何もできない僕とそれを止める彼女
「こんな夜更けにどちらに向かわれるのですか」
口調はいつも通りだが、額からは大粒の汗を流し、息は絶え絶えだった。鎮痛剤が効いているとはいえ、明らかに無理をしている。正直立っているのもやっとという状態にもかかわらず、ツレヒトの異常を感じ取り駆けつけたのだ。
「リースの母親を助けにいく、ちょうどいい君もついて来て、警備が沢山いるみたいだから人手は多い方がいい」
「そうですか、しかし私はともかくツレヒト様に闘う術はあるのですか?」
「どうだろうね、でも正直いまなら何でもできそうな気がする」
そう言ってこぶしを強く握るツレヒトの表情にヴァルフは見覚えがあった。正確にはツレヒトのそういう表情を見るのは初めてだが、この一団の中でヴァルフしかない経験があった。
「ご主人様、その力に呑まれてはいけません」
「力?」
チセは何が何だかわからないと言った表情で尋ねた。
「ええ、外界人は皆それぞれ特殊な力を持ってこの地に降り立ちます。ですがあまりにも強大なその力は時として、宿主の心を乗っ取ることがあります」
ヴァルフは以前軍人として人族との戦に赴いた。そしてその初戦で敗れ、奴隷となった。その戦場にはツレヒトとは別の外界人がいた。その者の強大な力によって、部隊は一瞬にして壊滅し、ヴァルフは多くの友を失いながらもかろうじて生き延びた。そして意識を失う最中、最後に見た外界人と今のツレヒトが同じような顔をしていた。
「つまり、今の僕はその力に振り回されていると」
「はい、その通りです」
ツレヒトはヴァルフの言葉を受けて改めて自身の今を見つめなおす。だがそれでもこのあふれるばかりの自信を彼は手放すことを拒んだ。
「だとしても、今僕はすごくいい気分なんだ。あのころとは違う今の僕らはなんでもできる。救えなかったものも救えるんだよ。だから行かせてくれヴァルフ」
ツレヒトは決意を込めた瞳でヴァルフを睨む。その時彼は無意識で隷属魔法を発動させていたようで、ヴァルフの身体は石の様に動かなくなる。
「ご、しゅじん、さま」
隷属魔法によってヴァルフが苦しんでいる。きっと僕の言ったことに対して反発しようとしているから僕の制御下とは関係なく発動しているのだろう。このままでも死ぬことはないだろうが、それでも念のため意図して出力を落としておく。
「君には悪いと思っているよ。でも僕はもう何もできない僕が嫌いなんだ」
チセには医術がある、コチカとクイネは狩りができる、それにまだまだ成長のチャンスを残している。そしてヴァルフは戦闘、家事、日常の世話、何でもできる。そんな中僕は単純な力仕事以外ほとんど何もできない。今までずっと気にしないようにしてきたが、気が付かないうちに僕の心の中には劣等感が蓄積されていた。でも今は違う。みんなの主人としてふさわしい姿を見せることができる。そうすればきっと皆僕のことを見直してくれる。ただの奴隷商人ツレヒトではなく、真の意味で僕のことを見てくれる。
だがしかし魔法の出力を弱めたせいか、ヴァルフは僕を追い越すと、そのまま僕の前に立ちふさがった。
「何をしているのヴァルフ」
「行かせません、その力に飲み込まれてしまったらあなたはあなたに戻れなくなる」
「だから、戻りたくないんだよ」
無力で、無能で、頼りがいのない自分、ただただいいように使われるばかりで自分ではなにもできない自分、僕はそんな自分が何よりも嫌いだ。でもこの力があれば、神様からもらったギフト、隷属魔法、この二つがあれば今度は
「僕が支配する番だ」
『そうさ、それこそが君の望みなんだろう』
また頭の中で声がする。僕はそれに従い、ゆっくりと手を前に出した。
「ヴァルフ、命令だ、道を開けろ」
「その命令は聞けません」
僕が命令を発すると同時に、ヴァルフは即座にそれを拒んだ。




