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英雄コース、2組の教室は、朝からざわついていた。
「……エルフだ」
「本物かよ」
「綺麗すぎるだろ……」
視線が一点に集まる。
教室の前。
そこに立っているのは、銀髪の少女――ティアだった。
透き通るような肌。揺れる長い髪。
ただそこにいるだけで、空気が変わる。
「なんか近寄りづらくね?」
「いや、でも見たいだろ」
ひそひそとした声が広がる。
けれど――
「……騒がしいわね」
小さく呟くだけ。
視線も、空気も、気にしていない。
ただ前を見ている。
その態度が、周囲との距離をはっきりと分けていた。
⸻
「……静かにしろ」
低い声が教室に落ちる。
一瞬でざわめきが止まった。
教官が一歩前に出る。
「編入生だ」
短く、それだけ言った。
再び、視線が集まる。
ティアは何も言わない。
ただ、静かにそこにいる。
⸻
教室の空気は、完全には落ち着いていなかった。
静かではある。
けれど――
視線が、刺さるように集まっている。
前から。
横から。
後ろから。
隠す気もない視線。
値踏みするような目。
興味、警戒、嫉妬、好奇。
全部が混ざっている。
⸻
(……)
ティアは、それを気にしない。
ただ、視線を動かす。
一人一人を見る。
(……思ったより、大したことないわね)
表情、姿勢、重心。
ほんのわずかな癖。
(動きも粗いし、隙も多い)
一瞬で見抜く。
(これが、英雄コース)
わずかに、期待が外れる。
⸻
ふと、思う。
(……レインは?)
自然に浮かぶ名前。
当然いるものだと思っていた。
同じ場所に来るものだと、疑いもしなかった。
視線を巡らせる。
けれど――
(……いない)
見知らぬ顔ばかり。
ほんのわずかに、眉が寄る。
⸻
「ねぇ」
近くにいた生徒に、声をかける。
「レインって人、知らない?」
「レイン?」
一瞬の間。
次の瞬間――
「あー!剣聖のレイン・グランハルト様ね!!」
迷いなく、そう返ってきた。
「剣術大会で優勝した姿、やばかったよな!」
「神々しかったわ……」
熱のこもった声。
憧れと興奮が混ざっている。
疑いすらない。
けれど――
「違う」
ティアが、短く遮る。
「ただのレイン」
その一言で、空気が止まる。
「……あー」
少し遅れて、理解が回る。
「もしかして、あの模擬戦の?」
「卑怯な手使って勝ったやつか」
「あいつ、雑兵コースだぞ」
さっきまでの熱は消え、
軽い、どうでもいい話のような声に変わる。
「まぁ、あんな戦い方じゃな」
小さな笑いが混ざる。
⸻
(……違う)
ティアの中で、はっきりと否定が浮かぶ。
(レインは卑怯なんかじゃない)
ちゃんと見ていた。
レインが勝つために選んだ手を。
(……それに)
引っかかる。
(雑兵コース?)
言葉の意味が、うまく繋がらない。
(どうして?)
(同じじゃないの?)
ほんのわずかに、思考が止まる。
(……なんで、言わなかったの?)
理解できない違和感だけが、残る。
⸻
――その頃。
(はぁ……)
レインは、廊下を歩いていた。
足取りは重い。
(なんで補習なんだよ……)
内心でぼやく。
(半分はやっただろ)
(めんどくさい)
小さく息を吐く。
(早く帰ってご飯食べたい)
それが今の一番の本音だった。
補習室へ向かうだけ。
それだけなのに、妙に遠く感じる。
⸻
曲がり角を抜けた、その時。
(……あ)
視界の端に、見覚えのある銀色が映る。
(ティア)
一瞬、足が止まりかける。
(……)
ほんのわずかな間。
(……今会うのは気まずい)
理由ははっきりしない。
ただ、なんとなくそう思った。
(……今はいいや)
軽く目を逸らす。
少しだけ姿勢を低くして、
気配を消すように、静かに進路を変える。
(後でいいだろ)
そのまま歩く。
距離が、自然に離れていく。
⸻
(……気づかれてないよな)
一瞬だけ、そんなことを思う。
すぐに意識を切り替える。
(補習、だる……)
頭の中は、それでいっぱいだった。
⸻
「……」
ティアは、廊下に立っていた。
ほんのわずかに、視線を動かす。
(今の……)
気のせい。
そう思おうとして――
うまく、納得できない。
胸の奥に、引っかかりが残る。
(……レイン?)
確信はない。
でも。
小さく、息を吐く。
「……なんで」
ぽつりと、零れる。
「……いないの?」
その答えは、まだどこにもなかった。




