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第39話 私は役に立たないですよ?

 休日の午後。

 私は東雲さんの家──正確には、彼女の自室に敷かれたラグの上に座り、小さな画面を眺めていた。




「やった、また素材落ちた! 結城くん、次も同じクエスト行ける?」


「ええ、構いませんよ。じゃあ次は麻痺の罠を持っていきますね」




 小さなローテーブルを挟んで向かい合い、私たちは手元の液晶画面に向かってボタンを弾いていた。


 あの日、私のバイト先で彼女が買っていったゲーム機。

 てっきり昼休みに裕介さんたちの輪に混ざる為に買ったのかと思っていたのだが、彼女はそれを一度も学校へは持ってこなかった。


 彼女にとってこのゲームは、みんなで遊ぶためのものではなく、こうして『私と二人きりの時にだけ遊ぶためのツール』として完全に割り切られているようだった。


 結局、私が他の連中と盛り上がっているのが気に入らなくて、自分のテリトリーに私を縛り付けておきたいだけだったらしい。


 しかし、休日の昼下がりに彼女の部屋でくつろぎ、二人きりでゲームに興じているこの状況が、やはりどうしようもなく『恋人同士のそれ』であることも否定出来なかった。




「ふぅ、一段落! 流石結城くん、頼りになるね!」




 クエストをクリアしたところで、東雲さんがカタとゲーム機を置き、大きく伸びをした。


 彼女は思い出したように立ち上がると、部屋の隅にある木製のチェストの引き出しを開け、何かを手に取って私の前に戻ってきた。




「そういえば結城くん、これ見て」


「何ですか?」




 彼女が嬉しそうにローテーブルの上に置いたのは、真新しい紺色のパスポートだった。




「昨日、やっと受け取ってきたの! 初めてのパスポート!」


「……なるほど。修学旅行の」


「うん!」




 私たちが通う専門学校では、一年目の冬に修学旅行が控えている。

 行き先はハワイ。

 デザインや色彩の感性を養う為の海外研修という名目らしいが、学生たちのテンションは完全にただのリゾート旅行だ。


 目の前の彼女もまた然り。




「結城くんはもう申請した? 窓口、結構混んでたから早めに行った方が良いよ?」




 親切心からそう教えてくれる東雲さんに、私は微笑む。




「私は大丈夫です。パスポートならもう持っていますので」


「えっ、そうなの? 海外行ったことあるの?」


「私の通ってた進学校も、修学旅行が海外でしたので」




 そう答えると、東雲さんは「へぇー、進学校ってすごいね!」と無邪気に目を丸くした。


 一度海外渡航を経験しているという事実は、私の中に少しばかりの余裕をもたらしている。

 初めての海外に浮き足立つ周囲の学生たちを、どこか一歩引いたところから冷静に眺めていられる。


 だが私の向かいに座る東雲さんは、間違いなくその『浮き足立っている側』の人間だった。




「ハワイかぁ……! 結城くん、向こうに行ったら何する? パンケーキ食べたいし、海沿いでお買い物もしたいし、あ、でもマリンスポーツも捨てがたいよね!」


「……修学旅行ですから、一応団体行動のスケジュールがありますよ。自由時間は限られてます」




 水を差すように現実的な事を言う私を意に介さず、彼女はすっかり南国の風に吹かれているようなキラキラとした瞳で身を乗り出してきた。



 ハワイの自由時間。

 考えただけでも胃が痛くなる。



 この調子だと、間違いなく私は彼女の専属ナビゲーター兼、荷物持ちとして、ハワイの強烈な日差しの下を一日中引き摺り回されることになるだろう。海外に不慣れな彼女が、手頃な手下を手放して別行動するとは到底思えない。




「ねぇ、結城くん。向こうって冬でも夏みたいに暑いんだよね? 私、向こうで着るような夏服、全然持ってないかも」


「まぁ、そうでしょうね。季節が逆ですから」


「だからさ、次の休みにハワイに着ていく服を見に行こうよ!」


「……私もですか?」


「うん! もちろん結城くんの服も一緒に選ぶの。……ハワイ準備デート、しよ?」




 上目遣いで、首を傾げて、小悪魔のように微笑む東雲さん。


『デート』という単語をわざわざ強調してくるあたり、私が断れないのを分かっていて言っている確信犯だ。




「良いですけど……服を選ぶなら、私は役に立たないですよ?」


「え? 何で?」


「どうせ私は『可愛い』としか言わないですし」


「え……あ……っ」


「だから連れて行っても何の参考にもなりません。クラスの女子でも誘ってワイワイした方が絶対に楽しいですよ」




 私にはデザインの知識はあっても、女性の服飾のセンスなど皆無だ。それに、元が良い彼女が着ればどんな服でも結局のところ似合ってしまうのだから、試着室から出てくる度に「似合ってますよ」「可愛いですね」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返す自分の姿が容易に想像出来る。


 客観的なアドバイスなど、私には一つも出来そうにない。




「……ばか」


「馬鹿じゃないです」


「ゆ、結城くんがいいの! 私は結城くんが可愛いって言ってくれる服がいいの!」


 

 彼女は顔を逸らし、自分の膝をぎゅっと抱え込みながら、早口でそうまくし立てた。




「じゃあやっぱり、何でも良いんじゃないですか」


「良くない!」




 彼女が何を怒っているのか分からないが、これ以上断るのも面倒そうだった。




「……まぁ、私も買い足したい物はあるので、折角なら一緒に見て回りますよ」




 私がようやく了承すると、東雲さんはまだ少し赤い顔のまま「やった」と小さく呟いた。


 だが、そんなのんびりとしたやり取りを終えた後、私は密かに背筋に冷たいものを感じていた。



 服を買いに行く。

 ショッピング。



 ふと、私の脳裏に先日支給されたばかりの『初めての給料』の存在が過ぎる。


 彼女は、私が最近そこそこ懐が潤っていることを知っている。



「…………」



 ……いやいや、まさか。

 そこまで悪女じゃないだろう。


 心が弄ばれるのはまだ良い。

 仕方ない。

 男としての色々な欲が悪いのだ。


 だが、金銭が弄ばれるのは流石に困る。


 ハワイの浮かれた空気を見越したリゾートワンピース、あるいは私の財布をアテにした気まぐれなショッピング。


 私の肩書きに『財布』という新たな項目が追加されようとしているのではないかと、私は迫り来る休日のショッピングデートに向けて、改めて気を引き締めるのだった。

全90話で完結予定です。

少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。

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