第18話 一つ提案しても良いですか?
今日のデザイン学科の教室は、冷房が効き過ぎていて、肌寒いくらいに冷え込んでいた。
いや、エアコンのせいだけではなかったのかもしれない。
自分の席に座った私は、頭の中をグルグルと回る言葉たちを追い掛けることに必死で、東雲さんが登校してくるまで、いや、登校してきても完全にフリーズしていた。
「……おはよう、結城くん」
少しだけ、探るような掠れた声。
私が距離を置いてしまったせいだろうか、彼女の目元はどこか自信なさげに俯いている。
……私のことなんて放っておいてくれていいのに。
十八年間、私はずっと舞台を観客席から眺めていた。
世界は映画を観るように楽しむもので、干渉出来るものだとは思っていなかった。
特に恋愛なんて最たるもので、クラスのイケメンが隣のクラスの美少女と付き合ってるとか、今期のアニメのヒロインが可愛いとか、ソシャゲの新キャラがとか、VTuberの新人がとか、目にする異性の存在は全てファンタジーと同義だった。
それは遠くから鑑賞するもので、私なんかが手を伸ばして触れていいものじゃないと思っていた。
いや、今も思っている。
だからこそ、私はここで素直に頭を下げるべきだった。
こんなこと何でもない。
舞台の上の人たちは当たり前のようにやっていた。
シミュレーションは完璧だった。
けれど、彼女の寂しそうな瞳を正面から見つめると、喉の奥がカラカラに乾いてきて、用意したはずの言葉が一つも出ない。
言い訳ばかりが頭を駆け巡り、沈黙の秒数だけが過ぎていく。
やっと開いた私の口から出たのは、最悪に情けない一言。
「……おはようございます。今日の課題、どこまで進んでます?」
言ってしまってから、舌を噛み切りたくなった。
逃げたのだ。
私は一番大事な場面で、傷付く覚悟すら持てず、みっともなく逃げ出してしまったのだ。
選ばないことで結果的に誰かを傷つけるとしても、自ら傷つく選択を取ることの出来ない、底なしの臆病者だったのだ。
東雲さんは一瞬だけ見開いた瞳をすぐにスッと伏せ「うん。もうほとんど終わっているよ」とだけ短く返し、再びモニターへと視線を戻してしまった。
「そう……ですか。流石東雲さんですね」
二人の間に流れる、息が詰まるほど冷たくて、気持ちの悪い沈黙。
彼女の叩くタイピング音は、いつものような小気味良いリズムではなく、どこか単調で覇気がなかった。
私は自分の弱さを激しく呪いながら、盲目的にマウスをクリックし続けた。
***
その夜。
私は自己嫌悪でベッドの上を数時間這い回り、眠くなってきてから、仕方なくパソコンの前に座って自分のブログを開いた。
窓の外からは、夏の始まりを感じさせる湿った風が吹き込んできている。
開いてはみたものの、やはり溜息しか出てこない。
誰かと共有したい楽しい話題の為に始めたブログで、こんなに落ち込む記事を連日書く羽目になるなんて思わなかった。
【タイトル:自己嫌悪で絶望しています】
皆様、こんばんは、蒼羽です。
ごめんなさい、ダメでした。
いざ顔を見たら、怖くて何も謝れませんでした。
私は本当に最低最悪な臆病者です。どうしても逃げ道を探してしまいます。
二人の間にずっと気まずい空気が流れているのを感じます。
自分で蒔いた種なのですが、謝ろうと決心した途端に、こんなに居心地が悪くなるとは思いませんでした。
人の気持ちが分からないというのは、こういう人のことを言うんだろうなと、自己嫌悪で絶望しています。
昨夜の宣言を見事に裏切る、みっともない報告。
溜息を吐きながら画面を更新すると、すぐに新しい書き込みが追加された。
【緋色】(ゲーマー)
ドンマイです!
またチャンスは巡って来ますよ!
【ベスト】(演劇部)
蒼さん、こんばんは!
私、そのチャンスになれるかもしれないんですけど、一つ提案しても良いですか?
実は今週末に、私が参加する演劇部の地区大会があるんです。
小さいイベントですけど、もし良かったら見に来ませんか?
是非その人も誘って、二人で小旅行なんてどうでしょう?
「……旅行」
教室という日常には、壊したくないものが多過ぎる。
逃げ込める理由も場所も溢れている。
もし二人きりの空間で逃げ場を失い、非日常的な状況なら誤魔化すことなく、彼女にもきちんと向き合えるかもしれない。
私は強張る指先で「行きます。明日、彼女を誘ってみます」と返信を打った。
こんな簡単な返事でさえ、送るか送るまいか悩みに悩んだ末の決断だった。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




