第16話 優しさという名の傲慢
週末の夕方。
駅前のカラオケ店のロビーは、時間を持て余した学生たちの熱気でごった返していた。
「三名、三時間、ドリンクバー付きで」
受付で手慣れた様子で手続きを済ませた裕介さんを先頭に、私と杉田さんはジュースのシミで少しベタつく廊下を歩き、伝票に書かれた番号と同じ数字の部屋を見つけた。
部屋の中は、微かに前の客が残したフライドポテトの油の匂いと、柑橘系の謎の芳香剤が混ざった、カラオケ特有の空気が漂っていた。
黒い合皮のソファに腰を下ろすなり、裕介さんは迷うことなくテーブルの充電台からタブレットをひったくり、人差し指で、右で左で、機械のレスポンスが追いつかないくらいの速さでタップを繰り返す。
「よし、まずは俺のターンな。あ、メガ盛りポテト宜しく」
「……マイクのエコーが強過ぎるね。この部屋の容積なら、十五が最適解だ」
杉田さんが壁の機材のつまみを微調整し始める。
普段は教室の一番前の席で黙々と作業をしている口数の少ない人だが、カラオケに来るとやたらと音響やリズムに厳しい職人と化すらしい。
すると、けたたましいイントロが鳴り響き、裕介さんがマイクを握りしめて熱血系のアニソンを絶唱し始めた。
その横では、杉田さんが何処からともなく取り出した店のタンバリンを構え、完璧な裏打ちを刻み始めた。
ダンディな無表情を一切崩さず、厨房で鍛えられたしなやかな手首のスナップだけで「シャンシャンシャンシャンッ!」と信じられない残像を伴った連打を繰り出している。
「……杉田さん、それどこで練習してるんです?」
「……イメトレだ」
そんなカオスな空間の中。
私はドリンクバーで汲んできた蛍光色なメロンソーダをストローで啜りながら、小さくソファの隅に縮こまっていた。
目の前の友人二人のバカバカしいやり取りを見ているのに、どうしても頭の片隅には、東雲さんの沈んだ横顔がちらついてしまうのだ。
無意識のうちに、浅い溜息が唇からこぼれ落ちてしまう。
「……よし、消費カロリー十四キロ! 結城、次いけ!」
一曲歌い終えてドカッとソファに倒れ込んだ裕介さんが、タブレットを私の前に滑らせてきた。
「いや、自分ちょっと今日は喉の調子が……」
「……」
裕介さんは何も言わずにマイクを置くと、ふと真顔になって私を見た。
空気の読めないやつだと思われたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
「……結城。実はな、今日はお前を励ます為のカラオケなんだ」
「励ます?」
モニターに流れる控えめな音量のMVと、隣の部屋から漏れ聞こえてくる流行りの歌が、静まり返る部屋でとても印象的だった。
「お前、最近溜息ばっかりついてるよな。授業中も昼休みも、今だってそうだ。もし何か悩んでて、俺達に相談出来る事なら、ダメ元でも話してみないか? 話すだけでも気が楽になるとか言うだろ?」
「私は別に……」
裕介さんの態度は、純粋に心配してくれている友人のそれに見えた。
しかし、私が返事に困っていると、丁度店員さんがメガ盛りポテトを運んできた。
杉田さんが受け取り、テーブルの真ん中に置く。
何かこの部屋雰囲気重くない?
