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「あの少年は……本当にあのレインか?」
ローガン・ヴァレンティアは、誰もいない室内で静かに呟いた。
脳裏に浮かぶのは、入学式の日の光景。
レインという少年は、元より愚かではなかった。
むしろ、理解は早く、物事の本質を見る目もあった。
――だが。
「認めたくなかった、か」
小さく呟く。
我が娘、セシリア。
あれは、少々出来が良すぎる。
剣も、魔法も、才に恵まれている。
努力すら当然のように積み上げる。
「……親としては誇らしいがな」
わずかに口元を緩める。
「同時に、周囲の者には酷な話でもある」
その隣に立つ者が、何を思うか。
「自分が凡人であると……認めたくはなかったのだろう」
ローガンは目を細める。
入学式の日。
あの時、レインは――理解した。
自分には、突出した才がないことを。
あの場にいた他の者たちと比べ、
自分が“特別ではない”という現実を。
「……あの目は、覚えている」
現実を突きつけられた者の目。
逃げるか、受け入れるか。
あるいは――
「開き直るか」
ぽつりと呟く。
そして、今日のレインを思い出す。
「……なるほどな」
わずかに口元が歪む。
折れてはいない。
受け入れてもいない。
「……反発しているな」
静かに言う。
現実を認めたわけではない。
納得したわけでもない。
だが――
「それでも、使うか」
皮肉のように続ける。
自分が凡人であるという事実すら、
拒絶しながら、手段として扱っている。
「厄介だな」
小さく笑う。
「……だが、嫌いではない」
椅子に深く腰掛ける。
「元からあったものが、表に出ただけだ」
賢さ。
状況判断。
そして、打算。
それらは元々あった。
ただ、使う理由がなかっただけだ。
「現実に叩き落とされて、使い始めた……か」
その表情に、わずかな興味が浮かぶ。
「面白い」
落ちるかと思っていた少年が、
全く別の形で前に進み始めた。
それも――歪んだ方向へ。
「……我が娘ながら、目は良い」
ぽつりと呟く。
セシリアが違和感を覚えたのは当然だ。
「あれは、“変わった”のではない」
一拍置く。
「“進み方を変えた”だけだ」
視線を扉へ向ける。
「さて……」
小さく息を吐く。
「どこまで行く」
その声には、わずかな期待が混じっていた。
扉の向こうで、足音が遠ざかっていく。
――廊下。
⸻
廊下に出ても、胸の奥のざわつきは消えなかった。
「……」
足取りは乱れない。
姿勢も、呼吸も、いつも通り。
それでも――内側だけが、静かに揺れている。
――レイン。
久しぶりに見たその姿は、どこか違っていた。
言葉の選び方。
視線の外し方。
距離の取り方。
どれもが、わずかに――遠い。
「……気のせい、ではないわね」
小さく、確認するように呟く。
以前の彼は、もっと分かりやすかった。
もう少し、素直で――
「……」
言葉が途切れる。
思考が、さっきの光景へと戻る。
ティアの隣に立つレイン。
自然に言葉を交わし、
迷いもなく、そこにいる。
「……随分と、親しげだったわね」
淡々とした声音。
けれど、その奥にわずかな棘が混じる。
「……別に、構わないけれど」
すぐに付け足す。
当然だ。
彼が誰と話そうと、関係はない。
そうあるべきだ。
「……」
それでも。
胸の奥に残る違和感が、消えない。
――それに。
さっきのレインは、自分に対して明らかに距離を取っていた。
視線を逸らし、言葉も短く。
まるで――
「……避けられているみたいじゃない」
ぽつりと零れる。
その瞬間、自分でわずかに眉を寄せる。
「……何を言っているの、私は」
小さく首を振る。
そんなはずはない。
理由がない。
冷静に考えれば、すぐに分かることだ。
だが――
「……あのエルフ」
言葉が、先に出る。
ティア。
あの場に現れてから、空気が変わった。
レインの隣に立ち、
当然のように会話をする。
「……」
わずかに、視線が下がる。
整理されない感情が、胸の奥に引っかかる。
「……関係ないわ」
きっぱりと言い切る。
そう、関係ない。
自分には、関係のない話だ。
「……」
それでも、足はほんの少しだけ止まる。
ほんの一瞬だけ。
「……どうして、あんな……」
小さく、抑えた声。
その言葉に、自分でわずかに目を細める。
――誰に向けたものなのか。
分からないまま。
セシリアは、何事もなかったかのように歩き出した。




