第28話 魔獣が望む色
SIDE∶スフィアの使い魔 アキュート
わたくしはマンティコアである。名前はまだ無い。
……というのが、ずいぶん前のように感じる。時間の体感が変わっているのだろう。
わたくしの名はアキュートだ。
ダンジョンで魔物として生きるのは楽だった。
何も考えなくていいから。
意思疎通どころか会話のできるモンスターもいなくて、あの日、いきなり繋がる感覚がなければ自分の自我にも気づけなかった。ただの人喰いの魔獣のままだった。人の腸の味に舌鼓を打つだけの、討伐されるしかないケダモノだった。
「それが、まあ、愉快な運びになってしまったもので。お嬢様のせいでありますぞ」
ベッドに横たわる子供を見る。こうしていると本当に小さい。
黒髪と金髪の縞模様を頭に頂いた子供。
夜毎いわくありげな香油を全身に塗り込み怪しい符を髪に編み込んでいたものだが、あいにくと、わたくしにそれをしてあげられる知識はない。
そして、彼の胸には大きな傷がある。
湯浴み場にて検めたので間違いなし……! 役得でございました! ごちそうさまでした!
ではなくて。
わたくしがつけたばかりの傷だ、間違いも何もない。
背中までの貫通創。本来なら致命傷。いや即死のはず。
……痛みに慣れているとおっしゃられていたが、どうやら我慢強いという意味を超えているらしい。
胸の中心を大きく貫かれて平気な生き物はいない。そんな状態では動けない。魔獣が何を語るのかと我ながら思うが、ケダモノがする断末魔の足掻きとも違う。
お嬢様は、そんな痛みにも慣れていた。
だから痛みを折り込んだ反撃を実行できた。普通なら即死のはずの損傷を悠々と越えて、痛みに意識を惑わされもせず、勝利を掴んでのけた。
生きてくれた。
美しいが長生きできる子供ではないな、というわたくしの評価の、どれだけ愚かだったことか。
おそらく降霊術。巫術。神降ろし的なシャーマニズム。
お嬢様の体は、異物を受け入れることができるように作り変えられている。
魔獣の素材を摂取、自身に馴染ませてモンスターに近づけ、膨大な自前の魔力で強引に傷を塞いだ。使い魔であるわたくしの体を生成する要領を、自分の体で再現した。
特訓の成果? 修行の賜物? とんでもない。
これは人体改造だ。
体が発育する前に、正常ではできない機能を付加させられている。もう本来の身体機能は発揮できないはず。成長に害があるとのことだったが、もはや寿命も知れない。
お嬢様いわくババアどもは、預けられた子供に取り返しのつかないことをした。
人喰いの獣らしからぬ怒りが、ふつふつと沸き上がる。
きっとお嬢様でない他の誰かがこうなっていても、同じにはならないだろう感情だ。
……ああ。わたくしは、もう故障している。
狡猾で裏切りを好む魔獣の性はそのままに、この子を愛おしいと、護りたいと思っている。
お嬢様を害するものは許さない。
でも魔獣の本分は変わらない。だから無理心中あるのみだと決めていたのに、そんなことは知っている、わかっている、と受け入れられては愛さずにいられようか。
「わたくしは、アキュートめは」
美しさか。強さか。生い立ちか。生き様か。歪みぶりか。度量か。無謀さか。
「お嬢様のどこに惚れたのでしょうな?」
わからぬことだ。わからぬままにしておくのが心地よいことだ。この胸の甘い痛みは、お嬢様が受けてきた痛みとは違うもの。
魔獣にはもったいない心なのだろう。魔獣に許されるのかと迷う心ごと、受け入れてくださるだろう。
今だけは、このままの心地でいたい。
◆◆◆◆◆
ノックの音が鳴った。
「失礼、オシアンだ。アキュート嬢、開けてもいいですか? スフィア君は目を覚ましたかい?」
「どうぞ」
部屋に入ってきた身なりと体格のいい男性は、ベッドに横たわるお嬢様の様子を見る。
「起こさないよう小声になるけどごめんよ。スフィア君はどんな容態かな」
「ご心配はいりませぬ。秘蔵の品とおぼしきポーションを飲ませましたので」
