逆転の一突き
「ご主人様~」
「お姉ちゃんなのです」
二人が指さす先を見ると、米粒ほど小さいが確かに大地を走るヴァルフの姿が見えた。その背後からはこの距離でもはっきりと見えるほど巨体のイノシシが彼女に向けて一直線に突進している。
「みんなそろそろ準備を」
「はいなのです」
「落とす~」
コチカとクイネの二人と共に僕は事前にかき集めておいた岩を崖際に移動させる。万が一崖への衝突で止まらなかった時の備えなのだが、あの猛々しい姿を見ると、正直これでも止めきれるかどうか危うい。
準備の合間ほんの少しだけ、ヴァルフの様子を見に戻る。穴までまだ200mくらいあるが、もはやイノシシと彼女との距離はほとんどなくなっていた。
「ヴァルフ!!」
僕は思わず叫んでしまった。本来であれば、ばれないように静寂を保つことになっていたが、もうそんなことは頭の隅にもなかった。気が付けば声の限り叫んでいた。ここから彼女のいる場所まで高低差も考慮すればかなりの距離があるはずにも関わらず僕は叫んだ。
「くっ、まずい」
例の穴まであと200mこのまま全速力で走って20秒、それだけ時間があれば後ろのイノシシに突き飛ばされてなおかつお釣りがくる。ヴァルフはできる限りのことをしているが、もうこれ以上の速度は出せない。だからと言ってあたりを見渡しても減速させられるような障害物は一切ない。もはや完全に詰んでいた。
「ご主人様、ごめんなさい」
あれだけ大見えを切っておきながら、結局何もできなかった。もっと慎重に考えるべきだった。ご主人様による強化があるからと自身の能力を過信した。リースを救いたいからと判断を急いてしまった。その結果が今の現状だ。
「ヴァルフ!!」
とうとう幻聴まで聞こえるようになった。これがいわゆる走馬灯という物か、初めて立った戦場で人間の軍に蹂躙されている時でさえ見ることがなかったのに、今は幻聴付きで、
「ヴァルフ!!」
もう一度聞こえた。今度ははっきりと。狼人族であるヴァルフは人間よりもはるかに優れた聴力を持つ。ツレヒトとの契約でそれもさらに強化されているようで、本来なら聞こえるはずのない崖上からの声もはっきり聞こえた。
「ご主人様・・・」
そうだ。彼が見ている。あの距離だからきっと私のことは羽虫程度の大きさでしかないのだろう。だがそれでも彼が見ている。私の身を案じて心配そうな瞳で見ている。ならば私はツレヒト様の仲間として従者としてあの人が安心できる姿を見せないといけない。
ヴァルフはなぜだかその場で反転し、イノシシと向かい合うと、ツレヒトからもらった槍を構えた。
「来い!!」
振り切れないのなら、振り切るための時間を作ればいい。そのためにやつの眉間に一撃叩き込む。勢いは殺してしまうが、穴から崖までの距離でも十分な加速は見込める。そういうこともリースはしっかりと考えていた。だからこそ、ヴァルフはこの判断ができた。
ヴァルフは自身が完全に停止したことを確認すると、そのまま天高く飛び上がった。
「ご主人様どうか、私に力を」
ヴァルフの願いに起因し、槍が強く輝く、そしてその光はやがてヴァルフの全身を優しく包み込んだ。
「喰らえぇぇ!!」
イノシシの眉間ど真ん中に槍の穂先をぶつける。リースからの情報通り確かに貫くことはできなかったが。衝撃のあまりイノシシは目をつむり、そして衝突を避けるために減速した。
「よし、今だ」
一撃を叩き込んでもなお、倒せる気は全くしない。そんなことは分かっていた、だが確かに足止めはできた。ヴァルフは着地するとすぐにまた崖に向けて走り出した。その背中を、先ほどの一撃を食らって怒り心頭になった巨大イノシシがヴァルフをはるかに超える加速度で追いかけた。




