一部3
一部
3
領主の館から馬車で半日の雪山は、標高800メートルほどの山だ。
連峰のはずれにたたずんでおり、特色も見当たらない低山の、山間住人はひとりもおらず、ふもとに教会の分館があるくらいだ。
そんな、ただでさえ地味で特徴のない現場なのに。
「雪庇を踏み抜いて崖下に転落した少年の救助が、今回の目的なんだ」
「あんたさぁ……せっかく異世界から転生してきたのに、第二段の出動がこんな話題性のない案件でいいと思っている訳?」
「話題性があろうかなかろうが、おれはどんな案件でも全力で尽くして、かけがえない生命を守ろうと思うよ」
(そういやヤマキは、全身全霊で人を助けたいって、領主に伝えてたんだっけ……)
「二人の男が、教会の業務で山の頂上を目指していた。だが天候が悪化し、急いで下山しようとしていたところ、一人が転落してしまった。
相棒の男性は助け上げようと四苦八苦したが、道具もなく、視界も悪くなるばかりで、救助を求めに急いで降りてきたんだ。急ぐあまりに、彼自身も怪我を負ってしまい、病院に収容されながらも『助けに行かなければ!』と必死だったそうだ。なぜなら二人は恋人同士だったからなんだ。
怪我で動けない彼の気持ちを慮って、できるだけ早く、そして無事に救助したいと思うんだ」
「そいつ、助けなくていいよ」アーチBDは辛辣に言った。「アンケートをとってみようか。『このような状況で恋人の片割れを救う必要があると思いますか?』って。結果は100%『助ける必要なし、そこで死ね』になるから」
「そんなアンケートの……結果まで予想できるものなのか」
「アンケートの回答者は、『恋人なし歴=年齢』の独男に限定するつもりだからな」
馬車から降ろした積み荷で、アーチBDは防寒と登山の装備を整え、矢巻智治も大きなリュックを背負った。地図を頼りに積雪の山道を急ぐ。
転落した少年については『転落した直後、呼びかけたら返事があった』という恋人の男性の証言がある。生きているのならば早めに確保したい。もっとも『二度目以降は呼びかけても、返事はなかった』という証言もあり、アーチBDは一回目は空耳だったのでは疑惑を有力視している。話によればかなり高所から落ちたようだ。生きていないであろう可能性も高いのに――先を進む矢巻智治は、雪の中で汗をかくくらい全力でラッセルをする。
「あ、あのさ、俺、代わろうか? 俺は荷物も少ないし、あんたの後ろを楽して歩いていたから、体力有り余っているし。文系だけど力仕事もできるんだって所、見せてやるよ」
「いや、交代はしない」
きっぱり言い切り、矢巻は振り返りもしない。
「それに、アーチ。今後、救助の案件があっても、君を現場に連れていくことはしない」
「は……ぁ? 何それ、どういう意味だよ」
「今回は搬出の予想を視野に入れて、サポート役として同行してもらったが、今後その必要があるときは、経験者や専門家を頼ったり雇ったりするつもりだ。アーチ、君を安全が確保できない場所には伴わない」
「そ、それ……は、どういうことだ? 俺に仕事を与えないってことか? 本当は雇いたくなかったってことかっ?」
「そんなことはない。言い方が悪くて気分を害したならすまない。
薬師として君の手腕に期待しているし、これから頼むことも多くなるだろう。アーチには後方支援チームとして、実力を発揮してもらいたいんだ」
「……後方支援チーム……」
「日本の有名登山家で、八十もの齢にて世界最大の山のピークに立った人がいる。彼はアタックにあたってチームを作った。登攀役のリーダーとサポート、隊長に副隊長、通信気象担当者、ドクターもいる。彼はさまざまな助力と協力で、安全に無理なく目的に邁進した」
「……俺が、後方支援とやらに徹したら……あんたは安心して救助にかかれる……そういうことか」
「そうだ。後方を守り、安全な基地を維持しつづける存在があってこそ、アタッカーは頂上を目指せるし、危険に臆せず踏み込める。
アーチ、これは雇用にあたっての契約だ。おれが退避や避難を命じたら従ってくれ。おれが認めない限り、高所や難所に踏み込んではならない。君の生命と安全を守る命令に……背くことは許さない」
「……」
「これだけは守ってくれ。いいな」
いつになく矢巻智治の瞳は強い光を放っていた。
胸の高さまである雪を漕いで、現場へ一路向かう中、矢巻智治はいくつか質問をした。教師役を立候補した自負はあったので、アーチBDは知識の限り答える。
この世界で治安維持に対処する団体や機関――には、町の衛兵や王宮の兵士、とさっくり答える。
今回みたいな町や王宮から離れた場所で出来事への対処は? の問いへは、「俺は町育ちの町暮らしであまり詳しくないけど」と前置きし、兵団動かす手続きは煩雑で、衛兵が駆け付けるのも距離的に時間がかかるので、自助努力で解決しているのだろうと推測を語った。先のG鉱山も僻地にあり、混乱に鉱山スタッフが対処していたのがいい例だ。
「それなら個人で結成する救助隊に意義があるだろうか。救われる命があれば、おれは役に立てるだろうか……」
『人を助けたい』と領主に告げた矢巻智治の、道筋と方針が固められつつあるようだ。
自然災害についても質問が飛んだので、アーチBDは回答をする。