「それ叱られるやつ。きっと本当に貴重品ですよ。いや、主従コミュニケーションの形は自由だけどね。それとも彼ならつまらないケチはつけないかな」
「はい。ケチというよりマウント取るためのイチャモンや、貸しを押しつけてくるでしょう」
「ははは。理解がすごいなぁ」
「ところでオシアン様。お嬢様をスフィア君とお呼びになるのは、そういうことでよろしいのでしょうか」
「そうだね。それはね」
うーん、どうしようか? と迷うふりをするオシアン。
時間の無駄だ。
「知られたと思う根拠ですが、この館に来て、湯浴み場にお嬢様を漬けているときに視線を感じましたので」
「漬けてって言った? でも気づけるんだね、FKnsの隠密上手に頑張ってもらったんですが」
「そんなことよりもお嬢様のお体を無断で覗いた件ですが」
「そうですね。申し訳な──」
「覗き者の目を抉るだけで許しましょう」
「それはちょっと許してくれないかな!? 責任は命令した私にありますから!」
「なら、ひとつ貸しであります」
「思いきりマウント取りイチャモンしてくるね! おかしいですね、主従は似るってこういうことだったかな?」
首を傾げるオシアン。
わかっている。国営演習場内の施設は、そのままクランの本拠として活動できるだけの規模があった。恣意的なものか手続きに則ってかは興味ないが、彼らはここを根城にしており、お嬢様はそれに救われた。
すぐ安静にできる場を提供された借りは大きなものだ。もっとも、安静にする必要の遠因に提供された場合はどうか、と思ってしまうが。
「オシアン様はお嬢様をどういたしますか? ああ、フィン・マックールとの血縁の真偽に関しては今さらなので結構。お嬢様はどう扱われますかな。貴種のルールに組み込まれるのでしょうか」
「まさか。そんなことしませんし、マックールの家名なんてスフィア君にも邪魔だろう」
「だから利用しようと?」
「……参ったな。まずは謝罪します。必要なら何度でも、もちろんスフィア君が目を覚ましてからも」
「何に対しての謝罪ですかな」
「そうだなぁ」
天井を見ながら指折り数える。
「先に、もうひとつごめんよ。殺気や威圧の類はやめてほしい。廊下に待たせている友人との板挟みで私の胃がもちません」
「ずいぶん忠誠心高めのご友人がいらっしゃるようで」
「ジルムッド・オディナ。知っているかい?」
「いいえ」
「それは珍しいね。FKns最強、いや、父を除けば王国最強戦力だよ」
「アキュートめはお父上の槍を受けたことがあるので、あれと比べてなら、まあ、程度の感想しか出ませなんだな」
「頼もしいなぁ。スフィア君が羨ましいよ」
「……気のせいですかな、廊下からの圧が明らかにオシアン様に向かいだしたような」
「ざ、雑談はこのくらいにして話を続けようか」
廊下ではジル某とやらが身構えているらしい。人の匂いが薄い者のようでわかりにくい。
「スフィア君をどうこうだけれど、私個人からの理由はありません。聖法教会からはお告げがあったけれどね」
「お告げですと?」
「赤虎の姫君、王子を鍛え打つべし。ほら。赤、虎」
言いながらわたくしの毛並みと、お嬢様の髪を示す。
「呆れましたぞ。オシアン様は信心深かったのですな」
「そうじゃないさ。従っておくと次の議会で協力してもらえるんですよ。いや、協力の窓口を開けてくれる、くらいかな。それが大きなプラスの理由で、マイナスの理由はマックール家に関わってほしくなかったんだ」
「マイナスの理由。やはりお家騒動の火種になると?」
「いっそ家に拒まれるならマシで、きっと歓迎される。フィン・マックールを越え得る逸材、冒険騎士の後継者、次代の当主候補。そうやって担がれる。傍流たちで奪い合いが起こるだろうね」
「お嬢様も言っていた、お貴族さまのご都合というものですか」
「そうだね。アキュートさんから見て、スフィアくんは自由がなくても平気なタイプかな?」
どうなのだろうか。
WCCから離れたがっていた。そんな古巣を嫌だとは言っても、憎んではいなかった。いつでも逃げられるとうそぶきながら、進んで面倒を背負い込んでいる。
自由とは?
