一部6
6
上機嫌に水を差されはしたが、アーチBDは追撃の手をゆるめたりしなかった。
必要経費は少々高くついた。手にぴったりフィットする薄い絹の白手袋、金髪のヘアピース。お財布には痛かったが、経理担当のカツラギに請求するわけにもいかない。
変装した行き先は、病院だ。エフタの恋人が入院しているそこに、初回はノーメイクで訪れたのだが、面会にこぎつけることすら出来なかった。
病院スタッフにも、見舞客にも、患者にも「毒で魂を刈り取りに来た死神」扱いを受けた。悪目立ちすることは、秘密裏行動の手前、避けたい。
変装した今回、問題は起こらなかった。それどころか受付の男性スタッフが愛想良く「説明だけで分かる? 病室まで案内しようか?」などと馴れ馴れしくしてくる。
エフタの恋人も、ベッドから身を起こし「君、どこかで会ったかな? エフタの友人?」と上機嫌に椅子を勧めてきた。
「エフタくんと俺は、友人とまではいかないけど、職場を同じくしています」
「ん? 教会関係者なのか」
「いえ……山小屋の方面で」
恋人の青年が表情をゆがめる。鍛えられた身体がこわばる。確か彼の職業は、教会付きの聖騎士だった。
「明るくてきれいでよくできた少年のエフタくんは、俺だけでなく誰だって友だちになりたい、近づきたいと思うのが当然な存在です。俺も最初は憧れていました。でも……」
「でも……何だ?」
「奔放で自由すぎるところが、彼の魅力を半減させている気がします」
不正を許さぬ正義の騎士の、顔色が曇る。
「雪山で遭難した恋人を救うため、手指を凍らせ足を負傷した同僚の騎士は、俺たちのあいだでもはや伝説です。そんな人に想われるエフタが羨ましいくらいです。でも当のエフタは、俺たちの憧れを裏切る」
「…………っっ」
「鍵が失せて開かない宝石箱があります。鍵開け職人を呼んで開けてもらいました。その一方で、大仕事の末に失くした鍵を見つけてきてくれた騎士がいます。
前者に鞍替えしてちやほやし、後者をないがしろにするのは……俺の目には、あまりにも恩知らずに映ります」
「……エフタ……は……」
「治療中に押しかけてすみませんでした。早くあなたが回復することを祈ります。エフタの魅力は、常にそばで制御する人が居てこそ、輝くのだろうと俺は思います」
適当に花屋で見繕った花束を置いて、アーチBDは病室を後にした。
四つ目の花瓶を借り出し、アーチBDは見舞いの花を飾った。花瓶は四つとも、自分が持ってきた花である。自分が四回訪問するあいだ、一度も顔を見せないエフタはもちろん、他の人も訪れる頻度が減っているのだろうか。
「………だ…れ、なんだ。山小屋で、エフタと共に仕事をしているの……は……」
「え」
恋人の青年が自発的に口を利くのは初めてだった。ずっとアーチの与える情報を吸収するだけだったのに。
「山小屋でエフタと一緒に、仕事をしている人?」
青年はうなずく。
「えっと、まずは俺ですけど」
「……それはいい」
「事務や経理担当のカツラギっていう、かなりメタボ入った男の人がいて……マタギのミノブっていう青年も山小屋に顔を出します」
「…………」
「あとは、あなたも知っている異世界からの稀客。ヤマキトモハル」
「……………」
「以上です、けど……」
何故だろうか、沈黙が重くのしかかる。
「あの、俺。早くあなたに良くなって欲しいです。エフタくんも……その、大事な人が傍にいてくれれば、落ち着くと思うので……」
「……………………ああ」
やっと返事が返ってきた。
病室を出てもどこか視線が付きまとった感じがする。アーチBDはきょろきょろ見渡した。待合室の人の群れのなか、飛びぬけて高い等身がある。あか抜けない、いかにも山男っぽい服装が悪目立ちしている。
(……ん?)
