一部5
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珍しいこともあるものだ、とアーチBDは思った。
矢巻智治がクイズを出題したのである。
「山道を歩いていて、目の前の人が胸を抑えて倒れた。五分ほど山道を降りれば病院がある地点だ。どういう対処をする?」
ふーむと真剣に考えこむカツラギは、尊敬する矢巻に感心される答えを出そうと熟考に入ったようだ。
山の話題ではあるが、山オタクの琴線には触れなかったようで、ミノブは興味なさそうに壁の張り紙を見やっている。
「ええっ、それって信仰心や慈愛の度合いを調べるテストですか?」
懲りずに山小屋通いを続けているエフタは、今日も腕によりをかけて淹れたお茶を運んでくる。
「もちろん、その人に声をかけて、助けて、支えて、病院に連れて行きます」
「残念ながらそれでは駄目なんだ」
矢巻智治は首を横に振った。
「……動かすのがダメってことなのか? だったら、病院までひとっ走りして、医者を連れて戻ってくる」
アーチBDの回答も、花丸はもらえなかった。
「呼びに行って5分、戻ってくるのに5分。10分は患者にとって致命傷だ」
「通りかかったのが医者か、それとも蘇生できる大魔法使いでもない限り、助けられないってこと?」
「いや、そんなことはない。通りすがりの素人でも助ける方法はある」矢巻智治は一度言葉を切った。どうやらここから本題に入るようだ。「心肺蘇生法の講習会を開こうとおもうのだが、どうだろうか」
ここの山小屋に滞在してから、老夫婦巡礼の道迷いの案件を解決したことがある。
老夫婦には慣れた山道のはずだったが、片方が胸の痛みを訴えたので、休み休み進んでいたところ、日没を迎えてしまい、看板を見落としたのが原因の遭難だった。
二人を発見、保護し、矢巻は患った方の老人を背負い下山したが、その間も老人はしんどそうにしていた。病院では即入院だったという。
「登山は想像以上に心臓にかかる負担が大きい。日本国内における登山の統計では、高山病、外傷につぐ高い割合で心臓の疾患が含まれる。また日本にはヘリによる緊急救助という方法があり、これで帰還するケースが多いのも心臓疾患の特徴だ」
「まあ……常に規則正しく動いてないとヤバいものだからな。山の中じゃ致命的ってのは分かるよ」
「その心肺蘇生法ってのをすれば、助かるんですか?」
「さっき二人が答えてくれた『病院まで連れていく』『往復して医者を連れてくる』時間を、心臓マッサージに充てる方が患者の生存率が高まるのは確かだ」
「それは、是非! 講習を開くのがいいですよ」と、無回答だったカツラギ。
「ああ、多くの人に覚えてもらいたい。人が集まってくれるといいのだけれど」
「俺は衛兵仲間に声を掛けますよ。非番ならきっとみんな出席してくれる」
「僕も職場のみんなを誘ってきます。異世界の稀客ヤマキさんに会ってみたいって子も多いんですよ」
「……」
アーチBDには彼らのような人脈はない。黙っていた。壁際を見る。さっきまで居たミノブの姿は消えていた。
「あっ、お茶が冷めちゃいます。どうぞ熱いうちに飲んでください。講習会当日は、いっぱい人が来ますよね? とっておきの茶葉を沢山用意しておきます」
エフタが浮き浮きと紅茶を配膳する。誰よりも熱心に時間をかけ、矢巻に一杯を淹れる。
「ああ、ありがとう。……ところで、君がアーチにだけお茶を手渡さないのは理由があるのか?」
「え」
エフタ少年が強張る。山小屋内にそれと分かるものだけに通じる、複雑な空気が流れた。
「いや、妙な事を言ってすまない。ただ、前回も今回も……おれにはカップ手渡しなのに、アーチには机の端に置くだけだから……何故だろうかと思って」
それは毒屋だからだよ。礼拝堂に紛れ込んだ悪魔扱いだからだよ。アーチBDは心内でズバリと突く。
この世界の事をまだよく知らない純粋培養の異世界の稀客に対し、エフタはどう返すのか……アーチBDは高みの見物を決め込んだ。
「あー、ええと、その……彼は、猫手なんです」
「猫手?」
「ほら、猫舌ってあるでしょう? 熱いのに敏感ですぐ火傷しちゃうのが」
「ああ」
「彼の手指も同じなんです。熱いカップに触れて火傷しちゃうとまずいですよね。微細な指先感覚が必要な調合作業に、支障を来たしますからね」
「なるほど、そういう理由だったのか」
くっとアーチBDは鼻で笑った。エフタがきっと忌々し気に睨みつけてくる。
山小屋の狭いキッチンで、二人はニアミスした。
「この前、俺は本屋に行ってリクエストしたよ。