「即答できませなんだ。相談させてくださいまし」
「相談していいものなのかい? いくら個人として強くても、彼は子供だ。自分の判断を受け止められますか?」
「は? ……ああ。失礼いたしました、廊下のジル某様」
「その失礼は私にではないのかな。今、圧がありましたよね。やめてってお願いしたのに。胃にキツく来るんだけどな」
「では失礼いたしましたと口だけ言っておきましょう」
「口だけかぁ」
これで廊下からの牽制が消えるのだから、廊下の某も頭おかしいのでは。
常識的なのが魔獣であるわたくしだけとは世も末だ。
常識と同レベルに強固な事実を言ってくれよう。
「お嬢様は大丈夫です」
「大丈夫かい」
「大丈夫です」
「そうか、大丈夫か。……貴方の主人を侮ったことを謝罪します」
「話が通じているではありませぬか。いったいいくつ話を誤解したふりで進めたのですかな」
「ははは」
笑うなこの野郎。
お嬢様はオシアンめに敬意を抱いているようだが、わたくしが警戒するのを止めさせはしないだろう。恩に対しての無礼は、ここまでの会話で渡した情報と差し引きで充分。
「さて。今、クランBWlzのメンバーはギルドの事情聴取を受けている。君たちにもじきに接触がある。しかし、まとめて私が後ろ盾についたので大事にはならないと保証しましょう」
「急に話を進めましたな。事情聴取とはギルドマスターや殿下めのことですかな」
「あとクランHtBtもだね」
「……はーとびーと……?」
どこの誰だったかな。オシアンが笑い顔のまま眉尻を下げる。
気に入らぬ顔だ。
あ、今の感想、お嬢様に似ているな。嬉しい気づきを得たのでオシアンめは許してやろう。
「頭おかしなテンションの乱高下をしてないかい?」
「読心めいた術を持っているなと見当はつけておりましたが、読めるのは気分だけですかな?」
「助かります。私のことを察しが良すぎる男だと勘違いしている者が多くて困ってるんだ。君たちは違うみたいで何よりだ」
「否定も肯定もせぬのですな」
「笑ってごまかすのはやめておこうかな」
なんとなくだが、オシアンは怒るのが苦手なのではないだろうか。自覚があるからいっそ穏やかに振る舞っている?
たぶん違うのだろう。廊下の友人とやらが理解してやればいい。わたくしは関係ない。
「ところで、私が部屋を出ていったらスフィア君の寝首を掻いたりしますか?」
「そんなつまらないことはしませぬ。無抵抗なところを裏切っても楽しくありませなんだ」
「つまり楽しそうなタイミングなら裏切ると」
「はい。その通りですが何か」
「いや、楽しいのは君たち主従だよ、まったく。……そうだ、もうひとついいですか」
「何ですかな。アキュートめは一晩中お嬢様の寝顔をながめる予定で忙しいのですが」
「スルーして言いたいことだけ言っていくよ。メイド服、でたらめに着すぎ。本職のメイドをよこすから着付けを教わりなさい」
「ぬ。それは」
そうなのかな? でもお嬢様もわたくしめの胸と腰に布を巻きつけていたし? 帯かメイド服かの違いだけでは?
「ユニアパレル……服屋ではどんなふうに展示されていたか、憶えているかい?」
「あーあー。いけませぬ。憶えておりませぬ思い出したくありませぬ。あんなのただの拘束服ではありませぬか」
「ははは。毛足長めの獣人はみんな初めはそう言うね。でもその抗議はスフィア君にするように。罰なんだろう?」
「……ううぅ……」
頭を抱えるわたくしを置いてオシアンは部屋を出てしまった。
おかしな話題を振られたものだが、動揺を突いて動くことで背後の隙を消していた。おのれ。タヌキめとは貴方のような者を言う。
即誤字を修正したりなど。




