第41話 私以外に対しても
自動ドアを抜けると、ひんやりとした空調の風と共に、コーヒーと甘いクレープの匂いが鼻を掠めた。
改札直結のエントランスから足を踏み入れたその巨大なショッピングモールは、私の想像を遥かに超えるスケールだった。
遥か先まで一直線に伸びる広大な通路。
吹き抜けになった三層構造のフロア。
天井からは自然光が降り注ぎ、見渡す限りのアパレルショップや雑貨店が延々と軒を連ねている。
その規模はちょっとした空港のターミナルか、あるいは一つの街のようだった。
「うわぁ……すごい、端っこが見えないね」
隣を歩く東雲さんが、目を輝かせながら周囲を見渡す。
休日の『陽の気』に満ち溢れたこの巨大なダンジョンは、日陰でひっそりと生きるゲーマーにとって完全にアウェイの領域だった。すれ違うのは、お洒落をしたカップルや幸せそうな家族連ればかり。
「……取りあえず、ハワイ用の服を探すんですよね。あ、館内マップでも見てみます? 私ここ初めてなので」
私が冷静に進行役を務めようと案内板を探していると、東雲さんがふわりと私の隣に寄り、ショルダーバッグの肩紐の辺りをきゅっと摘んだ。
「折角これだけお店があるんだから、まずは色々見て回ろうよ」
「色々って……こんな大きなショッピングモール、目的もなく歩いたら、とんでもない距離になりますよ?」
「いいの。結城くん、今日は一日付き合ってくれるんでしょ?」
少しだけ首を傾げて、上目遣いで微笑む彼女。
ミントグリーンのスカートが柔らかく揺れ、大人びた香水の匂いがふわりと漂う。
「……分かりました。迷子にならないように気を付けて下さい」
「ふふ、はーい」
私が仕方ない風に了承すると、彼女は嬉しそうに私の少し先を歩き始めた。
休日のウィンドウショッピングというやつは、目的の無い者にとっては体力の消耗戦だ。
しかし、東雲さんは全く疲れを見せることなく、興味を惹かれた店を見つけてはふらりふらりと吸い込まれていく。
最初に彼女が足を止めたのは、カラフルな生活雑貨や面白グッズ等が所狭しと並ぶ、ポップな輸入雑貨の店だった。
「ねぇ結城くん、これ見て」
彼女が手に取ったのは、パイナップルの形をした毒々しい黄色の巨大なサングラスだった。
「ハワイって感じしない? これ着けて歩いたら楽しそう」
自分の顔にそのふざけたサングラスを当てて、真顔でこっちを振り向く東雲さん。
透け感のある清楚なブラウスに、絶望的に似合わないパイナップル。
「……入国審査で、別室に連れて行かれると思いますよ」
「そしたら結城くんも付いてきてね」
彼女は私のツッコミにくすくすと笑いながら、サングラスを元の位置に戻した。
彼女はきっと、遊園地でマスコットキャラクターの耳型のカチューシャを喜んで付けて歩くタイプだと思う。
夏休み前までの印象だったなら、東雲さんも私と同じように、テンションが異様に高い陽キャグループから少し離れて、大人しく殿を付いて歩くような人だと思っていた。
実際、他にも人が居る環境だったなら今もそうだろう。
しかし、私と二人きりの時の東雲さんは違う。
最近はその違いがやっと分かってきた。
それが良いことなのか悪いことなのか、私にはまだ答が出せていない。
年齢は三つも年上なのに、こうしてふざけた玩具を手にはしゃぐ姿は、学校でゲームの画面を覗き込んでくる時の子供っぽい彼女そのままだ。
そのアンバランスさが、どうしようもなく私の視線を釘付けにする。
次に彼女が向かったのは、通路の角にある小さなアクセサリーショップだった。
白とゴールドを基調とした店内は、照明が乱反射して目に痛いくらいにキラキラと輝いている。
当然ながら客層は女性ばかりで、私は居心地の悪さに耐えかねて、店の入り口付近で適当な壁の木目を数えて待つ事にした。
しかし数分後。
壁に寄りかかりスマホを弄り始めた頃だった。
「結城くん、ちょっと来て」
小声で呼ばれ、仕方なくキラキラな店内へと足を踏み入れる。
東雲さんは、華奢なネックレスが並ぶガラスのショーケースに両手を付き、前屈みになって真剣な顔で何かを悩んでいた。
「どうしたんです? そんなに張り付いたらガラスに指紋が残りますよ」
「あのね、ハワイで着けるなら、どっちが良いかなって思って」
隣に並び、彼女が指を差した先を見ようとして──。
「………………!」
私の視界に、ふんわりとしたブラウスの広めに開いた首元が飛び込んできた。
