第二十話 風の変わり目
その頃になると、街道を行く人の様子が、少しずつ変わってきた。
以前なら、伊勢へ向かう旅人の笑い声が聞こえた。
商いの話をしながら歩く男。
土産を抱えた女。
子供の手を引く夫婦。
参宮の帰りに、もう一泊していこうかと相談する客。
そんな人たちが、いつも街道を行き交っていた。
けれど近頃は、若い男たちだけで歩く姿が増えた。
何人か連れ立っているのに、話し声が少ない。
宿へ入ってきても、酒を頼まない。
長居もしない。
そして、やけに早く旅立っていく。
その夜も、日が暮れてから三人の若者が宿へ入ってきた。
「ごめんください」
「はい、ただいま」
おきぬが帳場から顔を出す。
三人とも二十歳を少し過ぎたくらいに見えた。
旅の身なりではある。
けれど、荷物は少ない。
「今夜、三人泊めてもらえますか」
「もちろんですよ」
おきぬはいつものように笑った。
「お疲れでしょう。まずは荷物を置いてくださいな」
「ありがとうございます」
若者たちは頭を下げた。
その声も、どこか硬かった。
部屋へ案内し、夕餉を用意する。
飯。
汁。
焼き魚。
煮物。
いつもの宿の飯だった。
若者たちは静かに食べた。
話らしい話はしない。
喜助も、余計なことは聞かなかった。
旅人には、それぞれ事情がある。
それが、この宿で長く人を迎えてきた喜助の考えだった。
夜も深くなった。
宿の灯りを落とす。
表の街道から、時折、馬の蹄の音が聞こえる。
その音が遠ざかると、辺りは静まり返った。
おきぬは布団の中で、ふと目を開けた。
隣では喜助が眠っている。
外から、何か話し声が聞こえた。
小さな声だった。
聞き取れない。
しばらくして、足音がした。
若者たちが、何かを話しているらしい。
けれど、おきぬは起き上がらなかった。
旅人の夜には、旅人の夜がある。
そう思って、再び目を閉じた。
*
翌朝。
空が白み始める頃には、若者たちはもう起きていた。
「ずいぶん早いねえ」
おきぬが言う。
「朝のうちに出たいので」
「そうですか」
朝餉を並べる。
「よかったら、しっかり食べていってくださいな」
「ありがとうございます」
三人は静かに頭を下げた。
食事を終える。
喜助が帳場で勘定を受け取った。
「道中、お気をつけて」
「はい」
若者の一人が立ち上がった。
そのとき、おきぬが呼び止めた。
「ああ、ちょっと待ってくださいな」
「?」
おきぬが台所へ戻る。
しばらくして、小さな包みを三つ持って戻ってきた。
「これ、よかったら」
「これは?」
「おいなりさんです」
若者が目を丸くした。
「道中、お腹が空いたら食べてください」
「……ありがとうございます」
若者は、包みを受け取った。
その手が、ほんの少し震えていた。
「関を出れば、しばらく歩くでしょうからね」
おきぬは、いつものように笑った。
「気をつけて行ってらっしゃい」
「……はい」
三人は深く頭を下げた。
そして、宿を出ていった。
街道の先へ歩いていく。
若者たちの姿が小さくなる。
やがて、曲がり角の向こうへ消えた。
おきぬはしばらく、その方向を見ていた。
「今日は、ずいぶん静かな人たちだったねえ」
喜助が隣に立った。
「ああ」
「何をしている人たちだったんだろうね」
「さあな」
喜助も、街道の先を見つめる。
「聞かなかったのかい?」
「聞く必要もないだろう」
「そうだね」
二人は宿へ戻った。
その途中で、咲が顔を出した。
「もう行ったの?」
「行ったよ」
「あの人たち、どこへ行くの?」
「さあねえ」
咲は街道を眺めた。
「おいなりさん、食べるかな?」
おきぬが笑う。
「食べるさ」
「本当に?」
「食べるよ」
おきぬは、遠くを見た。
「人間だもの」
咲が頷いた。
そのとき、街道の向こうから風が吹いてきた。
暖簾が、ぱたんと揺れた。
喜助がそれを押さえる。
風は、すぐに通り過ぎた。
「……変な風だねえ」
おきぬが呟く。
「そうか?」
「なんだか、落ち着かない」
喜助は答えなかった。
ただ、街道の先を見ていた。
遠くで、馬の蹄の音がする。
一頭。
そして、もう一頭。
やがてその音も消えていった。
宿の中には、いつもの朝が戻ってくる。
飯を炊く。
湯を沸かす。
客の布団を片づける。
戸を開ける。
いつもの仕事。
いつもの一日。
けれど、街道を行き交う人の中に、少しずつ何かが変わり始めていた。
喜助も、おきぬも、それが何なのかは知らない。
ただ。
旅人に飯を出す。
旅立つ人には、おいなりさんを包む。
それだけは、変わらなかった。