そんな表情の店員さんはそそくさと帰っていく。
杉田さんが持っていたタンバリンをテーブルに静かに置き、メガ盛りポテトを一つかじる。
『ピッ』
彼が手元のリモコンを操作すると、部屋に流れていたカラオケのBGMが唐突に切れ、不自然なほどの静寂が降りてきた。
そして音の消えた空間に響くように、ゆっくりと口を開く。
「……それじゃあ、僕から話そうかな」
杉田さんが裕介さんに謎のアイコンタクトを送る。
裕介さんは「後は任せた」と言わんばかりに力強く頷くが、二人の意思疎通は全く出来ていなかった。
「まず裕介くん。今日結城くんを誘った理由だが……君に話したのはデタラメだ」
「えぇっ?!」
痛快なオーバーリアクションを取る裕介さんとは裏腹に、続く杉田さんの声のトーンは低く、優しく穏やかでありながらも、私を諭すような響きを帯びていた。
「最近の東雲さんがね、ずっと捨てられた子犬のような目をしているんだ。授業中もずっと結城くんをチラチラ見ているし、話し掛けることに怯えているように見える」
「それは……」
「………………意図的に……突き放しているね?」
杉田さんの鋭い観察眼に、私はプラスチックのコップを握りしめたまま、完全に言葉を失ってしまった。
「突き放すだなんて……。自分はただ、彼女の為を思って……」
言い訳みたいだなと思いながらも、自分の感じた一つの答を、私はぽつりぽつりと話し始めた。
私が近くに居る事で、彼女が他の女子と関わる機会を奪ってしまっている可能性について。
しかし全てを聞き終えると、裕介さんは何と言葉を掛けるべきか分からないのか、気まずそうに頭を掻いていた。
彼は私の自己犠牲の精神がいまいちピンときていないらしく、口を挟むタイミングを失っていた。
沈黙する裕介さんの代わりに、杉田さんの低く落ち着いた声が、突き付けた刃をゆっくりと押し込むように響く。
「……結城くん。君のやっている事は、優しさという名の傲慢じゃないかな?」
「傲慢……?」
「そう、傲慢だ。彼女が新しい輪に入るタイミングは、彼女自身が決めることだ。たとえ周りが『彼女の為だ』と思っても、それを本人に強要するべきじゃない。それに、君というハシゴを唐突に外されてしまった彼女は、今とても心細いんじゃないかな? 君はそれが彼女に必要な荒療治だと考えたようだけど、僕にはただ『自分が彼女の逃げ道になっている』という責任から逃れたかっただけに見えるね」
私はぐっと唇を噛んだ。
(それじゃあ彼女はいつまでも孤立したままじゃないか……)
言い返そうと喉まで出かかった言葉を、ギリギリ呑み込む。
そのタイミングで裕介さんも、恐る恐る、口を開いた。
「……俺から見ても、東雲さんと今一番仲が良いのは……多分結城だと思う。でもそんな東雲さんが今『クラスで浮いてる』上に『一番信用してたヤツに突然見捨てられた』状態になってるんだよな?」
……見捨てられた?
裕介さんのあまりに直接的な言い方に、みぞおちの辺りを冷たい手で掴まれたような感覚に陥る。
私は彼女の居場所を作るどころか、足元のたった一つの安全な足場から、私自身の手で彼女を蹴り落としてしまった冷酷な人間のように思われているのだ。
周りで見ていた彼らがそう思うのなら……本人は尚更そうかもしれない。
「友達作りの第一歩が隣の席の子だとおかしいかい? 第一歩に失敗したと気付いたら、二歩目なんて踏み出せないとは思わないかい?」
「…………確かに。そう……かもしれません」
「新しい友達を作るのに、古い友達と入れ替えていかなければいけないなんてことはないよね? 好きなだけ増やせば良いし、その機会作りに協力出来るのも友達じゃないのかな?」
「そうだ!杉田さんの言う通り!」
「……でも、自分が近くに居座っていたら、周りの女子が彼女に話しかけにくいのは紛れもない事実です」
「事実って……誰か他の女子から直接そう言われたのかい?」
「……言われなくても分かります」
杉田さんが一瞬キョトンとして、そしてすぐ大きく笑いだしてしまった。
「あぁ、ごめんごめん。なるほどね。……例えば結城くん的には、教室で楽しそうに話をしている男女が居たら、二人の時間を邪魔しないように極力話し掛けないということかな?」
「勿論です」
「話しているのが僕と裕介くんでも?」
「え、お二人はそういう……」
「ちげーよっ!」
「ふふふ、変なこと聞いてごめんね。でも何となく分かったよ」
「…………何がですか」
「……結城くんがどれだけ東雲さんを好きかってことがね」
「はぁ?!」
杉田さんの表情は先ほどまでより優しくて、何故かもう全て解決したような顔をしている。
「……杉田さん、私の話聞いてました? 私は、東雲さんが友達作りに悩んでいるって言うから、邪魔にならないように──」
「それを結城くんに相談するかな?」
「……はい?」
「邪魔な相手にわざわざ?」
「それは………………ん……」
「『自分ならこうする』。『それが当たり前だと思っている』。でもそれは裏返すと、相手もそうして当然という歪んだ『常識』になる。結城くんは東雲さんと話している時間がとても楽しくて、誰にも邪魔されたくないのかなって。今の話を聞くと思ったんだけど、どう? ……当たりかな?」
「……」
私の目を覗き込んでくるが、杉田さんの目は……見られない。
見つめてしまえば、私が抱える欲を、彼に全て見透かされてしまいそうで怖かった。
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




