託された短刀
「母さん」
「リース、どうしてここに」
「助けに来たんだよ。さあ帰ろう」
「いいえ、それはできません。そうですよねお医者様」
「・・・私が至らないばかりに申し訳ございません」
「いいえ、これが不治の病であることは前から私も理解していました。だから」
彼女は自らの腕についた腫瘍を力づくで引き抜くと、それをチセに手渡した。
「ここから出る気体を吸い込まない限り、感染はしないはずです。どうか私でない誰かを救うためにお役立てください」
彼女が差し出したのは体の一部ではなく、作った薬の効果を確かめるための検体だった。チセはそれを受け取ると、大きなガラス容器に入れ、そしてそれをしっかり密閉した。
「ありがとうございます。私はあなたのことを忘れません」
リースの母親は静かにほほ笑むと、改めて自らの娘に向き合った。
「リース、よく聞きなさい。お母さんはもう助かりません。ここで命を終えるほかありません、わかりますね」
「いやだ、わかんないよ」
ここまでずっととげとげした態度を取り続けていたリースだった。今の彼女は年相応という言葉がふさわしいほど、弱くもろくなっていた。
「ですが、見ない間にあなたは強くなった。それにもう独りぼっちじゃないみたいで母は安心しました」
「こいつらとはあくまで一時的に、そうじゃなくて一緒に行こうよ母さん」
「いけません。あなたにはまだまだ無限の可能性があるのです。だからこれからは自らの足で地を踏みしめて歩きなさい」
「嫌だよ。私一人じゃ無理だよ」
「まったくもう、仕方のない子ですね」
そう言って彼女は敷布団をめくるとそこには一本のナイフがあった
「これをあなたに託します。私の形見ですがそんなことは気にせず思う存分使い倒しなさい」
リースは恐る恐るそれを受け取ると、震えた手で鞘から抜いた。そのナイフは金属にしては珍しく真白な色をしており、その輝きは部屋の照明などまるで夜空のように暗いものだといわんばかりに、まばゆい光を放っていた。
「ありがとう母さん・・・」
「いいえ、どうせ死人がもっていてもしょうがないものですから」
「そして、そちらの商人さん」
「はい」
突然呼ばれたことで思わずぎょっとしてしまったが、僕は慌てて彼女の元へ駆け寄った。
「急なことで悪いのですが、この子を頼みます。どうか故郷へ連れ帰ってはくださいませんか」
「もちろんです。もうリースは僕らの大事な仲間です」
出会いは最悪で、過ごした日々もまだ短い。それでももう僕はリースのことを大切な人だと思っている。
「よかった。これでもう思い残すことはない」
その一言を皮切りにまたしても呼吸が弱くなっていく、おそらくチセが投与した薬の効果が切れ始めているのだろう
「母さん!!」
「チセ・・・こっちに・・・母さんの胸元においで」
リースは返事することさえも惜しんで、自らの母親の胸元に飛び込んだ
「あらあら、まったく甘えん坊なんだから、それにしてもリースはあったかいね」
彼女は瞳は焦点が定まっておらずその視界の中に偶然リースが入っているだけ、おそらくは走馬灯が作り出す幻の世界の中に彼女はいるのだろう。
「母さん、母さん」
「あらあら、そんなに暴れなくても母さんは逃げませんよ。でも少し眠たくなってきちゃった」
「うん、そうだね、眠いね」
リースはただ母親の発言を肯定した。それは彼女が自らの訪れる運命を受け入れだしたことを示す兆候だった。白昼夢の中の自分に成り代わり、そして最後に最も優しく、もっとも大きな愛を受け取るための準備だった。
「リース・・・あらあらいつの間に立派になって・・・」
「うん、背も伸びて、大イノシシも解体できるようになったよ」
「そう・・・それはすごいわね」
「リース」
「なあに」
「大好きよ」
「私もだよ、母さん」
「・・・愛してる」
ぱたりと冷たい音が響いた。硬く冷たい床にそれ以上に冷たい腕が落ちた。そのことが残酷にも目のまえで一つの命が終わりを迎えたことを僕らに伝えてくれた。リースは最後まで母親の胸の中にいた。腫瘍のせいであちこちがデコボコながら確かに温もりを帯びた毛皮の中に彼女はいた。そしてその中で声を殺し、涙を流した。
チセはおちた方の手に指を当て、脈を測り取るが、一切反応はない。それはまさに疑いようのない死そのものだった。
そして僕はというと、計り知れない悲しみと、己の無力感にさいなまれ、軟弱ながらも涙を流すしかできなかった。
チセもまた、歯を強く食いしばり、唇から血を流しながらも、一人淡々と広げた道具を片付けていた。そんな最中だった




