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3回目 12歳 悪役令嬢の扇ことば講座 後篇

 いつの間にか煌びやかな装飾で彩られた壁に、エリオリスが腕を組んで寄りかかっていた。

 気がつかなかった!

 いつから? そしてどの場面からいたんだ?!


「あれだけ熱烈に求められて愛がないとは。俺の婚約者は随分とふしだらな女なのだな」


 うっわ。めっちゃ聞かれてた!


「で、殿下……何用で……?」


 今までエリオリスがエントランスに来て、婚約者である私を見送ることなんてなかったので、少し驚く。

 何かあったかな?

 私の疑問が顔に出ていたのか、殿下は不機嫌な顔を隠しもせず、ため息をついた。


「ああ、先ほどの返答をしていなかったと思ってな」

「返答?」

「扇のな」


 言いながら近づいてくる。

 ユスティナの背後にさりげなく移動し盾にしたら、邪魔と言わんばかりに小さな妹は両手で持ち上げられて、退かされた。

 さらに詰められる距離。

 嫌な予感しかしない。

 私は詰められた距離分だけ後退した。

 しかし、それもまたエリオリスに一歩詰められる。


「なぜ逃げる?」


 一歩前進され、一歩後退する。

 野ばらの間にいた時にはなかった余裕が、その笑みに載せられていた。


「い、いえ、敬愛する殿下に近づくなんて恐れ多くて」

「敬愛? つれないな」


 ダンッ! とエリオリスの手が廊下の壁に付いたと同時に私の背中も壁に付く。

 フッと勝利を確信した笑み。

 って誰これ? さっきまで挙動不審だった王太子はどこ行った!

 私は腕で塞がれた右とは逆の隙間から逃げようと体を横に移動しようとした。が、逃すまいと今度は足で塞がれる。

 退路を完全に断たれた。

 あ、あれ? この状況って、え?

 い、いわゆる壁ドン?

 私、エリオリスに壁ドンされてるの?!


「お前は俺の婚約者、だろ」


 艶っぽい微笑。

 や、だから! これ誰よ!

 ちょっと前までのヘタレ王子よカムバックっ!


 左頬に手を添えられる。

 12歳の私とエリオリスの身長は同じくらいなので、ヒールの高い靴を履いている私の方が、並ぶと少しだけ高い。

 その差を縮めるように添えられた手が私を俯かせ、瞳を覗き込まれる。


「求めても、応えてもらえない婚約者とはあまりに不憫だと考え直してな」


 エリオリスの冷たい手が頬をなで、口角が上がった。


 ひいぃぃぃっ!

 こんなエリオリス知らないぃーー!!

 考え直さなくて結構ですっ!

 と、そこで、野ばらの間にいたもう一人の人物を思い出した。

 先ほどからのエリオリスの笑みは、普段の彼の微妙な苦笑よりも、ウィルフの胡散臭い笑みに似ているような……。


「殿下……何かウィルフ様に吹き込まれました?」

「さ、さあな」


 わずかばかり目を逸らされた。

 やはり、何か言われているのか。


「それより、二人でいるときに他の男の名前なんて聞きたくないな」

「殿下。無理はなさらないでください。超棒読みです」


 そんな歯の浮くようなセリフこそウィルフの入れ知恵だ。

 それに二人きりじゃないし。ユスティナちゃんがいるし。って、ユスティナに助けを求めればいいのか。

 私はエリオリスから視線を逸らしユスティナを探した。

 ユスティナはエリオリスに退かされた所から一歩も動かず、ぽかんとこちらを見ていた。

 ダメだ、放心している!

 使えそうにない!

 やはり自分で何とかしないとならないらしい。


 私は頬に触れているエリオリスの手首を掴んで外そうとした。


「まぁ、遠慮するな」

「遠慮なんかしていませんわ」


 持てる力のすべてを出しても、エリオリスの手はびくともしない。

 もう意地になっている。

 力技では無理とわかり、今度は扇子を使うことにした。

 扇子で起こった出来事は扇子で解決! 

 持っていた扇子で両目を横になぞる。


 “ごめんなさい”


「今更だな」


 ぬ。何だと。ならばこれでどうだ。

 扇子を開き、持ち手の部分を両手の親指で持ち、扇の下で手を組み合わせ祈るようなポーズをとった。


 “お願い、許して”


 つぶらな瞳をうるうるさせることも忘れない。


「そ、そんなことしても無駄だ」


 徐々にエリオリスの顔が近づいてくる。

 顔を逸らせようとするが、頬を掴んだ手がそれを許してくれない。

 こいつ本気かっ!

 いつもは意識していない、攻略対象者に恥じない正統派美少年の顔が直視できない距離まで来て、思わず私は身を固くして、口と目をギュッと閉じた。


 扇子を握りしめ、緊張で身体中が強張る。

 は、早く! 来るなら早くしてっ!

 しかし、来るであろう衝撃はいつまでたっても来なかった。

 代わりに、うひゃひゃとエリオリス特有の笑い声が聞こえてきた。

 恐る恐る目を開けると、正統派美少年が涙を浮かべながら爆笑していた。


「……えっ」


 な、なんだぁ、やっぱり振りだけか。

 緊張の糸がほどけ、安堵で私も口元が緩んだ。

 扇子を握りしめていた手の力も緩める。

 と、そこを狙ったかのようにエリオリスの手が動いた。

 私の手首が掴まれ引き寄せられる。

 反動で緋色の扇子がひらりと廊下の床へと舞い落ちた。

 体が前のめりになり、エリオリスの懐に飛び込む。

 胸からぶつかりそうになって、慌てて豪奢な刺繍のコートに手をついて離れようとするが、同じ背丈の少年の体はびくともしない。

 そのままエリオリスの腕が私の背に回され、肩を抱き込まれた。

 私の耳元で金髪が揺れ、次いでエリオリスの息が掛かる。 


「俺が本当にキスすると思ったか、愚か者め」


 あまり低くない少年の、でもどこか艶のある声で意地悪くささやかれる。

 吐息が耳にくすぐったくて、身震いする。

 一瞬息が止まり、心臓が早鐘のように鳴った。

お互いの呼吸音が聞こえる。

彼が触れた場所から心音と熱くなった体温を知られそうで身がすくんだ。


エリオリスの急襲は始まりと同じく終わるのも突然だった。

 王太子様はささやいた後すぐに私を離した。

そして、バクバクと鳴り続ける心臓を静めるのに必死な私の顔をじっくりと観察した後、彼らしい晴れやかな顔でうなずき、心から楽しそうに笑いながら王城の奥への戻っていった。

 後には床に落ちた鮮やかな緋色の扇子と、今日散々、花や星に例えられ賞賛されていたグランベルノ公爵令嬢姉妹が二人そろって間抜け面で取り残された。

 顔が熱い。


 どのくらいそうしていただろう。

 先に立ち直ったのはユスティナだった。

 「お姉さま……」とドレスの裾を引かれ、私も我に返る。


「ユ、ユスティナ……帰りましょうか……」

「ええ、はい……」

「……だめね……例え扇言葉とはいえ、人をからかえば自分に返ってくるものなのね」

「はい……そうですわね、お姉さま」


 この日、グランベルノ姉妹は、一つ学んだ。

 そして私は当分の間、扇言葉を使わないことを心に誓った。

 唇に扇子の持ち手部分を触れさせる扇言葉は特にっ!


 唇に扇子の持ち手部分を触れる、その意味は……


 “私にキスしなさい!”

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