第21話 私は何て名乗れば良いの?
明るいロビーに出ると、よく通る張りのある声が響いた。
「あっ! もしかして、蒼さんですか?!」
赤いジャージを着たポニーテールの女の子が、目を輝かせながら小走りで駆け寄ってくる。
その後ろには、同じジャージを着た十人近い部員達がわちゃわちゃと固まってついてきていた。
「えっと……ベストさんです?」
「はい! いつもお世話になってます! 専門学生とは聞いてましたけど、やっぱり全然大人ですね!」
エネルギーの塊のような彼女は、弾けるように笑った後、私の少し後ろに隠れるように立っている東雲さんに視線を移した。
「そちらが……えーと、あの……例の人! ですね! はじめまして! 蒼さんがすっごく……『仲の良いお友達』だって言ってました!」
「ど、どうも……はじめまして」
東雲さんは戸惑ったように私を見上げ「……蒼さん?」と小声で尋ねてきたが、私は冷や汗を流しながら聞こえないフリをした。
すると彼女は完全に私の背中に隠れ「ねぇ私は? 私は何て名乗れば良いの? ねぇ!」と、小声で乱暴に囁きながら私の服の袖を掴み、腕がブンブンと振られるくらいに引っ張り回す。
ベストさんが無邪気に笑うと、後ろで様子を窺っていた部員たちも、我慢出来ないとばかりにドヤドヤと群がってきた。
「ちょっと部長! ほら! 私たちにも紹介して下さい!」
「そっちのお二人は付き合ってるんですか?!」
「デートでしょ絶対!」
突然の直球過ぎる冷やかしに、私は不覚にも動揺を隠すことが出来なかった。
「ち、違います! 彼女は学校のクラスメイトで、その、今回はたまたま……!」
慌てて否定しながら振り返ると、東雲さんも同じく、普段の冷静な顔を見事に失い、耳まで真っ赤に染めていた。
「わ、私たちは、その、ま、まだ……っ」
しどろもどろになりながら言葉に詰まる東雲さん。
勿論それは、女子高生たちの興味の火に油を注いでしまう。
「あー、なるほどなるほどー?」
「今は『まだ』なんですねー?」
「みんな! わざわざ遠くから観にきてくれたのに失礼でしょ! ……す、すみません、蒼さん、立ち話もなんですし、あっちのフードコートに行きましょう! 奢れませんけど、席ならあるんで!」
演劇部らしくハキハキと喋るベストさんに案内され、私たちはホール内に併設されている小さなフードコートへと移動した。
大きな窓から自然光が差し込む、カフェのようなスペースの一角。少し離れたテーブルで部員たちが山盛りのフライドポテトを奪い合っているのを横目に、私と東雲さん、そしてベストさんの三人は向かい合って席についた。
「……あ、あの。本当に騒がしくて、すみません」
「い、いや。若いね、演劇部というのは。すさまじく……エネルギーの出力が高くて」
東雲さんはまだ少し熱を持った頬を両手で押さえながら、気まずそうに視線を逸らした。
「劇、本当にお疲れ様でした。すっごく面白かったです」
私は空気を変えるように、改めてベストさんにお礼を言った。
「ベストさん、一番台詞が多かったですよね。もうほとんど一人芝居みたいな。あの個性的な九人のボケに対して、たった一人で最後までツッコミ続けるなんて、本当にすごかったです。息つく暇もないくらい笑わせてもらいました」
「本当ですか!? 良かったー! テンポが命の台本だったので、噛まないかずっとヒヤヒヤしてて……」
しかし、ホッと胸を撫で下ろす彼女を見て、私は先ほど客席で抱え込んでいた黒い感情が、再び湧き上がってくるのを止められなかった。
「……だから、どうしても納得いかないんです」
「え?」
「あんなに会場中を笑わせて、間違いなく一番盛り上がってたのに、なんで賞に選ばれないんです? 分かる人にしか分からないような小難しい劇ばかり評価されて……。モノ作りなんて、結局の所、届けたい人たちに届かなければ意味がないじゃないですか。会場の笑い声を聞けば、どれが一番観客の心を動かしたかなんて一目瞭然なのに……!」
