109
馬車に乗り込んだ僕は、すぐにドアを閉めた。
バタン、と音が響く。
とても一人になりたかった。
本当に。
ものすごく。
(恥ずか死ぬ)
僕は席に腰を下ろし、頭を抱えた。
そしてそのまま、自分の汚れた靴を見つめ続ける。
思い出すな。
思い出すな。
漆黒のレイン。
深淵の継承者。
神よ。
お美しい。
レイン様ァァァ。
(やめろ〜ー)
思い出しただけで死にそうだった。
すると。
バン!!
勢いよくドアが開いた。
僕の肩が跳ねる。
(あー、おわった)
絶対によくないことが起きる。
そう確信しながら顔を上げる。
そこには鋭い視線で僕を見下ろす銀髪のエルフが立っていた。
予想通りだった。
ティアは何も言わない。
そのまま馬車へ乗り込み、僕の隣へ座る。
沈黙。
重い。
とても重い。
逃げたい。
今すぐ窓から飛び降りたい。
だがそんな勇気はない。
しばらく沈黙が続いた。
僕は横目でティアを見る。
ティアは前を向いたままだった。
怒っている。
間違いなく怒っている。
しかもかなり。
流石に今回は僕が悪いと思った。
本気で心配してくれていた。
それなのに僕は自分の尊厳を守るためにティアを利用した。
これは謝らなければならない。
僕は意を決した。
「あのー……」
反応なし。
怖い。
「いやー、そのー……」
反応なし。
めちゃくちゃ怖い。
「この度は本当にごめんなさい」
ティアがようやく口を開いた。
「何が?」
まずい。
本当にまずい。
この返しはまずい。
僕は慌てて続ける。
「いや、僕が自分の尊厳を守るためにさ、君を利用したからさ……申し訳ございません」
僕は席の上でくるりと向きを変えた。
そして正座する。
さらに頭を下げる。
土下座である。
完璧な土下座だった。
我ながら美しい。
ティアはしばらく黙っていた。
やがて。
「私が怒ってるのはそこじゃない」
終わった。
完全に終わった。
僕は覚悟を決めた。
ティアは窓の外を見ながら言う。
「レイン」
「はい」
「また他人ばっか気にしてる」
僕は黙る。
ティアは続けた。
「雑兵って言われたら雑兵みたいになって」
「……」
「崇められたら今度は漆黒のレイン様?」
ぐうの音も出なかった。
ティアの声は怒っていた。
だが怒鳴ってはいない。
だからこそ刺さる。
「何それ」
僕は視線を落とした。
汚れた靴が見える。
「別に格好つけるなとは言わない」
ティアは言う。
「私だって格好つける時くらいある」
それはそうだろう。
英雄コース首席である。
むしろ格好つける権利しかない。
だがティアは首を振った。
「でもレインは気にしすぎ」
「……」
「他人がどう見てるか」
「他人が何を言うか」
「そんなのばっかり」
反論しようと思えばできた。
生きるためだ。
立場に合わせて動いているだけだ。
そう言えたはずだった。
だが言葉が出てこない。
図星だったのかもしれない。
僕は気づかないうちに拳を握っていた。
ティアはそんな僕を見て、少しだけ言葉を止めた。
馬車の中が静かになる。
そして。
ティアは小さく息を吐いた。
「レインはレインでいいから」
その言葉に。
僕は何も言えなかった。
ただ視線を逸らす。
汚れた靴を見る。
なぜかさっきより見づらかった。
ティアも黙っていた。
言い過ぎたと思ったのかもしれない。
実際、少しだけ気まずそうだった。
だが。
どこか安心したようにも見えた。
僕にはよく分からなかった。
馬車は静かに進んでいく。
僕はずっと黙ったままだった。
そして頭の片隅で、その言葉だけが妙に残っていた。




