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寮の廊下を歩く。
足音だけが、やけに響く。
さっきまで誰かと話していたはずなのに、もう何も残っていない。
(……)
「……私を見てよ」
頭に残る。
消えない。
(……なんなの)
小さく息を吐く。
少しだけ、眉を寄せる。
(……言い過ぎたかも)
思い出す。
あの時の、自分の声。
強かった。
責めるみたいに。
(……いや)
すぐに否定する。
(逃げてたのはあっちだし)
そう思う。
でも
(……)
少しだけ、引っかかる。
(……何言ってんだ、私)
自分でも、うまく整理できていない。
歩く。
止まると、余計に考えてしまいそうだった。
⸻
教室の扉を開ける。
中は静かだった。
放課後。
数人だけ残っているが、話し声は小さい。
窓際には、夕方の光が差し込んでいた。
「……あら」
不意に声がかかる。
前を見る。
女性教師が一人、教壇の近くに立っていた。
「ティアちゃん」
柔らかい声。
でも、目はしっかり見ている。
「そんな暗い顔して、どうしたの?」
(……)
少しだけ、言葉に詰まる。
この人は——
編入試験のときの試験官だ。
淡々としているのに、やけに印象に残る人。
評価も、言葉も、無駄がなかった。
「……別に」
短く返す。
「そう?」
一歩、近づいてくる。
「“別に”で済ませる顔じゃないわね」
逃がす気はないらしい。
(……)
少しだけ、視線を逸らす。
「……一つ、聞いていいですか」
「いいわよ」
即答だった。
「人が……距離を取る理由って」
言葉を選ぶ。
「どういう時ですか」
教室は静かだ。
遠くで椅子が動く音が、小さく響く。
教師は少しだけ考えるように視線をずらした。
「そうね」
短く息をつく。
「“避けている”のと、“離れている”のは違うわ」
(……)
ティアは黙る。
「避けるのは、相手そのものを拒絶する行動」
「離れるのは、状況を避ける行動」
淡々としている。
でも、はっきりしている。
「……違い、ありますか」
「あるわよ」
少しだけ首を傾ける。
「前者は、相手を見ない」
一拍。
「後者は、相手以外を見てる」
(……)
胸の奥が、少しだけ引っかかる。
(……周りばっか見てる)
思い出す。
(……私を見てない)
(……でも)
完全には重ならない。
「あなたが見てるのは、どっち?」
静かに問われる。
「……」
答えられない。
「評価される場所ではね」
教師が続ける。
「人は“他人の視線”を過剰に意識することがあるの」
「特に、見られる側は」
「……見られる側」
「ええ」
あっさりと頷く。
「見られている前提で動く人ほど、そこから外れるのを嫌うわ」
(……)
レインの顔が浮かぶ。
視線を逸らす。
距離を取る。
(……)
「……それって」
言いかけて、止まる。
うまく言葉にならない。
教師はそれ以上促さない。
「結論は出た?」
「……」
少しだけ俯く。
「……まだです」
「そう」
それだけ言う。
無理にまとめさせない。
「一つだけ」
教師が軽く指を立てる。
「見たいものを見るのは自由よ」
「でも」
少しだけ目が細くなる。
「見てないものを、決めつけるのは感心しないわね」
(……)
言葉が残る。
「……ありがとうございます」
小さく言う。
教師は軽く手を振った。
「悩めるのはいいことよ」
「ちゃんと考えてる証拠だから」
そのまま、教室を出ていく。
⸻
静かになる。
夕方の光が、少しだけ色を変えていた。
(……)
「周りばっか見てる」
「……私を見てよ」
(……)
完全には分からない。
でも
(……少しだけ)
さっきよりも、
違う見え方が残っていた。