『ウソを上手くつく方法とか、人をペテンにかける手法の本はありませんか』ってね。
店員は宗教関係の棚に案内してくれたよ。『このあたりなど、ぴったりですよ』ってね!」
猛毒の申し子の先制攻撃。聖職見習いはキッとまなじりを吊り上げ、唇をかたく引き結ぶ。
「その場しのぎのでたらめ吐く才能が、聖職採用の条件だと言われても、俺は驚きはしないよ。
あの狸寝入りは見事だったね! 救助されたお前が、ヤマキの両腕に抱えられて病院に運び込まれようとすると、松葉杖姿で今にも転びそうに現れるお前の恋人。包帯だらけの手を広げて『エフタ! お前が無事だと信じていたよ』と感涙するのを、お前は聞こえない振りしていた。
そのまま病院内に運び込まれて、移動担架に乗せられるまでのあいだ、ずっと気絶の振りをし続けヤマキの服を離すまいと握っていた。
何て厚かましいんだろうね……。人を勝手に『猫手』なんて症状にしておいて。面の皮が厚いのも採用条件なのかい? エセ聖職者!」
「……毒屋風情に後ろ指さされる行動をしたつもりはない」エフタ少年の飽くまで高飛車な言い分。「僕はヤマキの腕の中でずっと意識はなかったし、呼ばれたのも気づかなかった。さっきの件も、空気を悪くしないが為の配慮だ。新しい世界に慣れぬヤマキに、わざわざ恥部を聞かせる必要はない」
……恥部ねぇ……アーチBDの心内の毒は煮詰まり、取り扱い危険の致死毒へと進化する。
「尻軽なのも尊く聖なる職業のたしなみってか」
「出会いの時間差があっただけだ。僕が本心と情熱を捧げるべき本命の登場が、時間つぶしの恋愛相手を見つけた後のになってしまっただけのこと。運が悪かっただけだ」
「……ふぅん」
「毒屋、お前こそ自分の立場を弁えればいい。山小屋内のギクシャクした空気の原因が、己の胡散くさい毒草の臭いだと理解もできないのか? ヤマキの優れた人格ならば、惹かれた人々が大勢集まって当然なのに、未だ三人に留まる理由が、どこにあるか想像もできないのか?」
……こんなに胸がすがすがしくなるのは生まれて初めてだ。
あと腐れも、良心の痛みとも無縁に、エセ聖職者エフタを排除できることだろう。
準備は講習会の前夜で充分だった。
矢巻智治に時間を割いてもらい、アーチBDは心臓マッサージの極意を誰より早く入手する。そしてたった一つの提案をする。
あとは当日、所定の場所にて待てばいいだけだ。
エセ聖職見習いエフタの、顔をこわばらせ唇の端をひくひくさせる様を、特等席から見上げてやるのだ!
「こ、これは……ヤマキさん……?」
エフタ少年は地面に埋め込まれた可視性地雷のように、床に寝そべるアーチBDを指さした。
「ああ。アーチがダミー人形の代わりを引き受けてくれたんだ。実際の人体のほうが施術を覚えやすいだろう?」
「え、ええ…………と」
「服の内側に詰め物を入れているから、力を込めても大丈夫だ。
おれが日本赤十字の救急員普通科講習を受講したときは『あばらを折るくらいの強さで押せ』と言われたくらいだから、大量に入れておいた。相当の圧力に耐えるし、君が連れてきてくれた全員に実演してもらっても平気だ」
うなだれるエフタは、チラリと周囲を見渡す。
山小屋の最も広い部屋の、家具を端に寄せ、二十人が集まっても充分余裕がある空間。心肺蘇生法のポスターが張られ、壁際にはカツラギやエフタの人脈で訪れた参加者がいる。
実演トップバッターが震えて動かないので、彼らはひそひそ不審げに囁きあう。
「……すまない。エフタ。おれは君にたった数回説明したきりだったな。自分の伝達能力に不備がないのか確かめもせず、君に伝わったと信じるなど、おれは思いあがっていたようだ……」
「い、いえっ、違います、ちゃんと説明は頭に入っています! で、できます、ちゃんとできますからっ!」
自虐モードに入る矢巻に、エフタは慌てる。泣きそうな顔で「出来ますから……っ」と声を震わせ、背後のギャラリーを気にし、礼拝堂の悪魔を蘇生させる背徳行為に強張りつく。
……なるようになれっ! ……エフタの悲壮な決意を、決死の行動を、透明マスクの内側で見物しながらアーチBDは、勝ち誇った笑いが表に出ないようにする懸命の努力を要した。
「……エフタ、ちゃんと最初に気道確保して」
「は、はいっ、覚えてますからっ」
誇り高き聖職者見習いの少年は、世間の恥部である毒屋を蘇生する行為に邁進し、たった数分、しかし致命的な屈辱の時間を送ったのである。
1、気道の確保(毒屋に触れる)
2、人工呼吸 頭部後屈して鼻をつまむ(黒い烙印の前髪を払う)
