一部4
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あとで聞いた話だが、遭難者の職場仲間である関係者たちが、ちょうど崖下の付近を捜索していたという。
彼らは「赤い光なんて見えなかった」と口をそろえて言う。
しかし白い光には気づいたのだ。「上のほうでチカチカ光っていた」「ガスがかかっていたけど、合図みたいに送られる上方からの光は見えた」
肺が凍りつき声を出せなかった遭難者も、現場付近の捜索隊も、白魔の世界で白い光を認識したのだ。
アーチBDはもちろん矢巻智治を問い詰めた。
「前にも言ったかもしれないが、日本には、活動中の火山があって、おれの住んでいた地域は特に被害が大きかった。風の強い日なんかは火山灰が舞って雨のように空を覆い尽くすんだ。昼間なのに夜のように暗かったりする。
そういう中を歩いていて気づいたんだ。緊急を知らせる赤ランプや、車の赤いテールランプは見えにくくなることを」
「……赤が見えにくい?」
「空気中に灰塵が多量に浮遊しているのと、雪山でガスが発生し細かい氷の粒が空気中に混じるのと、条件は似通っている。おれは赤い光は届かないだろうと直感した」
結果的にそれは正しかったわけだが。
「……もう少しおれが優秀ならば、光の波長や屈折の説明をして、君を納得させられたかもしれない。
遭難者の少年にも、危険な賭けをさせてしまっているな。結果的に見れば、運よく賭けに勝ったに過ぎないのだから。
すべてはおれの勉強不足が原因だ。本当に……すまなかった」
(……なんだよ、そんな顔をするなよ。頭なんか下げるなよ。あんたは救助を成功させた、英雄なのに……)
アーチBDは胸が切なくなる。
矢巻智治にそんな顔をさせるのは、アーチ少年だけではなかった。
救助した遭難者を病院に搬送し、身内や教会関係者にお礼を言われると、矢巻は謙遜する。
光の色が決め手になった件を詳しく聞きたいという者が来る。先の鉱山で考案した耐熱靴底を、実現化したいという業者が訪れる。
みんな、異世界の知識にあやかりたい奴らだ。
丁寧に知りうる限りの情報を彼らに与え、矢巻智治は低姿勢を貫く。
「これはおれの居た世界で、専門家の人が実験と研究を繰り返し、開発部やメーカーが試作試用を何度もし、満を持して世に出された商品や情報です。おれは彼らをコピーしているに過ぎません。記憶容量や頭脳の質という問題を踏まえると、明らかに劣化コピーでしょう。ですのでどうか鵜呑みにせず、慎重な実用化をお願いします」
お礼を受けたのも、知識を求めて来る者の相手をしたのも、山のふもとにある小屋だった。
遭難者を救い病院に送り届けたあと、帰宅するには遅い時間だったので、一夜の宿にと山小屋を借りたのだ。
訪れてきた上記の顔ぶれの他にも、道迷いで行方不明者の案件もさっそくもちこまれた。
この世界で矢巻が地道に積み上げてきた功績を知り、頼ってくる団体もあった。
その団体は付近の住民による有志グループで、首都ほどに治安が及ばぬ分を、辺境の住人同士フォローしあおうという集団だ。
しかし自助努力にも限度があることをアーチ少年は痛感する。渓流釣りや散策からの消息不明者、獣の被害、山道の管理など、異世界の理知を寄る辺にしたくなる問題が山積みだ。
矢巻智治はひとつひとつ対処していき、一夜の宿のつもりで借りた山小屋には、結局、一か月近く滞在することになった。
その一か月のあいだに、矢巻の名声は徐々に高まり、救助隊のスタッフは増えた。
異世界からの稀客には、ありがたい支援者の登場に過ぎないが、アーチBDにとっては違う。計量スプーンと凝視を要する厳密な調合に取り組むのと同じくらい――慎重を期して毒の量を見極めなければならない相手だ。
ひとりめはカツラギといい、ふもとの町で衛兵職をしていた男だ。G鉱山で救出された中に、カツラギの親類が居た所為もあり、山小屋へ押しかけるなり、彼は矢巻智治への心酔をあらわに助力を名乗り出た。事務仕事や連絡役をこまごまとこなすボランティア役への毒の量を、アーチBDはドクロマーク一つと見極めた。
ちなみに、ドクロマーク五つが、致死量である。
ドクロ一つのカツラギは、せいぜいこんなジョークで服毒させればいい。
「商店街にある音声付ヘルスメーターにカツラギが乗った。音声は言った『二人で乗らないで下さい』」
妻帯者で子供もいるメタボの中年男は、取り急ぎ毒で処理する必要もないのだ。
ふたりめはミノブといい、マタギの青年だ。普段使いにしている山はもっと北方で、山小屋へはふらりと立ち寄っただけだった。
矢巻と救助隊スタッフが囲む机をのぞきこみ、ミノブは「山の地図か。興味深いな」と足を止めた。
正直、アーチBDはショックだった。矢巻の丁寧な説明を受けても理解できないものを、通りすがりの第三者が一発で言い当ててしまうなんて。
アーチ少年が受けていたのは等高線の説明だ。指紋のように渦巻く線の集合体の、どこが山でどこが谷だかさっぱりだった。分かった同士は勝手に会話を進めている。
「なるほど……あんたは異世界からの稀客か。ここには立体で地図を示す概念はなかったからな。あんたの発案で山岳地図が大いに発展しそうだ」