気付けば、私はテーブルに身を乗り出して、少し声を荒げてしまっていた。
隣にいる東雲さんが、驚いたように私を見上げている。
自分の器の小ささを自覚しながらも、一生懸命に舞台を駆け回っていた彼女たちの努力が報われなかったことが、同じクリエイターの端くれとして、どうしても許せなかったのだ。
しかし、私の熱のこもった抗議を聞いていたベストさんは、不思議なことに、ひだまりのように温かく微笑んでいた。
「蒼さんって、ブログの文章だといつも優しくて落ち着いてるから……まさか、私たちの為にそんなに熱くなってくれるなんて思いませんでした。すごく嬉しいです」
「ベストさん……」
「賞をもらえなかったのは確かに残念ですけど、蒼さんが言う通り、気持ちって届けたい人に届かなければ意味がないんですよね」
ベストさんは、後ろのテーブルでバカ笑いしている部員たちを優しく振り返り、再び私の目を見た。
「でも、蒼さんは今日笑ってくれたんですよね? 楽しんでくれたんですよね?」
「……ええ。お世辞抜きで、一番面白かったです」
「だったら……私たちの劇はちゃんと『届いた』ってことです」
晴れやかな、一点の曇りもない笑顔だった。
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の奥で煮えたぎっていた黒い感情が、春の雪解けのように溶け始めた。
それはまるで、木漏れ日の中でキラキラと光を反射しながら零れ落ちる、優しくて温かい雪のようだった。
「……ふふっ。結……じゃなくて、蒼羽さん。まるで自分のことみたいに悔しがるんだね」
東雲さんが口元を隠して、クスッと笑う。
「でも、私も同感。どんな賞よりも、あの会場の笑い声が、作品がちゃんと『届いた』何よりの証拠だと思うな。……少なくとも私は、今日一番楽しませてもらったよ」
当の本人であるベストさんは笑顔で結果を受け入れていて、東雲さんもそれを優しく肯定している。
この場で一人だけムキになっていて一番大人げないのはどうやら、いや、やはりというべきか。
それは間違いなく私だった。
「……ありがとうございます。ベストさんも改めて。今日はベストさんたちの演劇を見られて本当に良かったです」
「えへへ、こちらこそ!」
そう言って照れくさそうに笑うと、ベストさんは「あっ、そういえば!」と身を乗り出してきた。
「ここまで車で来たんですよね? 道中、どこか寄りました?」
「えっと、途中の道の駅で休憩して、ソフトクリームを……」
「あー! あのミルクソフト美味しいですよね! ドライブデートにピッタリです!」
「だ、だから違いますってば!」
再び始まった他愛のない雑談。
東雲さんも先程の照れを少し引きずりながらも、「あのミルクは脳の処理速度が上がる気がして」「えっ、処理速度?」と、ベストさんと楽しそうに言葉を交わしている。
そんな二人のやり取りを横で聞きながら、私は誰にも気づかれないよう、静かに息を吐き出した。
(……なるほど)
届けたい人に届いた。それだけで十分。
それは、自分に自信が持てず、相手の顔色ばかりを窺って『自分の気持ちを伝えること』から逃げ続けていた私の心に、深く、鋭く突き刺さる真理だった。
伝わらなくてもいいと勝手に諦めるのは、本当は伝えてほしいと願っているかもしれない相手の気持ちに対する、それこそ傲慢な裏切り。
私は、楽しそうに微笑む東雲さんの横顔を静かに見つめた。
届けたい人が、すぐ隣にいる。
だったら後は、不格好でも何でも、自分自身の言葉で届けるだけだ。
賑やかなフードコートの喧騒の中で、私は誰にも聞こえない声で、そう強く心に誓った。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




