第35話 完全に騙された
十月に入り、私は宣言通り、市内の大型家電量販店でアルバイトを始めた。
シフトは週に三日。平日の夕方から閉店まで。
国道沿いにそびえ立つ、巨大なガラス張りの店舗。
自動ドアを抜けると、白過ぎるほどの眩しいLED照明が視界をジャックし、けたたましくループする陽気なテーマソングが鼓膜を容赦なく叩きにくる。
ズラリと並んだ最新家電の放つ熱気と、響き渡る店員たちの威勢の良い挨拶、そして絶え間なく行き交う無線のノイズ。
彼女の引力に絡め取られる静かな教室や、狂気と甘さが混在する息の詰まるような私の自室とは対極にある、この無機質で騒々しい空間こそが、今の私には絶対に必要な防波堤だった。
ここなら、彼女の甘い香りも、私の袖を掴む小さくて残酷な手の熱も、きっちり遮断することが出来る。
本来なら新しい環境に身を置く事で、少しは新鮮な空気を吸えるはずだった。
……はずだったのだが。
「結城くん、テレビコーナーの通路側にいるご家族、声掛けられる?」
「……はい、了解です」
耳の奥にねじ込まれた無線のイヤホンから、フロアチーフの指示が飛んでくる。
私は胸元に付けたインカムのマイクボタンを押し、努めて落ち着いた声で報告を返した。
「結城、テレビコーナーのご家族、案内に入ります」
そう言いながら、私はピカピカの新しい営業担当用ベストの裾を軽く引っ張り、一つ深呼吸をしてからターゲットである家族連れの元へ歩み寄った。
そもそも、話が違うのだ。
面接の時、私は「おもちゃコーナーの裏方で、商品の品出しと在庫管理をメインにやってもらう」と聞いていたからこそ、避難場所をここに決めたのだ。
高校生の時に本屋でアルバイトをしていたことがあるが、週刊誌を棚に古い号から順番に並べるだけの簡単な仕事だった。
接客なんて一番やりたくない仕事だったのに。
いざ初出勤してみると、何故か私のサイズに合わせて仕立てられた立派なベストを着せられ、痛いインカムを耳に突っ込まれ、最も専門知識が要求される売り場の営業担当として最前線に立たされていた。
完全に騙された。
「いらっしゃいませ。最新型のテレビをお探しですか?」
「あ、ええ。実は来月、子供の誕生日に新しいゲーム機を買う予定なんですけど、今のテレビだとちょっと古くて、ゲームの画質に合わないんじゃないかって話になりまして」
お父さんらしき男性が、壁一面に並んだ巨大な液晶画面を見上げながら困ったように笑う。
私は心の中で、小さくガッツポーズをした。
「最近のゲームはとても綺麗ですからね。それでしたら、こちらのテレビがお勧めです」
私は営業用のポーカーフェイスのまま、自然な手つきで一つのテレビを指し示した。
「最新のゲーム機は今、非常に高い解像度と処理速度を持っています。古いテレビだと、折角の滑らかな動きが表示し切れずに映像が遅れてしまったり、ぼやけてしまうことがあるんです。こちらのテレビは『リフレッシュレート』と言って、一秒間に画面が切り替わる回数、つまりパラパラ漫画のように画面が切り替わっていく枚数が通常の二倍になっていますので、動きの激しいアクションゲームなどでも、とても滑らかに映ります」
「へぇー! リフレッシュレートね、なるほど?」
「それに、ゲームモードという映像の遅れを最小限に抑える機能も搭載されています。お子様がプレイされる際も、ボタンを押してからの反応が速いので、ストレスなく遊べるはずですよ。タイミングが大事なリズムゲームや格闘ゲームで必須といっても過言ではありません」
すらすらと、淀みなく言葉が出てくる。
接客業などしたこともない私だが、ことゲームやその周辺機器の知識に関しては、これまでのゲーマー人生で嫌というほど培ってきた。
加えてブログで『理路整然と相手のレベルに合わせて説明する』という文章術を日々鍛えているおかげで、目の前の客が何を求めていて、どう噛み砕いて説明すれば納得するのかが手に取るように分かる。
これだけは、私の誇れる長所と言っても良いかもしれない。
次の履歴書の自己アピール欄にどう書くか、今のうちから考えておかないといけないな。
「……なるほどね。……ちなみに、サイズはそんなに大きくなくても良いんですけど……予算的にも、あはは」
「そうですね。ご家族で映画を観るなら、もう一つ下の四十三インチでも十分な迫力がありますけど……でもゲーム用なら画面全体が見えていた方が良いので、もっと小さくても良いくらいです」
「というと?」
「視点移動の距離ですね。あまり画面が大きいと……例えばこっちの五十五インチのテレビだと、画面の端から端まで視点を移動させる必要があるので目は疲れますし、画面が近いとキョロキョロしちゃうんですよ」
「なるほど……」
「四十インチくらいのテレビなら、車種にもよりますがお車でお持ち帰りも出来ますし、勿論出張で設置も承っております」
「じゃあ……四十三インチの方にしようかな。全部設置までやってくれるなら」
「ありがとうございます!」
私は深く一礼し、伝票を切るためにレジカウンターへと歩き出した。
背後から「すごいね、お兄さん。説明が丁寧」「ゲームも詳しそうだし」という夫婦のヒソヒソ話が聞こえてきて、インカムに圧迫されて痛む耳の奥が、ほんの少しだけ熱くなった。
レジ裏に戻り、伝票の処理をしていると、フロアチーフがポンと肩を叩き、一番上の伝票を覗き込んできた。
「お疲れ、結城くん。売れたのは……四十三インチ? 良いじゃない。下手な社員よりよっぽど売れるじゃないか。やっぱり品出しなんかに回さなくて大正解だったよ」
「……どうも」
チーフの悪びれない言葉に、私はジト目で返す事しか出来なかった。
騙された事への不満はあるが、こうして誰かに直接感謝され、頼りにされる感覚は、決して悪いものではない。
学校では、彼女の都合に合わせて甘えられるだけの『安全なぬいぐるみ』でしかなく、ネットでは無責任に持ち上げられる『ただのいい人』でしかない私。
──しかし、この不本意に着せられた制服を纏い、喧騒の売り場に立っている間だけは、何かの代用品ではない、確かな知識を持った一人の人間として、真っ当に評価されている気がした。
痛むイヤホンの位置を少しだけずらしながら、私は次の客を探して、再び明るいフロアへと視線を向けた。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