3、人工呼吸 息を吸い、患者の口から息を吹きこむ(透明マスク越しに)
4、人工呼吸 患者の胸がしずむのを確認(毒屋をガン見)
5、心臓マッサージ(毒屋にフル接触)
一連を終えたエフタが、顔面蒼白で手を洗いに行くのと入れ替わりに、カツラギが実演第二走者として位置についた。
メタボ事務員はもう吹っ切ったようだ。目がすわっている。背後の同僚たちを確実に意識の外に追いやっている。
「や、やります……俺も実演……しますから……」
「落ち着いて、慌てないで下さいカツラギさん。まずは意識確認から……」
気分がすこぶるよかったので、アーチBDは後片付けを買って出た。重い家具をひとりで戻すのも、苦にならないほど少年は上機嫌だった。ホウキ使いは、床に埃の描く絵画が拡大する一方の、無残な不得手具合であるが、高揚した気分にかき消される。
浮き浮きしながら本日の成果を、毒舌にのせてやる。
「一皮むけたカツラギは、今度、家族そろって本屋に出かけたとき、子供の絵本とマイセレクトの春画本を、堂々と一緒に会計できるようになるな。あまつさえ『今夜はこれを参考にママと頑張るからな』なんて発言できれば、世間もうらやむオープン家族の誕生だ」
くっくっと漏れるのは典型的な悪役笑い。
「エセ聖職者のエフタは解放されたかな。教会仲間のあいだでは『美少年はトイレ行きません』顔して澄ましていたのが、今日の経験で『うほっ、いい神像。ちょっと一発抜いてくるわ』と言えるくらいフリーダムに……」
ドアの開く音。人の気配が入室し、アーチBDは振り返った。
山小屋に寄り付く時間が増え、主要人物になりつつあるミノブ青年だ。
(そういやミノブも講習会に参加していたな……)
(山要素なんてこれっぽっちもないのにな)
(……心電図が規則正しい山と谷を描くから、その山が目当てか? とことん変態だな、ミノブ……)
ホウキの柄に顎を載せ、アーチBDは胡散臭げな視線を隠そうともせず、ミノブに対峙する。
心の中で変態呼ばわりされているのも知らず、マタギの青年は、周囲をきょろきょろし、瞬きを頻繁にし、短く刈りこんだ頭髪をガリガリしたあと、意を決したように口を開いた。
「……アーチ、お前さんが影で『毒屋』と呼ばれているのは知っている。ヤマキを除く面々の、お前さんへの態度がよそよそしいのを、なんとなく感じ取っていた……」
「……」
「今日の事で確信的になった。『毒屋』というのは、裏通りに店を構える、あまり大っぴらに言えない内容の薬や調合品を売る商売なのだろう? そしてお前さんはそれを生業とする」
「……」
「カツラギもエフタも、それ以外の人間も、胡散臭い薬を買いもしない、利用もしない顔を装っていたい、そんな商売があること自体、否定したいから……だからお前さんを邪険にする。そういうことなのだろう……?」
「……」
「自分は……北部の出身と言っても、シカリと共に山暮らしが長かったから……町の事にはあまり詳しくない。毒屋にを身近にしたのも初めてだから、その……」
「……あんたよりエフタの奴のほうが、まだ人間的にマシだな」
「!?」
「エフタの父ちゃんは俺の店で勃起持続薬を買い、母ちゃんは勃起時短薬を買う。兄は精力亢進剤を、弟はワセリンを大量購入し、ペットの犬はフェロモン増強剤をお求めする。毒屋に寄り掛かった家族をもちながらエフタは『毒屋など忌々しいものはこの世から消えてしまえ』的な態度をとる。汚れをよそに押し付けつつ、自分はお綺麗な顔をする。
……正義に則してはいないけれども……人間の根源的な欲求だよね……。
いっそすがすがしいくらいだ。俺は、彼の短絡さを笑いながら、人間の弱さというものに憐れみを抱くね」
「……」
「だがミノブ、あんたはダメだ。毒屋という商売をよく知らなかったから、自分は積極的には差別に参加しなかったから……だから許される。これからも彼らに寄与するつもりはない……自分は清廉潔白だ……俺に免罪符を求める? だったら俺は免罪符の裏も表もたっぷり経皮毒をぬって、あんたに渡してやるよ」
「……っ」
「世間の恥部に『お前死んだ方がマシ』と思われるなんて、哀れだよなぁ?
けどな、あんたのしていることは、俺と一緒にいるときだけ、俺の味方をし、世間を敵にまわしている――逆に言えば、ほかの奴らといるときは世間の味方をし、ほかの奴らと一緒に俺を敵扱いするんだよな?
山の暗がりでもバサバサ飛び回ってろよ、コウモリ野郎。敵に回すと脅威だが、味方にしても役立たずな存在の筆頭かよ、あぁ?」
「……」
「あんたみたいな人間を、何というか知っている? 偽善者っていうんだよ!」




