第36話 ディスプレイグランプリ
アルバイトを始めて一週間が過ぎた頃には、私はこの職場環境にすっかり順応していた。
面接で騙されたという当初の不満は、もはや完全に消え去っている。
何しろここは、最新のゲーム機や高画質の巨大テレビに一日中囲まれ、発売前の新作ソフトのデモ映像を大画面で見放題なのだ。ゲーマーの私にとっては、まさに宝の山である。
休憩時間や品出しの合間に、新商品のスペック表を熟読したり、未プレイのゲームのパッケージを眺めたりしていると、内心では小躍りしたくなるほどウキウキしていた。
周囲からは「熱心に商品知識を頭に叩き込んでいる真面目な新人」にしか見えていないのが、この上なく好都合だった。
そんなある日のシフト前。
バックヤードでベストに袖を通していると、フロアチーフに声を掛けられた。
「結城くん、ちょっと相談なんだけどさ。新作のアクションRPGの特設コーナー、売り場作りを任せてもいいかな?」
「売り場作りですか?」
「そう。実は今度、全店舗合同の『ディスプレイグランプリ』っていうのがあってね。優勝した店舗には、協賛してるゲーム会社から結構な額の賞金が出るんだよ。結城くん、ゲームの世界観にも詳しいし、センス良さそうだからさ」
賞金が出る。
その言葉に私の耳がピクリと動いた。
だが私の心を何より動かしたのは「好きなゲームの特設コーナーを、自分の手で自由に作り上げることが出来る」という事実だった。そんなの、給料が出なくても休みの日でも売り場に入り浸ってやりたいくらいだ。
「……分かりました。出来る範囲でやってみます」
「おお! 宜しく頼むよ! 展示用のフィギュアとかおもちゃ、販促用のツールは好きに使っていいから」
チーフから許可をもらった私は、早速フロアの一角に設けられた空の特設スペースへと向かった。
頭の中で、学校の実習で培ってきたデザインの知識がフル回転し始める。ただ商品を平積みにして、ポスターを貼るだけでは客の目は引けない。
必要なのは、視線の誘導、色彩のコントラスト、そして何より、客が一目見た瞬間にゲームの世界へ引き込まれるような「没入感」だ。
私はまず、土台となる雛壇を不規則な段差に組み替え、ゲームの舞台となる荒廃した遺跡の地形をイメージした。
次におもちゃコーナーから展示用として許可をもらったブロックや人工芝、ジオラマ用の小さな木々を拝借し、売り場そのものを一つの巨大なジオラマへと変えていく。
主役となるのは、ゲーム会社から支給された主人公とモンスターの精巧なフィギュア。
私はそれをただ並べるのではなく、剣を振り下ろす主人公と、それを迎え撃つ巨大モンスターという、最も緊迫感のある戦闘のワンシーンの再現に使う。
さらに商品のパッケージをまるで遺跡の石碑のように配置し、世界観に見事に溶け込ませた。
「……こんな所かな」
数時間の作業の末、完成した売り場から一歩下がって全体を見渡す。
そこには、家電量販店の一角とは思えない、濃密なファンタジーの世界が広がっていた。
パッケージの鮮やかな色合いと、フィギュアの躍動感が、家電量販店の域を超えて完璧な調和を見せている。
町で一番大きなゲームショップだって、こんなに凝った売り場にはなっていない。
本部から届いた販促ツールをベタベタと貼りまくっただけのゴチャゴチャした売り場には絶対に負けない自信がある。
ゲーマーとしての情熱と、デザインを学ぶ学生としての知識。
その二つが最高の形で融合した会心の出来だった。
「うわっ……なんだこれ、すっげえ……ここ、前からこんなんだったっけ?」
「結城くん、これ一人で作ったの!? スゴい!」
気が付けば、チーフや他の従業員たちが私の作った売り場の周りに集まり、感嘆の声を上げていた。
通りすがりの客も足を止め、写真を撮っていく人までいる。
私は「いえ、色々並べてみただけで私は何も……」と謙遜しながらも、口角が緩みそうになるのを必死に抑え込んだ。
ここでは、私は『誰かの都合に合わせて配置されるだけのモブキャラ』ではない。
私自身の知識と技術が正当に評価され、私が作り上げたものが、確かに誰かの心を動かしている。
その確かな手応えだけが、すり減っていた私にとって何よりも大切な報酬だった。
***
その日の夜。
心地良い疲労感と達成感を持って帰宅し、暗い自室のベッドに倒れ込んだ。
大きく息を吐き出し、天井を見上げたその時、タイミングを見計らったかのようにズズッ、ズズッとポケットの中のスマートフォンが短く震えた。
重い体を転がして画面を見ると、そこには『東雲 紗雨』の四文字が表示されている。
(……こんな時間に? 珍しい)
時計の針は夜の十一時を回ろうとしていた。
私がバイトを始めてからというもの、彼女とは放課後に顔を合わせることはすっかりなくなっていた。
休日に連絡が来ることはあっても、平日の、しかもこんな夜更けに電話が掛かってくるのは初めてのことだ。
不思議に思いながら通話ボタンを押して耳に当てると、電話の向こうから、懐かしい彼女の吐息が聞こえてきた。
『あ……結城くん。こんばんは。夜分遅くにごめんね。……バイト、終わったかな?』
「ええ、今帰ってきたところですけど。どうしました?」
『ううん、特に用事があるわけじゃないんだけど……。その、結城くんのバイトの話、聞かせてほしいなって……思って』
耳の奥でイマジナリーみかん箱さんが囁く。
東雲さんは私のバイトの話が聞きたいわけではない。
放課後の拠り所を失った彼女が、夜という不安な時間帯に「安全な小道具」がまだ自分に繋がっているかを確かめたくて、こうして電話を掛けてきているのだ。
そんな事は分かっている。
それでも放っておけないと思ってしまう私は本当に愚かだ。
いつか美人局か何かに引っ掛かりそうである。
……それが今まさに進行中でないことを祈る。
「……いいですよ。今日は、面白いお客さんが来ましてね」
こうして、顔は見えないのにすぐ隣で息をしているような、甘くて残酷、奇妙な夜の時間が幕を開ける。
この日以降、暗闇の中で声だけを繋ぐ長電話が、私と東雲さんの『新しい日課』になった。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