ばっちり目が合った。
(コウモリ野郎の山オタク……ミノブじゃねーか)
視線の主は彼だったのか。顎に手を当て、マタギの青年は知り合いにあったような……しかしどこか違うようなと言いたげに首をかしげている。
ダッシュで病院を飛び出した。自分が変装していることを思い出したのは、だいぶん後のことだ。
建物の外でもまだどこか、視線が付きまとってくるようだった。
事件が起きたのは、お披露目会の当日だった。
日本では登山の基本とされるアイゼン、ピッケルといった装備も、この世界には原型的なものしか存在しない。先に用いた例のあるエイト環にしても、原始的な曲形金具に過ぎず、せめてワンタッチで着脱が可能になるよう、矢巻智治はアイディアや考案を惜しまなかった。
手斧がピッケルに進化し、クランボンが四つ爪アイゼンの始祖となったように、この世界でも工匠、職人らの手を借り、着々と登山道具の底上げが行われた。
今日はその新作道具を、矢巻がデモンストレーションしてみせるのだ。
山小屋から少し離れたほどよい斜面に、招いた職人ら、講座の常連達、興味本位の近所の住人らが集っている。常連客の中には矢巻ファンクラブも混ざっているらしい。心肺蘇生講座以外にも、何度か開いた過去の講座、その最前席で、矢巻に熱い視線を送る少年の小団体があるのは、気づいてはいたが。
(……しかし今日は、毒を撒いている暇はねーな)
エフタは来客にお茶と笑顔を振りまいている。カツラギは商売人の顔をして工房と価格交渉を行う。ミノブのとびぬけた上背はどこかで見かけたが、構っている余裕はない。
湯を切らさず沸かしつづけ、訪れた客には名簿とアンケートに記入してもらう裏方仕事に忙殺する少年は、突如、背筋に冷水を浴びせられた感覚に襲われた。
「……っ?」
小屋の裏手を通り抜けていった人影に、なぜ自分の心臓は不安そうに跳ねるのだろう。
記名は面倒だし、ただ遠くから見物したいだけという客ももちろんいる。
(もしくは俺が毒屋だから、名簿記入をスルーしようと考えたのかもな)
(………………いや、違う)
忙しさが予想できた今日、毒屋の臭いは消している。三角巾で前髪をカバーし、目立たない色の手袋で完全防備だ。
嫌な予感がする。火を止め、人影が消えた茂みに踏み出す。
タイムロスはあったが、人影を見失うことはなかった。人影――男の速度は非常にゆっくりしていた。右足を庇っている風だ。
(俺……あの男に……見覚えがある……)
男が歩みを止める。アーチも気配を殺して木の幹に張り付き、顔をのぞかせた。正体を見極めたアーチ少年に震えがこみ上げる。
(……っ! エフタの恋人じゃないかっ!?)
なぜ入院中の男がこんな所に。病院を脱走し、懐に右手を忍ばせ、食い入るような瞳で何を見ているというのか。
(!!)
男の視線の先、そこには矢巻智治の姿があった。斜面を前にアイゼンの説明をしている。少年の目線は聴衆にあり、注意は繊細な調整のいる取りつけ金具に注がれ、他はまるきりの無防備だった。
茂みの中の男が右手を懐から抜く。ギラリと剣呑な刃物の光が、アーチの目を射抜く。男は両手に持ち直した刃物を構え……怪我した足など目的完遂の為なら潰れてもいいとばかりに、ダッシュの踏板代わりに酷使する。
「……ぁ、ああ……ああっ」
声が震え、喉が震え、全身がわななく。
「とっ、トモハル……っ! 危ないぃいいいいぃぃっ!」
……暗い。自分がどこに居るかも分からない、闇の中のようだ。
「…………い、おい、アーチ!」
自分の名前が呼ばれて、脳がガンガン揺さぶられる。つらい。しんどい。揺れるたび赤い光がちらちらして、何かを警告する灯りのようにも見える。
「…………しろ! 呼吸するんだ、お前さん!」
今度は物理的に身体が揺さぶられた。肩の骨が砕けてしまいそうなほど、強い圧力が加えられている。
痛い……? あまり痛みは感じない。それより強い感覚が自分を支配している。喉の奥が焼け付くような……胸のあたりに弾けそうな風船が埋め込まれて暴れているような……。
「……息をするんだよっ、お前さん! 顔も爪も、あんたは紙のように真っ白だっ!」
「………………ふ、……っ」
ひゅーっと音を立てて、細い気管を新鮮な空気が伝い降りていく。……酸素だ、酸素! 飢えた魚の群れのように暴れだす肺の欲求に、アーチ少年は必死に応えた。鼻の中がひりつくほど懸命に吸い込み、喉を鳴らし、肩で息をする。
自分の背中を撫でる手があるのにやっと気づいた。ミノブだ。ずっと呼びかけていたのも、この山オタクなのだろう。
やっと落ち着いてきた。
(……えっと、俺は……どうして……何があって……)
(大声で叫んで、息を吐き出したあと……それからずっと息を吸ってなかったのか……)
(叫んだ理由は何だったっけ……?)
