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村を出て、しばらく。
背後の気配は、もうほとんどない。
静かな森の中、足音だけがやけに響く。
(……どうすんだよ、これ)
ふと、立ち止まりそうになる。
(領主って、セシリアの親父やん)
頭の中で、その顔が浮かぶ。
(僕、親いないから学費出してもらってるの、忘れてた……)
少しだけ、胃が重くなる。
(恩人なんだよなー)
(その相手にさ)
(「身代金欲しいんでゴートン解放してください」とか――)
(言えるわけないだろ……)
小さく息を吐く。
(でも金は欲しい)
(いや、普通に必要なんだよ)
(あれないと、この先きついし……)
手を軽く握る。
(……詰んでね?)
答えは出ない。
出るわけもない。
「……はぁ」
思わず声が漏れた。
「レイン?」
隣から声。
「どうしたの?レイン」
顔を上げる。
ティアが、こっちを見ていた。
「……いや、なんでもない」
(言わない方がいいよな)
視線を逸らす。
しばらく、沈黙。
やがて木々が途切れ、視界が開けた。
街道だ。
遠くに、人影が見える。
荷車を引く商人。
旅人らしき集団。
人の世界。
(……来たな)
一歩、踏み出す。
そして、横を見る。
(……こいつ)
「なぁ、ティア」
「なに?レイン」
「ここから先、人間が増える」
「そうね」
「だから――顔、隠した方がいい」
一瞬の間。
そして、
「なんで私がそんな事しなきゃいけないのよ」
「いや、普通にバレるから」
「私は誇り高きエルフよ」
胸を張る。
「そんな格好、する必要はないわ」
(出たよ……)
「いや、そういう問題じゃなくてだな」
「問題よ」
きっぱり。
「隠れるなんて、弱い者のすることだもの」
(いや、捕まる側の理屈なんだよそれは)
「いいから、やりなさいって」
フードを取り出す。
「やらない」
「やるの」
「やらない」
「やるの!!」
腕を掴んで引き寄せる。
そのままフードを被せようとして――
足元の石に引っかかった。
「No!!」
「きゃっ」
そのまま体勢を崩し、
押し倒すように倒れ込む。
距離が、一気に近づいた。
(近っ)
「……ちょっと」
低い声。
「いつまで乗ってるの?」
「いや、今どきます!!すみません!!」
慌てて離れる。
(なんか敬語になってしまったー)
ティアはゆっくりと起き上がり、服の土を払う。
「……はぁ」
「人間って、本当に面倒ね」
「誰のせいだと思ってるんだよ……」
「あなたよ」
(理不尽すぎるだろ)
少しの沈黙。
ティアはちらっとフードを見る。
「……それ、貸しなさい」
「え?」
「被ればいいんでしょ」
少しだけ不機嫌そうに。
(お、折れただと?!あのティアが!!)
「最初からそうしろよ……」
「うるさい」
フードを被る。
長い耳が隠れ、ぱっと見は普通の人間に見えた。
(……これならいける)
ほっと息をつく。
そのまま、二人で歩き出す。
街道。
人の声。
車輪の音。
日常の空気。
(……完全に人間の世界だな)
少しだけ、足が重くなる。
でも、止まらない。
「レイン」
「ん?」
「ここが人間の世界なのね」
「まぁね」
「思ったより、普通ね」
「そんなもんだよ」
短いやり取り。
それだけなのに、少しだけ気が楽になる。
(……)
ちらっと横を見る。
フードを被ったティア。
少しだけ不満そうな顔。
(まぁ、なんとかなるか)
根拠はない。
でも、
「なに?レイン」
「……いや、なんでもない」
そう返せるくらいには、
少しだけ、余裕が戻っていた。
その先に、街が見える。
まだ何も解決していない。
それでも――
足は、止まらなかった。




