っかへと入り込んだ。
「あ……!」
隣で東雲さんが息を呑む。
ガッチリとタグに爪をねじ込まれた猫は、落ちることなくアームに持ち上げられ、落とし口の上へと運ばれていく。
そして、アームがパッと開いた。
──だが。
「…………え?」
私の口から、間抜けな声が漏れた。
アームは最大まで開き切っているのに……ぬいぐるみは落ちなかったのだ。
タグの輪っかの部分が、アームの爪の返しに奇跡的なバランスで引っ掛かり、空中で宙吊りになったまま静止してしまっている。
機械としては『景品を離した』つもりなのだろうが、物理的には落ちていない。
完全に想定外の出来事だ。
「えっと……コレって貰えるんですかね?」
流石の私もこれには困惑し、隣の東雲さんに視線を向ける。
「私、店員さん探してくるっ!」
彼女はものすごい勢いで踵を返し、飛ぶようにフロアの奥へと駆けていってしまった。
一人、クレーンゲームの前に残される私。
ガラスの向こうでは、三毛猫が空中でゆらゆらと揺れている。
周囲の客が何事かとチラチラ視線を向けてくる中、私はただ無表情のまま、その宙吊りの猫と気まずく見つめ合うしか出来なかった。
数分後。
「すみませーん! この台なんですけど!」
息を切らした東雲さんが、店員を連れて戻ってきた。
店員のお兄さんはガラスの中の状況を見るなり「あ、これは完全落下扱いになりますね。おめでとうございます!」と笑顔で言い、鍵で扉を開けてぬいぐるみを救出してくれた。
「はい、どうぞ」
手渡された景品を、私はそのまま東雲さんへと差し出した。
「はい、東雲さん。どうぞ」
「え……? 私にくれるの?」
「勿論です」
私がそう言って手渡すと、東雲さんは目を丸くした後「ふふっ」と心底嬉しそうに笑い、両手で大切そうにぬいぐるみを胸に抱きしめた。
ゲームセンターの安っぽい人工的な照明の下でさえ、私だけに向けられるその無防備な笑顔は直視できないほど痛くて、残酷に眩しかった。
「ありがとう、結城くん!」
「あ、ワンピースの袋に一緒に入れておきます?」
「ううん、このまま持っていく!」
満面の笑みで、三毛猫のぬいぐるみに自分の頬をすりすりとする彼女。
「……分かりました。でも帰りの電車に乗る時には危ないですから、ちゃんと袋に入れましょうね」
先程までの、崖から踏み出しそうになっていた危うい自制心の揺らぎや、心のバッテリーに負っていたダメージが、ほんの少しだけ癒されていくような気がした。
彼女の笑顔一つで致命傷が全回復してしまう、自分の救いようのないチョロさに内心で呆れながらも。
私は『都合のいい手下』として自分の荷物の持ち手を握り直し、相変わらず嬉しそうに猫を撫でる彼女の隣を、少しだけ足取りを軽くして歩き始めた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




