第十三話 行列
その朝は、いつもより町が静かだった。
まだ日が高くなる前だというのに、通りを行き交う人の数が少ない。
おきぬが、戸口から顔を出した。
「……今日は、なんだか変だねえ」
喜助も、箒を止めた。
向かいの店の主人が、道の端で何やら話している。
耳を澄ますと、風に乗って声が届いた。
「大名行列が来るらしいぞ」
「今日か?」
「ああ。昼前には、この辺りを通るそうだ」
喜助は通りの先を見た。
関宿では、こういうこともある。
旅人が歩き、馬が通り、荷を担いだ人足が行き交う。
その道を、ときには大きな行列が通っていく。
「大名行列だって」
おきぬが振り返った。
「咲に見せてやろうかねえ」
その声を聞いたのか、奥から小さな足音がした。
「なに?」
四つになった咲が、顔を出す。
「大名行列が来るんだってさ」
「だいみょう?」
「そう」
「大きいの?」
「……まあ、大きいだろうな」
喜助が答えると、咲は目を丸くした。
「どのくらい?」
「さあなあ」
喜助は笑った。
「見てみりゃ分かる」
その頃には、通りの様子も少しずつ変わっていた。
店先の商品が道から引かれ、人々が家の前を掃き清めている。
旅人たちも足を止めた。
道の両側へ寄るように声が飛ぶ。
「来るぞ」
「道を空けろ」
宿の前にも、いつの間にか人が集まっていた。
清吉は咲を抱き上げた。
「ほら、お嬢。見えるかい?」
「見えない」
「まだ来てないからな」
咲は清吉の腕の中で、首を伸ばした。
その横で、おきぬは千を抱いている。
千はまだ、何が起きているのか分からない。
ただ、大勢の人の声に目を丸くしていた。
やがて。
遠くから、音が聞こえてきた。
ざっ、ざっ、と重なる足音。
馬の蹄が、乾いた道を打つ。
かすかな金具の音。
風にはためく旗。
道の向こうから、長い列が現れた。
「……わあ」
咲の口から、小さな声が漏れた。
先頭を歩く者。
その後ろに続く武士たち。
槍。
旗。
馬。
そして、さらに後ろへ続く人、人、人。
どこまで続いているのか分からない。
咲は、清吉の腕をぎゅっとつかんだ。
「清吉」
「ん?」
「あれ、ずっと続いてる」
「そうだなあ」
「いつまで?」
「さあ。俺にも分からないな」
清吉が笑った。
喜助は、黙ってその列を見ていた。
自分たちの宿の前を、いくつもの足が通り過ぎていく。
いつもなら旅人が一人、二人と歩いていく道だ。
今日は違う。
大きな力を背負った人々が、何百という足音を重ねて進んでいく。
その中には、これから江戸へ向かう者もいるのだろう。
故郷を離れ、家族を残し、長い道を歩いていく。
旅人なのだ。
そう思うと、喜助は少しだけ不思議な気持ちになった。
どんなに大きな行列でも。
どれほど身分の高い人でも。
この道を通れば、やはり旅をしている。
宿に泊まる者もいれば、通り過ぎる者もいる。
そして、行ってしまえば、道にはまた静けさが戻る。
「おとう」
咲が呼んだ。
「なんだ?」
「あれも、旅なの?」
喜助は娘を見上げた。
少し考えてから、頷いた。
「ああ。旅だな」
「じゃあ、泊まるの?」
「うちは……泊まらないだろうな」
「なんで?」
「うちは普通の宿だからな」
おきぬが横から口を挟んだ。
「そりゃそうだよ。あんなに人がいたら、うちじゃ布団が足りないよ」
「布団だけじゃないだろ」
「飯も足りないねえ」
「薪も足りん」
「井戸の水も足りないよ」
二人で顔を見合わせる。
清吉が吹き出した。
咲も、つられて笑った。
千だけが、きょとんとしている。
そうしている間にも、行列は少しずつ遠ざかっていった。
足音が小さくなる。
馬の音も消えていく。
最後の人影が道の向こうへ消えると、町には、いつもの風が戻ってきた。
誰かが店先から顔を出す。
別の店では、引いていた商品を元の場所へ戻している。
旅人が、また歩き始めた。
いつもの関宿だった。
「終わったねえ」
おきぬが言った。
「ああ」
喜助は箒を持ち直した。
「じゃあ、掃くか」
「そうだね」
清吉も咲を下ろした。
「お嬢、こっちへおいで」
「私も掃く!」
「じゃあ、手伝ってもらおうかな」
咲が小さな箒を持ってくる。
千はその後ろを、よちよち歩いてついていった。
さっきまで大勢の人が歩いていた道を、今度は小さな足が歩いている。
喜助は、その様子をしばらく見ていた。
そして宿帳を開いた。
いつものように、今日のことを書き留める。
少し考えてから、筆を置いた。
――今日は、大名行列が通った。
――咲は、目を丸くして見ていた。
その下に、小さく線を引く。
喜助は、行列の中に見えた旗を思い出しながら、簡単な絵を描いた。
上手いとは言えない。
それでも、今日という日を残すには十分だった。
宿の前を、大きな歴史が通り過ぎた。
けれど。
そのあとに残ったのは、いつもの掃き掃除と、子どもの笑い声だった。