(…………)
記憶がよみがえり、血の気が引く。
「と、トモハルはっ!? トモハルは無事なのかっ!?」
マタギの青年は、斜面前に立つ黒髪の少年を、黙って指し示した。
矢巻智治の命を救った要因は二つだった。
ひとつは言わずもがな、全身全霊を尽くしたアーチの注意喚起。
もうひとつは彼がまさに説明しようとしていた、アイゼンの存在だ。
世界で初めてマッケンローを踏破した、エドワード・ウィンパーの考案による、険しい岩場も雪面も氷上にも足場を確保する金属で精錬された四つ爪は、突進する刃物を受け止め、生命を守る役目をも果たしたのだ……。
アーチBDは、矢巻智治から篤くお礼を言われた。命の恩人だと感謝された。
「……だけど、アーチ。どうか無茶はしないでくれ。おれなんかの為に、君が命を危険にさらすような真似は避けて欲しい」
過呼吸で死にかけたことを知ると、矢巻は顔色を曇らせ、案じる言葉と拒絶の命令を発する。
「それに、やはり彼の凶刃はおれが受け止めるべきなんだ。邪魔したとみなされ、アーチに被害が及ぶことは決してあってはならないんだ」
矢巻智治が静かに見つめる先は、捕縛されたエフタの恋人の姿がある。「こいつだ、異世界から来やがったこいつがっ! 俺のエフタをっ!」と狂ったように喚き散らす男。
居合わせた聴衆が、わめく男を白眼視する中、矢巻だけが同情の視線を遣るのである。
「おれが……戻るよう、辞めるよう、エフタに強く言わなかったから……。おれの……所為だ……。すまない……」
白くなるまで手を握り、苦渋が滲み出んばかりの矢巻の横顔。
過呼吸のあの時よりも、アーチBDの胸は苦しくなった。
連行されて下山する恋人に同伴したきり、エフタ少年は山小屋に姿を見せなくなった。
迷惑をかけた謝罪の手紙が、後日、届いたきりだ。
この世界のシステムをほとんど知らない少年の、橋渡し役だとカツラギは自認したようだ。
「元の世界ではどうか分かりませんが、ここには提訴や裁判といった司法が存在しますよ、ヤマキ。殺傷未遂で訴えること、慰謝料を求めること、第三者の手を借りて動機を解明することもできます」
「……」
カツラギの提案にも、矢巻智治はうなだれ黙りこくっている。
「せめて動機を知るだけでも……ヤマキの抱えた罪の意識の解放に……繋がらないですかね?」
「いや……解放など、望んでいない。望む権利など……おれにはない。
おれが抱えるべき義務なんだ。
エフタの救助で、おれは彼のメンツを潰した。何としてもエフタを彼のもとに戻すべきだったのに、便利に利用し、出入りを許してしまった。彼の心をこれっぽっちも顧みなかった、刺されて当然の罪だ。
非があるのはおれだ。どうかエフタの恋人については、もう咎めないでくれ」
すべてを抱えてしまった矢巻。後味悪く閉じた事件の幕。
(カツラギだけじゃなくて、俺も……思っていた。ヤマキが事件の解明を求めること)
(理由が別れば、ヤマキの重荷も、少しは解消されるから……)
(でも、それだけじゃない)
(真相を明らかにして……俺の罪も引きずり出して欲しかった……)
(……暗躍の罪を糾弾され、醜い嫉妬を後ろ指されて……)
(他ならぬヤマキ自身に罵られたって……構わない。ううん、いっそ罵られたかった……)
(ヤマキにあんな顔をさせるくらいなら……)
猛毒の申し子アーチBDは、己の罪を自覚した。
それでもまだ、1/5を自覚したに過ぎない。