「……そうか、神官の祈祷や精霊との交流で、事前に予知したり、制御できるのは便利で合理的だな」
「でもG鉱山みたいに予期不可能なときもあるし、豪雨のあと裏山が土砂崩れを起こしたみたいな小規模なものは範囲外だし」
「……おれの住んでいた国は世界でも有数の災害大国と呼ばれていた。四つの季節がありそれに応じた生活への被害が頻発した。火山を全域に抱え、地震はいつどこで起こってもおかしくない。政府は役に立たず、個々の覚悟と身構えが要され、覚えた救急法や緊急対策、応用技術は決して無駄にならない環境だったよ」
(こいつの達観……一歳違いなのに、すごく大人びて見えるの……それって絶対ニホンの環境のせいだよな……)
少年の想像は、あながち間違っていない。
山の救助を視野におさめた矢巻智治の、山間地域に関する情報求心はもっともで、はりきってアーチBDは簡易図を描く。
楕円形をひとつ描き、上半分にMの字をかぶせて描く。
「このM字にあたる部分が、隣国との国境であり、国内最大級の山脈であり、国で最も高い山を有する山岳地帯でもあるんだ」
現在位置は、Mの字最初の縦棒の半ばほどのあたりだろうか。
山間部住人は割合的に多くはないが、Mの内側にあたる平地に暮らす人にとっては、左右にそびえる山を、ちょっとしたおつかいで越えることも日常的にあるのだろう。彼らのアクシデントを自助努力でどうにかしろと、突っぱねるのは冷たい気がする。Mの内側が占める国土の割合は決して少なくない。人口の割合も3、4割は行くだろう。
「今まで俺、あんまり意識してなかったけど、国内の山岳地帯、結構、規模がでかいみたいだな。山脈の最北点では吹雪が荒れ狂っているのに、最南端のふもとでは春の花が満開だとは聞いたことがあるけど」
「ちょうど日本列島くらいの緯度差があるのか、参考になった。いろいろ教えてもらってすまない」
(また……出てきたな。ニホンの名前が)
矢巻は日本と比較しながら、新しく生まれ変わったこの世界を知り、馴染もうとしてくれているのだろうか。
まだまだ教えたいこと、知りたいことはあったが、遭難現場に着いてしまい、アーチBDは喋るどころではなくなった。
押し黙り活動量の低下した口と反比例し、膝の方は活動過多で、思いっきりガクガクしている。主に高度と寒さが原因だ。
(……こう……リンゴに包丁を二か所入れて、一切れを取り去った……)
(そんな断面の崖を転落して……)
(しかも比率は、リンゴが山で、人間が虫けらサイズだぞ……)
(生きているはずないじゃん)
なのに矢巻智治は、リュックからロープを取り出し準備しはじめている。
「お、降りるのかよっ!? あんた、本気かっ、正気かっ!? ほぼ垂直で凍った崖をっ!」
動きを止め、矢巻は遭難者の名を崖下に向かって呼びかける。到着直後、二人でさんざん半刻を費やしやっていたことだ。
その時も、そして今も、真白き一帯は静寂が支配しつづけている。
「……転落からもう半日近くが過ぎている。たぶんもう彼は意識がない状態なのだろう。助ける方法は、降りて、捜索し、探し当てるしかない」
「こ、こういう小噺を知っているか?
『ある寒い夜、小便したくて起き上がった。戸が凍って外の便所に行けない。仕方なく放尿して氷を溶かし、ようやく外に出た。しかしもうやることがない!』ってな」
「…………」
「……そいつがもう死んでいたら、危険を冒して降りて行っても、やることは何もないんだぞ」
「遭難者の恋人の男性は、生還を信じている。それなら救うためにやってみることは悪いことではない。生還すれば幸運だし、もし亡くなっていたとしても、失うものはなにもない」
(……え)
アーチBDが呆気にとられるそばから、矢巻は降下を再開しようとする。
「ま、待て、待てってば! とにかく居場所だけでも把握しよう。見当をつけよう!」
服を引っ張り、せっかちな救助員を留める。少し前からガスが出始めて、一面の銀世界はますます視界が悪くなっていた。
アーチ少年は口の中で短く呪文を唱える。掌から発光する赤い光を、念じて広げ、崖下に向け、届く距離を伸ばしていく。
となりで見つめる矢巻智治の顔に、驚嘆が浮かび上がった。
「それは……魔法か」
「うん、基本中の基本。学園の共通学科で習うから、武系でも文系でも習得している初級魔法だよ」
「色を……変化させたりはできるか?」
「基本十二色ならお好みで」
「白に変化させて、崖下をくまなく照らしてみてくれないか」
「……はぁ? 白っ!?」
いくら何でもそれはない。ホワイトアウトが上下左右にせまる中、白い光で照らせだって。
「頼む」
真剣な口調と眼差し。
逆らえるはずもなく、光を白に変化させる。
成果を疑問視する時間は、三十秒もつづかなかった。
崖底から応えるよう発される白く弱弱しい光に、アーチBDと矢巻智治は息をのむ。
白く濃いガスが満ちる中、人影は無論、地形も距離感もつかめない。それでも靄を突っ切る白い光の位置だけは把握できた。
アーチが合図を送るように明滅させると、向こうも最後の力を振り絞った感じにチカチカを返してくる。
「!」
思わず横向き、黒髪のパートナーを確かめる。
矢巻智治はもうエイト環にロープを通し終え、懸垂下降を開始するところだった。




