トクシンさんの最後の言葉②
「ツレヒト様、よろしいでしょうか」
「はい」
「改めてお伝えしますが、あなた様の力は必ずこの世の中をより良いものへと変えるでしょう。ですので、その優しきお心、失うことのないように」
「・・・わかりました。みんなと共に歩んでいきます」
「その意気です。そしてチセ」
「はい」
トクシンは最後の力を振り絞りチセの頭に手を伸ばした。彼女もまたトクシンさんが振れやすいように頭を下げた。
「あなたは私の自慢の娘です。だからどうかこれから見るものすべてを心から楽しんでほしい」
「私の方こそ、あなたのような父のもとで過ごすことができて、幸せでした」
「それはなんと勿体ない言葉。医術ばかりに向き合ってきた人生でしたが、最後にこんな大きな贈り物まで」
「あなたは私に医術だけでなく、人生を、愛をくださいました。それの対価としては余りにも小さなものです」
「いいえ、それでも私の胸は幸せでいっぱいです」
トクシンの瞳がゆっくりと閉じていく。それは明確な死へのカウントダウンであった。
「チセ、この命が絶えようとも。私は常にあなたと共にあります」
「はい、さようならお父さん」
チセの最後の一言をトクシンさんは聞き遂げただろうか、もはや眼前の彼は一切息をしておらず瞳も固く閉ざされていた。チセの頭に置かれた手も力なくぷらりと垂れ下がっているのみであり、そんな彼の手をチセが別れを惜しむようにつかんでいた。しかしやがてその手をトクシンさんの胸の前で組ませた。
「皆さま、父の最後の願い聞き届けていただきありがとうございました。ただいまをもって父トクシンの死亡を確認いたしました」
淡々と告げているように見えたが、こぶしは震え瞼の内側には今にもあふれ出そうなほどの涙をこらえていた。
だがそれもあっという間の出来事でコチカとクイネが泣き出しことをきっかけにチセもまた大粒の涙を流した。とめどない悲しみの連鎖はすぐさま部屋一帯に広がり、僕らを飲み込んだ。
それから一晩明け、僕らは新たな仲間であるチセを加えて、ずっとお世話になっていた山頂の館を後にすることになった。トクシンさんの遺体はチセの希望で庭の奥に生えている大木の根元に埋めることになった。埋葬が終えたのち皆一応にトクシンさんを思い、祈りをささげたが作法がばらばらであったため、少し混乱が起こったが、きっとトクシンさんならそれもまた一興と笑ってくれるに違いない。
「それでは改めまして、自己紹介をチセ・ジンジュと申します」
そういえばずっとチセのことを名前で呼んでいたので、苗字を知ることはなかったが、きっとトクシンさんと同じものなのだろう
「ジンジャーなのです」
「じんじゅ~?」
「呼びにくかったらこれまで通りチセでいいですよ」
「「チセ」」
コチカとクイネにとっては少々発音しにくかったようで、これまで通りチセと呼ぶことに落ち着いた。正直僕も新しく覚え直すのは苦手なので、これからもチセと呼ぶことにした。
「これからもよろしくお願いします。チセ殿」
「ヴァルフさんもチセでいいですよ。互いに奴隷の身、下手な敬称は無用です」
一応チセは僕らの仲間になったが、アカデミーに入る際に奴隷紋があると不利に働く可能性があるために、正式な奴隷契約はしないことにした。実際その必要がないほどにチセの医術は優れている。
「わかりました。では改めてよろしくお願いしますチセ」
「はい、ヴァルフさん」
一応チセよりもヴァルフ方が年上なので、チセの方は敬称を使うようだ。
「さてと」
挨拶をいったん区切り、チセはこれまで住んでいた館の扉に南京錠をかけ施錠した。
「しばらくお別れとなりますね」
「ええ、帰ってきた時には大掃除が必要になりそうです」
「もし、そうなったら手伝うよ」
「ありがとうございます」
チセは錠のカギを首に下げた
「それでは皆さん、忘れ物はありませんね」
「はい」
チセの呼びかけに皆が答えた
「それではご主人様、号令を」
「ああ、うん。ありがとう。じゃあ皆下山しようか」
「はい」
「あ、その前に」
「大変お世話になりました」
「お世話になりました」
皆でトクシンさんの魂が眠る館に頭を下げた。それが僕らにできる唯一の謝礼であるからだった。ひとしきり頭を下げ終えると、僕らは目の前の山道に向けて歩みを進めた。
「行ってきます」
チセは改めて、父に別れを告げると、僕らに後に続いた。




