示尾邸
狐と妹分の魂を平らげると俺は完全にその場から動けなくなった。
今の俺の中には他人の記憶と思考が四千年分入っている。しかも二人分だ。
二人の記憶に共通して出てくる女…あれが彼女で間違い無いのだろう。
あぁ、本当に酷い女だった。酷い方法で人も喰っていた。俺が彼女に惹かれたのは単に人恋しかったのかもしれないし、無意識だったが単に容姿が好みなだけだったのかもしれない。それでも俺はー
津耶…。
尻尾を分けたときの記憶はあるが、尻尾に、取り付いた相手の記憶はなかった。
那由他の姑、震災時の混乱での名前も分からない青年、取り憑いた娘の兄…周りを欺くために尻尾を切り取って自身につけた記憶が鮮明に出てくる。
狐の記憶の中に最後に取り付いた娘の記憶があった。
家の中を見て廻られるだけでも不快なのに本棚の奥の物まで見つけやがった。そしてヤツが部屋を出る時に言った「本当に莫迦な子」。
その言葉だけでもゆるせないのに、津耶が死んだことを二人で馬鹿にしていた記憶もあったのだ。
「クソが。」
俺はいつのまにか布団で寝かされていた。
隣に敷かれた布団には娘が寝ていた。
目だけを動かして見る限りここは示尾の家の様だ。娘の向こう側にもう一つ小さな布団があったが茂はいなかった。
「貴羅…」
名前を口にするのはいつ以来だろう。…と思ったが今まで呼んだことがなかったかもしれない。
なんとなく頭を撫でようかと思って頭に手を伸ばしたが、できなかった。
その間も奴らの記憶、思考が俺の頭の中を流れ出てくる。
最終的には妖狐は貴羅の体になりたかったらしい。鬼の強靭な力を保つだけでなく、現し世と隠り世りへの往来ができ、鬼屋敷という治外法権で守られた多種族が入れない土地があれば大抵のことはし放題だ。そして、然さんに対しての最高の嫌がらせができる。
娘がそんな目に合うのは津耶は望まない。
とは言え、正直疲れた。娘の頭を撫でようと右手を伸ばしたがやめた。今更出来なかったので撫でるために開いた手を握り、甲の方で軽く貴羅の頭に触れた。
「………。」
俺は貴羅を残して部屋を出た。
理由は匂いがするからだ。別の部屋で吸われている煙管の匂いだ。
この家には沢山の部屋がある。いくつもの畳の部屋部屋部屋…。匂いを辿ればどこに相手がいるか判る。
「目を瞑れ。」
次の部屋にいると確信したときに、声をかけてから襖を開けた。もし何か見てもらいたくなっても、勝手に見られていたら使えん。が、理由はそれだけではない。
「こんばんは」
庭に面した部屋の縁側で目を閉じずに不言は煙管を蒸していた。その膝で茂が寝ている。俺はどうしても近づく気になれず、その部屋に入らずにその場に胡座をかいた。
枯山水の様な庭に青紫色の墨で色付けした様な夜空。その空には切り取った様にも和紙を張っただけにも見える白く細い月しかない。目に見える不言以外のものが作り物のようにしか見えない。
「どうやら、お前の願う通りになりそうだな。」
「そう思います?」
不言は嬉しそうに、けれど笑いすぎない様に気をつけた様な顔をした。
「最終的には貴羅の選択次第だろうがな。」
「貴良ちゃんの心の中までは読めませんからね。」
「お前を選んだ場合は親が心配する様なことにはならないだろうよ。」
「もちろん、貴良ちゃんが望むことを可能な限り実現させますよ。」
「あの子の方を選んだ時はどうするつもりだ?」
「彼が貴良ちゃんを大切にするなら問題ないでしょう。そうなっても今までと同様に貴良ちゃんのことは助けますし、場合によっては殺します。」
その殺すは誰の何に対してなのか…。でも、そんな物騒な言葉を出してる方が俺はヒトらしくて警戒心を抱かなくて済む。
「結果は見てるのか?」
「彼によく似た狼の女の子の側に緑子を抱っこしている貴羅ちゃんがいるのが見えています。」
ここで不言はカンカンと音を立てながら灰箱に煙管の箱を落とした。「この話は終はこれで終わりにしたい」とでも言いたいのだろう。
「今後、俺がいないせいで貴羅が不憫なことにならないのならどちらでも良い。後見人が必要ならお前の父親(示尾)や卯ノ花あたりがなるだろう。」
「責任放棄ですか?」
「俺がさっき何を喰ったか忘れたのか?狐共の記憶、思考、感情に耐え続ける自信がない。」
不言は心底驚いたと言いたげな顔をした。
「何が言いたい?」
「…あれから一月経ってますよ。」