「この辺りでは子供の道迷いが多くて、住人に地図を配布できないかと思って作ってみたんですが……なかなか手間がかかるし、難しいですね。おれの世界では二か所で撮影した空中写真をもとに、3D投影という方法で地図を起こしていますが、ここでは地道に歩いてデータをとるしかない」
「マタギに伝わる古い地図でよければ、自分が提供してやれる。データ収集も暇な時なら協力できるかもな」
盛り上がる二人に疎外感を味わいながら、猛毒の申し子はミノブにドクロ2点をつけた。
結果的には、妥当な評価だろう。
彼が小屋に顔を出すとき、机に出ているのが地図でも登山グッズでもないと、興味を失くした様子で立ちさってしまう「山オタク」ミノブは、性急に毒で処理する必要もない、無害な存在だ。
きっとこのくらい重度の山オタクに違いないと、アーチBDは勝手に想像している。
「マタギの仕事で山岳地帯を案内するミノブが言った。
『そこの崖は危険だから、足を踏み外さないように気を付けろ。
だが万が一踏み外したときは、絶対に右側を見るのを忘れるな。
お前さんだけの見事な絶景が眺められるからな!』」
狂おしいばかりの山信者なのだ。
三人目にあたるエフタは、紹介するまでもなくドクロマーク5つの危険人物級の取り扱いをする。
彼のプロフィールを聞くだけで、厳重扱いして当然だというのは分かるだろう。
エフタは――先の雪山遭難で、矢巻智治に助け出された少年なのだから。
「お茶をお持ちしました」
上品なノック、優雅な物腰で入室してくるエフタ少年。銀のお盆、繊細なつくりのカップ。古くて無骨な山小屋が、そこだけエクセレントに生まれ変わるようだ。
その日はミノブの興味を引き付けるものが作業机に広げてあり、先に挙げた面々が勢ぞろいしていた。湯気立つカップを手渡ししていくエフタは、アーチの分だけは机の端に乱暴に投げていく始末だ。
アーチBDは、彼と初顔合わせしたとき「礼拝堂で悪魔を見つけた」ようなリアクションをとられたのを思い出した。
カップを引き寄せ、一口すすってやる。味は悪くない。ほかの三人も同じ感想のようで、言葉に出してお茶出しの少年をねぎらう。
「本当ですか、良かった」胸をなでおろすエフタ。歓喜のオーラは見誤るまでもなく矢巻一人に向けられている。「美味しいお茶を飲んでもらおうと、紅茶教室で習ったんです」
「そうか……いろいろな活動が開始できるほどに元気になっているのか。回復が早くて良かった」
雪山で遭難し、低温に長時間晒され、声を出せないくらいに肺を凍り付かせた少年は、三日で退院し、山小屋に押しかけてきたのだ。
「君の恋人の方が……却って長い治療が必要になってしまったようだね」
矢巻の案じる言葉に、エフタは微妙な顔つきで話題をかえた。
「異世界の稀客であるヤマキさんは、まだこの世界で知らないこと多いでしょう? ニホンには魔法もないんですってね? 教会で新しく覚えてきた治癒魔法を披露しちゃいます。外傷をふさぐ魔法で、これは救助隊活動に役に立つってピンときたんですよ」
「外傷を……ふさぐ?」
「はい、たとえば僕みたいに転落して、うっかり額を切っちゃったりするでしょ? 血がだーだー流れるし、目に入ったりしたらパニックになっちゃいますよね? でもこの魔法があれば傷口をくっつけちゃうんです」
「それは便利だな」
「でしょ? 傷口をふさげばそれ以上の失血はしないし、怪我人の運搬も楽になります。重くて邪魔な器具とか、怪しげな薬草を何種も荷物にして……即座に効く訳でもない、血が止まるでもない、原始的な技術に頼るよりは、空手で登れて便利な聖職見習いの僕を、どうかここで使ってください」
チラリとアーチに投げかけられる視線は、まるで悪魔に投げた聖水の行方を追うようだ。
(……馬鹿な奴。悪魔が倍返しで打ち返さないとでも思っているのか?)
「ああ。君の恋人も、君が習った魔術で癒してもらえれば、きっと喜ぶんじゃないかな」
意外なところからの代打。アーチは心の中で矢巻に拍手を送った。打ち返された聖水を頭から浴び、ずぶぬれの自分が信じられないといった表情のエフタ。
「……あ、……あの、それは……。飽くまで表面をくっつける、応急措置なだけで……内部の損傷や、血管の破損はそのままだから……、あいつの怪我を完治させ、歩くまで回復させるとかは、さすがに……できない……」
「もちろん、そんな万能な魔法が存在しないこと、おれも分かっているよ。
転落した君を助けようと苦心し、手指を寒気に晒し、凍傷寸前にまでなってしまった。ひとりでは無理だと下山を決意したあと、積雪で山道と区別できない藪に足を踏み入れ、凍って尖った何本もの小枝に太ももを貫通させてしまった。抜いたら出血で気力が失われ、助けを呼べに行けなくなると思い、君の恋人は根性で、枝を貫通させたまま雪山を降り切った。
幸い神経は傷ついていなかったけれど、傷口は熱をもって腫れあがり、リハビリにも長く苦しい時間を要するだろう。
そんなとき、無事な恋人の見舞いと励ましが、どれだけ回復の尽力になることか……」
「……」
「エフタ、君が毎日山小屋に通ってきてくれるのは、嬉しいし、ありがたく思っている。
だが、おれは当然のことをしただけなんだ。君が恩を感じる必要はないんだ。
無事生還してとりとめたかけがえない生命、大切な時間を、どうか君がいちばん大事に思う人といる時間に割り当ててくれないか」




