第13話 綺麗な青だったね
束の間の晴れ間が覗く、六月半ばの放課後。
我らがデザイン学科の教室は、いつものようにキーボードを叩く規則正しい音と、冷房の低いモーター音に包まれていた。
「東雲さん。やっとです」
「うん、良く撮れてる」
私は財布から抜き出したばかりの、まだ独特のプラスチックの匂いが残る自動車運転免許証を、隣の東雲さんに誇らしげに見せていた。
写りの悪い眠そうな顔写真の下には、初心者を示す鮮やかなグリーンの帯が走っている。
教習所に通い始めて数ヶ月、放課後の貴重な青春を削ってまでようやく手に入れた、紛れもない大人の証明書だ。
「これで君も晴れて大人の仲間入りというわけだ」
「まだ十八ですけどね」
「バレやしないよ」
「別に違法じゃないです」
「今日の朝は、もう自分で?」
「車は親のお下がりですけどね」
「綺麗な青だったね」
「……見てたんですか?」
「うん」
嬉しそうに微笑む彼女につられて、私も自然と頬が緩む。
そんな穏やかな空気の中、ふいに東雲さんが視線を落とし、少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「あの……結城くん。もし良かったらなんだけど」
「はい」
「今日の夜、雑誌のレイアウト課題を……その……結城くんの家で、一緒にやるのは如何だろうか?」
予想外の提案に、一瞬、喉の奥で変な声が出そうになった。
「自分の家ですか? お手伝いなら東雲さんの家に行きますよ?」
「行くのは……迷惑だろうか?」
「え、いや、別に迷惑というわけではないですけど……」
「後ろから付いていくから……その、ゆっくり走ってもらえると助かる」
「……まぁ、東雲さんがそれで良いのなら」
***
私は瑠璃色のコンパクトカーを運転しながら、時折バックミラーで水色の軽自動車に目をやった。
まだ車幅の感覚にも自信がないというのに、後ろには東雲さんの車が控えているというプレッシャーで、いつも以上に運転の仕方に気を付けて走った。
こんなの、実技試験以来かもしれない。
ミラー越しに見える東雲さんの車は、まるで優雅な魚が水の中を泳ぐように、交差点やカーブも実に滑らかに追走してくる。つい数日前に初心者マークを貼ったばかりの私とは大違いだ。
一度私を送り届けただけの場所なのに、前を走る私より速くウィンカーを出している気さえする。
リードするつもりが、実際には彼女の運転技術に守られているような、何とも言えない気分で自宅に着き、少し錆びたボロの車庫にいつものように車を停めた。
隣には母親が通勤で使っている新しい軽自動車が置いてある。
私の車の前に東雲さんが車を停めたので、車庫からは車を出せなくなってしまったが、この後出掛ける用事もないし、家族の出掛ける予定なども聞いていない。
多分このままでも大丈夫だろう。
私の実家は田んぼ道をしばらく進んだ先の、小高い丘の上に建っている。
その高台を囲むように生垣が建てられていて、庭は芝生と庭園に分かれており、年に何回か庭師が整えに来てくれる。
それを横目に車を進めて、やっと車庫に入ることが出来るのだ。
「結城くん家って大きいよね。……お金持ち?」
綺麗な夕日に照らされる庭をキョロキョロと見回しながら、車を降りた東雲さんがゆらゆらと傍に寄ってきた。
「お金目当てで来たんですか?」
「うん!って言ったら?」
「……残念ですが、母子家庭なので貧乏です。祖父が遺した無駄に広い家なだけで、維持費でギリギリなんですよ」
車から降りた私はキーのボタンを押して、ピピッと鳴るドアの鍵を掛ける。
「あ、そうなんだ……ゴメン」
「別に謝らなくても大丈夫です」
玄関の前には飛び石があり、私が平然と歩く後ろで、東雲さんはぴょん、ぴょんと跳ぶように渡った。
玄関の重い引戸をガラガラと引くと、間の悪いことにリビングから母がひょっこりと顔を出した。
「奏汰、お帰りなさい。……あらあらあらあら」
母の「あらあら」を聞きつけて、妹も何事かと顔を出した。
「え、何……あ。……あの、えーと……お友達?」
「クラスメイトの東雲さん。課題をやるから俺の部屋に通すよ」
驚きと変な期待で目を輝かせる家族を遮り、私は東雲さんを階段へと押し込み、後に続く。
部屋の前で「どうぞ」と促すと、東雲さんは「お邪魔します」と律儀に頭を下げてから、私の部屋へと入ってきた。
抱えていたリュックを床に置いた東雲さんは、羽織っていた薄手のカーディガンを脱いだ。
そして私のデスクチェアにちょこんと座ると、膝を抱え込むようにして、椅子の上で小さく体育座りをした。
スカートなのにそんな無防備な格好をするものだから、カーディガンを脱いで露わになった華奢な腕や素足に、どうしても目がいってしまう。
私は誤魔化すように小さな咳払いをして視線を逸らしながら、部屋のデスクトップパソコンを立ち上げ、エアコンのスイッチを入れた。
「……じゃあ、やりましょうか」
「よろしくお願いします」
全90話で完結予定です。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。