しかも……その……言葉を選ばずに言うと、彼女の胸が小さいからか、前屈みになると下着が浮いてしまい、鎖骨を越えた奥まで見通せてしまう。
一緒に過ごす時間が長くなり過ぎたのかもしれない。
今回ばかりは、ドキドキよりも先に心配が来た。
……あんまりジロジロ見たら流石に悪いと思い、少しずつ速くなる心拍から意識を散らすように、チラチラと周りに視線を逸らす。
……私は溜息を──いや、鼓動を無理やり押し殺すように息を呑み、意を決する。
私は彼女の両肩を支えるように片腕を回し、彼女の上体をふんわりと、出来るだけ軽い力で抱え起こした。
確か、柔道の技にこんなのがあった気がする。
「あぅ……っ?! ゆ、結城くん?! な、なぁに?」
「……東雲さんは隙が多いです」
「え……? 隙?」
私は自分の胸元をトントンと指差す。
「……胸元、見えてますよ」
言葉の意味を理解した瞬間、東雲さんは「っ……!」と短く息を呑み、バッと勢いよく両手でブラウスの首元を掻き合わせた。
「……ごめん。ありがとう。……えっち」
「えっちじゃないです」
顔を真っ赤にして睨みつけてくるかと思った彼女も、意外と表情はいつも通りで、おかげで私も極めて冷静に笑う事が出来た。
「……本当に抱き締められちゃうかと思った」
それと同時に……。
彼女は普段から…。
『私以外に対しても』
……こんな感じなのかなと。
胸の奥がチクリと痛むのを感じた。
……彼女にとって。
私はただの『都合のいい居場所』。
この関係に過剰な意味を見出すのは、私自身の首を絞めるだけだ。
……この感情は本当に良くない。
「…………で、ネックレスでしたっけ」
私は彼女から視線を外し、何事もなかったかのようにショーケースの中を覗き込んだ。
そこには、小さな星のモチーフが付いたシルバーのネックレスと、シンプルな一粒石の小ぶりなネックレスが並んでいた。
私は値札のゼロの数が致命傷にならないことを確認してから、二つのネックレスと、彼女の首元を見比べてみる。
「……私は、こっちのシンプルな方が良いと思いますよ」
私が一粒石の方を指差すと、東雲さんは胸元を押さえたまま「どうして?」と目を瞬かせた。
「星のやつも可愛いですけど。東雲さんは肌が白くて首のラインが綺麗ですから、あまりごちゃごちゃした飾りはない方が映えると思います」
しかし、東雲さんはポカンと口を開けたまま、完全にフリーズしてしまった。
「……東雲さん?」
彼女は顔を赤く染め、照れ隠しのように自分の首筋にそっと手を当てた。
「じゃ、じゃあ、こっちにしようかな。結城くんが選んでくれたし」
「私は意見を言っただけで、別に選んだわけでは……」
「これ買ってくる! あ、勿論お金は自分で払うからね?」
東雲さんは少しだけむくれたように唇を尖らせると、嬉しそうに店員さんを呼びにいった。
取り残された私は、まずは一つトラブルを乗り越えた気分で、小さく胸を撫で下ろした。
ガラスケースの中に置かれたままの二つのネックレスをもう一度見比べる。
「……」
客観的な分析のつもりだったが、本当に今ので正解だっただろうか。本人は納得出来ただろうか。やはり星型は少し子供っぽいし、一粒石がシンプルで綺麗に見える。
しかし折角のハワイ旅行。
日本から何か着けていくより、向こうで何か買った方が思い出になるのではないだろうか。
いや、観光地でわざわざアクセサリーは買わないのか?
……大人の女性の思考傾向が分からない。
今後そういったことを考慮しないといけない課題が来たら、私はロクな結果を残せないだろう。
やがて小さな紙袋を提げた彼女がホクホク顔で戻ってきた。
「お待たせ! 次はいよいよ服を見に行こっか!」
「……お手柔らかにお願いします」
到着してまだ一時間も経っていないのに、私のメンタルは消耗と回復を絶え間なく繰り返し続けていた。
言うなれば、スマートフォンのバッテリーの消耗に例えるのが、私の心に今起きている現象に一番近いような気がする。
急速な充電と放電を繰り返せば繰り返すほど……バッテリーの何がどうなるかは言わずもがな。
だが、隣で楽しそうに笑う彼女の横顔を見ていると、この途方もなく広いショッピングモールを歩き回るのも、何ならプレゼントの一つでも買ってあげても良いのではと、ひっそり思い始めている自分がいて、本当に私は救いようがない。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




